第三章 スピードの追求
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第三章 スピードの追求

インディアナポリス・モーター・スピードウェイは、人々の夢、憧れであるスピードを追求するために建造されました。100年以上にわたり数々の設計者やチーム、そしてドライバー達が「誰よりも優れた自動車を作る」という目標に向けて努力を積み重ね、2.5マイル(約4.02キロ)のコースを駆け抜けるスピードは年々上がっていきました。

特定の周回のスピードを競う方式の予選は、インディ500では1915年の第5回から行われるようになり、ハウディー・ウィルコックス(Howdy Wilcox)が1周平均98.900mph(159.164km/h)で最初のポールポジション獲得者となりました。マシンは排気量4.9リッターの直列4気筒エンジンを搭載したスタッツ(Stutz)でした。


ハウディー・ウィルコックス、スタッツ(1915年)
ハウディー・ウィルコックス、スタッツ(1915年)

予選スピードの100mph(160km/h)超えは1919年。第7回インディ500のポールポジションを獲得したフランス人ドライバーのルネ・トーマ(René Thomas)が、排気量4.9リッターの直列8気筒エンジンを積んだバロー(Ballot)で達成しました。

1920年には、予選は一周あたりの平均スピードではなく、現在と同じ4周連続アタックの平均で争われることとなり、高いスピードを記録するためのハードルが少し上がりましたが、翌1921年には平均100mphをラルフ・デパルマ(Ralph DePalma)が2.9リッター直列8気筒エンジン搭載バローで上回り、ポールシッターとなりました。

120mph(193km/h)超えは1927年に排気量1.5リッターのスーパーチャージャー付き直列8気筒エンジンを載せたミラー(Miller)で走ったフランク・ロックハート(Frank Lockhart)によって達成されましたが、130mph(209km/h)超えには、それから20年もの時間が必要とされました。1933年のルール変更で予選が10周の連続ラップで争われるフォーマットに変わり、それが1938年まで続いたのも影響してのことです。1947年、レックス・メイズ(Rex Mays)は、KKシャシーに排気量3リッターのスーパーチャージャーを装着したウィンフィールド(Winfield)製直列8気筒を積んだマシンで130.577mph(210.143km/h)を記録しました。

予選スピードは1955年、排気量4.4リッターのオッフィー搭載スティーブンス(Stevens-Offy)に乗ったジェリー・ホイト(Jerry Hoyt)によって140mph(225km/h)を上回り、150mph(241km/h)超えは、1962年にフロントエンジンのワトソン/オッフィー(Watson/Offy)に乗ったパーネリ・ジョーンズ(Parnelli Jones)が150.370mph(241.997km/h)を記録して達成しました。

1965年、エンジンをミッドシップに搭載するマシンがインディ500初優勝を記録しますが、そのレースのポールポジションを獲得したのは、アメリカを代表するドライバーのAJ・フォイト(Foyt)でした。マシンはジム・クラーク(Jim Clark)が前年に優勝したのと同じロータス34/フォード(Lotus34/Ford)。予選の4周の平均速度は、初めて160mphを上回った161.233mph(259.479km/h)でした。

170mph超えを達成したのは、ガス・タービン・エンジン搭載の革新的マシン、ロータス56/プラット&ホイットニー(Lotus56/Pratt & Whitney)でした。ジョー・レナード(Joe Leonard)のドライビングにより、ジェットエンジンの一種であるターボシャフトエンジンの利点を活かし、ラジエターがなく、鋭いウェッジシェイプのマシンは1968年に171.599mph(276.162km/h)を記録しました。


ジョー・レナード、ロータス56/プラット&ホイットニー(1968年)
ジョー・レナード、ロータス56/プラット&ホイットニー(1968年)

1972年、ボビー・アンサー(Bobby Unser)は排気量2600ccのターボチャージャー付きオッフィーを搭載したマシンでスピードの階段を一足跳びにする195.940mph(315.335km/h)をマークし、ポールポジションを獲得しました。彼の乗ったアメリカ製シャシーのイーグル(Eagle)72をはじめとした多くのマシンが、この年から前後に大型のウィングを備えてダウンフォースを高め、コーナリングスピードを向上させていました。ラジエターをボディ両サイドにレイアウトしたマシンは空気抵抗も減少し、さらにスピードアップが実現されました。

