Honda 鈴鹿8耐挑戦の歴史① 1978~89年
1978年 RCB1000
スタートから飛び出したW.クーリー/M.ボールドウィン組(スズキ)が初代勝者に。Hondaは欧州の耐久レースを席巻していたRCB1000を2台投入するも、無念のリタイアを喫した。
1979年 CB900
WINNER
トニー・ハットン/マイク・コール
上位陣、有力チームが次々と転倒、トラブルに見舞われるなど波乱の展開。CB900を駆るT.ハットン/M.コール組をはじめ、Honda勢がトップ8を独占する結果となった。
1980年 RS1000
世界選手権へと昇格し、TT-F1規定に統一。優勝のW.クーリー/G.クロスビー組(スズキ)と2位のG.ハンスフォード/E.ローソン組(カワサキ)の一騎打ちとなった。またこの年、鈴鹿4耐が初開催された。
1981年
WINNER
マイク・ボールドウィン/デビッド・アルダナ
W.クーリー/G.クロスビー組(スズキ)が先行するもリタイア。代わってRS1000を駆るD.アルダナ/M.ボールドウィン組がトップに浮上、初参戦のW.ガードナー(モリワキ)がトップを猛追するも転倒に終わった。
1982年
WINNER
飯嶋茂男/萩原紳治
台風の接近により天候が悪化するなかで、レースは6時間に短縮される。世界勢が次々と転倒・リタイアを喫する中、CB900F改を駆る飯嶋茂男/萩原紳治組が初の日本人ペアによる勝利を飾った。
1983年 RS850R
世界選手権の750cc化に先行して投入されたRS850Rが、1000cc勢に迫る戦いを見せた。F.マーケル/J.ベトゥンコート組(RS850R)が3位を獲得。優勝はスズキのH.モアノー/R.ユービン組。
1984年 RS750R
WINNER
マイク・ボールドウィン/フレッド・マーケル
TT-F1規定が上限750ccに変更。満を持して6台のワークスマシン・RS750Rを投入したHonda勢が1-2-3フィニッシュを達成した。優勝はM.ボールドウィン/F.マーケル組。
1985年 RVF750
WINNER
ワイン・ガードナー/徳野政樹
PPのK.ロバーツ/平忠彦組(ヤマハ)がスタートで出遅れるも、序盤にトップへ復帰。2位に後退したW.ガードナー/徳野政樹組(RVF750)は、終盤に平がリタイアしたことで再びトップに。ガードナーが記念すべき1勝目を手にした。
1986年
WINNER
ワイン・ガードナー/ドミニク・サロン
W.ガードナー/D.サロン組(RVF750)がPPから快走、追走するK.ロバーツ/M.ボールドウィン組(ヤマハ)がトラブルで後退すると、独走で快勝を遂げた。ガードナーは2連覇、Hondaは3連覇を達成した。
1987年
PPのW.ガードナー/D.サロン組(RVF750)は141周でリタイア。代わってトップを走るG.グッドフェロー/高吉克朗組(スズキ)は、ゴール5分前でまさかの転倒。ヤマハのM.ウイマー/K.マギー組が初の200周に達して優勝した。
1988年
W.ガードナー(RVF750)、K.シュワンツ(スズキ)、W.レイニー(ヤマハ)らGPライダーたちが火花を散らす展開。しかし、優勝候補のガードナー/N.マッケンジー組は転倒。PPのK.マギー/レイニー組が後半独走して優勝した。
1989年
WINNER
ドミニク・サロン/アレックス・ビエラ
PPのW.ガードナー/M.ドゥーハン組(RVF750)、W.レイニー/K.マギー(ヤマハ)がトップ争いを演じるも、両チームともにリタイア。代わってトップに立ったD.サロン/A.ビエラ組(RVF750)が優勝を飾った。