Honda 鈴鹿8耐挑戦の歴史④ 2010~19年
2010年 CBR1000RR
WINNER
清成龍一/高橋巧/中上貴晶
中盤にトップに立った清成龍一/高橋巧/中上貴晶組(CBR1000RR)が、2位以下を突き放して独走。清成は8耐3勝目、20歳の高橋が最年少優勝を果たした(記録上は未出走の18歳中上)。2位には伊藤真一/玉田誠組(CBR1000RR)、3位には序盤に転倒・ペナルティーとトラブルが相次ぎながら驚異の猛追を見せた秋吉耕佑/J.レイ組(CBR1000RR)が入った。
2011年
WINNER
秋吉耕佑/伊藤真一/清成龍一
3月に発生した東日本大震災への配慮から、節電のため例年より1時間早いスタート。消耗の激しい日中の走行時間が増えたため、3ライダー体制が主流となった。秋吉耕佑/伊藤真一/清成龍一組(CBR1000RR)が三つどもえの戦いを制してHonda勢の連覇を達成。2位は加賀山就臣/J.ウォーターズ/青木宣篤組(スズキ)、3位は高橋巧/玉田誠/岡田忠之組(CBR1000RR)となった。
2012年
WINNER
ジョナサン・レイ/秋吉耕佑/岡田忠之
路面温度が57℃を超える酷暑の中での戦いは、序盤にジョナサン・レイ/秋吉耕佑/岡田忠之組(CBR1000RR)と、清成龍一/青山博一/高橋巧組(CBR1000RR)が息詰まる攻防を展開。しかし、後半に入った午後4時30分過ぎに清成が転倒し、マシンが炎上。そのあとは秋吉がトップを独走し、2位に入った山口辰也/高橋裕紀/手島雄介組(CBR1000RR)に4周差をつけて優勝。秋吉は3度目の鈴鹿8耐勝利となった。
2013年
WINNER
高橋巧/レオン・ハスラム/マイケル・ファン・デル・マーク
序盤、高橋巧/レオン・ハスラム/マイケル・ファン・デル・マーク組(CBR1000RR)がトップに立つも、ジョナサン・レイ/清成龍一組(CBR1000RR)の激しい追い上げによってし烈なバトルに。ところが、清成の転倒によってレイ/清成組がリタイア。高橋/ハスラム/ファン・デル・マーク組の独走状態でレースが進む。午後7時過ぎに強い雨が降り出したものの、高橋がスリックタイヤで走りきり、Honda CBR1000RRが4連覇を達成した。2位に津田拓也/青木宣篤/J.ブルックス組(スズキ)、3位には加賀山就臣/K.シュワンツ/芳賀紀行組(スズキ)が入った。
2014年
WINNER
高橋巧/レオン・ハスラム/マイケル・ファン・デル・マーク
スタート直前の豪雨により、史上初のスタートディレイで幕開け。6時間55分に短縮されたレースは、ウエットとドライが何度も切り替わり、多くの混乱が生じた。そんな中、序盤にトップ争いから抜け出した秋吉耕佑/ジョナサン・レイ/ロレンツォ・ザネッティ組(CBR1000RR)がリードを広げ、独走態勢を築くも、中盤を過ぎた108周目にまさかの転倒。これに代わって高橋巧/レオン・ハスラム/マイケル・ファン・デル・マーク組(CBR1000RR)が首位に浮上すると、4度のセーフティカーが入る波乱のレースを見事逃げきり、前年に続く2連覇を達成した。
2015年
真夏らしい気温、急激に上昇する路面温度、そして6回ものセーフティカー導入などによって、この年の決勝は波乱の展開となった。序盤レースを盛り上げたのはMuSASHi RT HARC-PRO.の高橋巧。23周もの間、し烈なトップ争いを披露した。そのバトンを受け継いだのは元MotoGPチャンピオンのケーシー・ストーナー。期待通りの走りでトップを奪還するが、ヘアピンでまさかの転倒。チームの3連覇の夢はここで潰えてしまう。代わってレースをけん引したのはF.C.C. TSR Honda。安定した走りでドミニク・エガーター、ジョシュ・フックと順調につなぎ、一時はトップに。その後、再度マシンに乗ったエガーターがポジションを堅守しようと奮闘するも叶わず。1分17秒411差の2位でレースを終えた。
2016年
この年の決勝グリッドに並んだのは総勢68台。快晴の中でスタートが切られ、F.C.C. TSR Hondaが序盤から快走をみせ、2番手につけた。MuSASHi RT HARC-PRO.の高橋巧も1周目9番手から徐々にペースアップし、上位陣に迫っていった。そんな中、F.C.C. TSR Hondaのドミニク・エガーターが7周目の二輪用シケインで転倒。マシンの修復が必要となり大きく順位を落とした。この間も、快調に走行していた高橋は3番手まで浮上していた。しかし、そのMuSASHi RT HARC-PRO.にまさかのトラブルが発生。このときライダーを担当していたニッキー・ヘイデンがシケインでストップ。マシンはピットに運ばれたがチームはリタイアを決めた。この年、Honda勢最上位は、Satu HATI. Honda Team Asia(ディマス・エッキー・プラタマ/ザクゥアン・ザイディ組)の8位だった。事前のプラクティスでラタポン・ウィライローが負傷。2名体制で8時間の長丁場に挑んだSatu HATI. Honda Team Asiaは、「自分たちのペースを維持して走る」という玉田誠監督の信念のもと、大きなトラブルもなく確実に走りきって入賞を果たした。
2017年
曇り空の下で始まったレースは、序盤の降雨で転倒車が出るなど序盤から荒れた展開に。その後も、MORIWAKI MOTUL RACINGやMuSASHi RT HARC-PRO. Honda、Team SuP Dream Hondaなど、有力チームが転倒で順位を落とす中、終盤まで上位につけたのはF.C.C. TSR Hondaだった。しかし、残り30分のタイミングでマシンから火が上がってしまう。幸い、走行中に火は消えたが、故障が疑われるマシンにピットインを促すオレンジボール旗が提示されたためにピットイン。大きなタイムロスとなってしまうも、その後もあきらめない走りで3位表彰台を獲得した。4位には転倒後、マシンの修復から気迫の走りを見せたMuSASHi RT HARC-PRO. Hondaが入った。
2018年
降雨や転倒など波乱の多かったレースは、10年ぶりの復活となったワークスチームのRed Bull Honda with 日本郵便がトップと唯一の同一周回となる199周をクリア。2位でチェッカーを受けた。2017-2018シーズン世界選手権チャンピオンに王手をかけて臨んだF.C.C. TSR Honda Franceは序盤から堅実な走りを披露。予選12番手からポジションを7つ上げ、5位でチェッカーを受け、見事シリーズチャンピオンに輝いた。
2019年
台風6号の影響を受けてトップ10トライアルは中止に。決勝は晴れて気温が上昇し、ドライコンディションでのレースとなった。Red Bull Hondaは清成龍一が体調不良で決勝レースへの出走を見合わせる中、高橋巧とステファン・ブラドルが奮闘。カワサキ、ヤマハとワークスチーム三つ巴のトップ争いを展開したが、惜しくも3位に終わった。