予選スピードが200mph(322km/h)の壁を突き破ったのは、1978年でした。排気量2.65リッターのV8ターボエンジン、コスワース(Cosworth)DFXを搭載したペンスキー(Penske)PC6で予選に臨んだトム・スニーバ(Tom Sneva)は、アタックした4ラップのすべてが200mph超えという見事な走りを披露し、202.156mph(325.339km/h)という数字を叩き出しました。1919年の100mph超えから59年の月日を経て、全長2.5マイルのインディアナポリス・モーター・スピードウェイを疾走するマシンのスピードは2倍になったのです。

1984年に210mph超えを達成したのもスニーバでした。マーチ( March)84C/コスワースDFXで彼が記録したのは210.029mph(338.110km/h)でした。

1989年にはリック・メアーズ(Rick Mears)が排気量2.65リッターのターボチャージャー付きシボレー・イルモア(Chevrolet-Ilmor)V8エンジンを載せたペンスキーPC18で史上初の220mphオーバーとなる223.885mph(360.308km/h)を記録しました。

初の230mph超えは1992年。コロンビア人ドライバーのロベルト・ゲレーロ(Roberto Guerrero)が、3.4リッターの排気量を持つターボチャージャー付きビュイック(Buick)V6エンジンを積んだイギリス製シャシー、ローラ(Lola)T92/00で232.482mph(374.144km/h)を出しました。

予選での史上最速の1ラップは、1996年5月12日にアリー・ルイエンダイク(Arie Luyendyk)が2.65リッター・ターボV8搭載のレイナード(Reynard)94Iで記録した237.498mph(382.216km/h)です。彼は4ラップ平均でも史上最速記録となる236.986mph(381.392km/h)を打ち立てましたが、そのアタックはポールデイではなく、予選2日目に行われたものであったため、その年のポールはルーキーのトニー・スチュワート(Tony Stewart)のものになりました。

500マイルを走るのにどれだけの時間を必要とするか。レース時間も年を追う毎に着々と縮められて来ました。1911年の第1回インディ500は、スタートからゴールまでに6時間42分8秒かかり、平均時速は74.602mph(120.060km/h)でした。

それが1915年の第5回目のレースになると、平均時速は89.840mph(144.584km/h)まで上昇。1925年、第13回目のレースにおいて、排気量2,000ccの直列8気筒エンジンを搭載したデューセンバーグ(Duesenberg)に乗ったピーター・デパオロ(Peter DePaolo)が平均時速101.13mph(162.753km/h)を記録し、ついに500マイルの平均スピードでも100mphの壁を破りました。レース時間は初めて5時間を下回る、4時間56分39.46秒でした。

優勝スピードが120mph(193km/h)を超えたのは第二次大戦後の1949年で、ビル・ホーランド(Bill Holland)が排気量4.4リッターのオッフィーを積んだデイット(Diedt)・シャシーで達成しました。

130mph(209km/h)超えは、1954年にビル・ブコビッチ(Bill Vukovich)がKK500A/オッフィーで達成。140mph(225km/h)は1962年にロジャー・ウォード(Rodger Ward)がワトソン/オッフィーで超え、3年後の1965年には、ミッドシップに4.2リッターのフォードV8を乗せたロータスで、ジム・クラークが平均時速150mphを史上初めて上回る150.686mph(242.506km/h)を記録しました。

1972年、マクラーレン(McLaren)M16B/オッフィーに乗ったマーク・ダナヒュー(Mark Donohue)は、160mph平均を初めて破る162.962mph(262.262km/h)で500マイルを走り切りました。レース・スピードの平均時速170mph超えと、レース時間の3時間切りを初めて成し遂げたのは、1986年のボビー・レイホール(Bobby Rahal)でした。マーチ86C/コスワースDFXで彼が樹立した数字は、2時間55分43.48秒、170.722mph(274.750km/h)でした。

1990年、オランダ人ドライバーのアリー・ルイエンダイクは、ローラT90/00/シボレー・インディで185.981mph(299.307km/h)という圧倒的スピードで優勝。この記録を上回る勝利は20年以上も実現されませんでしたが、2013年、ダラーラ(Dallara)DW12/シボレーに乗ったブラジル出身のトニー・カナーン(Tony Kanaan)が、187.433mph(301.644km/h)の新記録でレコード保持者となりました。

そして、この記録が破られたのは8年後の2021年でした。190mphを初めて上回る190.690mph(306.886km/h)の平均時速で優勝したのは、ブラジル出身エリオ・カストロネベス(Hélio Castroneves)で、マシンはダラーラUAK-18/ホンダ。この勝利によりエリオは史上最多タイの4回のインディ500優勝経験者となりました。

文:天野雅彦


エリオ・カストロネベス、ダラーラUAK-18/ホンダ(2021年)
エリオ・カストロネベス、ダラーラUAK-18/ホンダ(2021年)