ダカールラリーをもっと楽しむための豆知識 歴史編
「世界一過酷なモータースポーツ」と言われるのはなぜ?
距離と日数、そしてラリーが行われる環境が厳しいからです。
真冬のパリをスタートし、地中海を渡りアフリカ大陸へ。1978年に始まったダカールラリーは、パリというヨーロッパの文化圏から、地形、気候、宗教、人種などが異なるサハラ砂漠の国々を、縫うようにして走る冒険ラリーでした。初期のパリ〜ダカールラリーはスタートから3週間、総走行距離1万km以上でした。その後、2週間、8000km以上と短縮化されますが、通過するルートの厳しさは折り紙付き。
サハラ砂漠では、大砂丘群を前にコンパス(方位磁石)を頼りにナビゲーションをし、岩だらけの道が延々と続く道もルートに組み込まれました。1日の走行距離は時に1000kmを越え、トラブルが起きなくとも選手の睡眠時間は削られ、食事さえもままならない。サバイバルテクニックすら求められる日々が続くラリーだったのです。それが“世界一過酷なモータースポーツ”と言わしめる所以です。
パリにもダカールにも行かないのに、なぜ「ダカールラリー」っていうの?
最初はパリ~ダカールで行われていたからです。
1978年に始まったダカールラリーは2021年に第43回大会を迎えます。
この歴史ある冒険ラリーの1978年に行われた第1回大会は、パリのトロカデロ公園をスタートしフランス国内を南下。地中海をフェリーで越え、アフリカ大陸へ。そこからサハラ砂漠を越えてセネガルの首都ダカールへ、3週間に渡る戦いの末にゴールしていました。大会の正式名称には、スポンサー名を使用したり、途中の通過国の地名を入れるなどされてきましたが、この強烈な冒険ラリーの愛称こそパリ~ダカール、パリ・ダカでした。
そして、回を重ねるごとに過酷さと刺激を求めたラリーは、ついにパリ~ダカールという枠を飛び越えます。1992年に初めてゴール地点が変更され、パリ~ケープタウン(南アフリカ)というアフリカ大陸を縦断するルートに挑みます。当時の主催者はそれでも、ラリーの名称からダカールの名を外さずに、DAKAR 92と呼んでパリ~ダカールの歴史と伝統を堅持したのです。その後も、94年にはパリ~ダカール間を往復するパリ~ダカール~パリ、97年にはダカール~アガデス(ニジェール)~ダカールというルートで行われます。2000年にはダカール~カイロ(エジプト)、03年はマルセイユ~シャルム・エル・シェイク(エジプト)と、ダカールの名のもと、歴史を重ねたのです。パリをスタートして行われた大会は、02年の第24回大会が今のところ最後です。
2009年から2019年までの11年間は南米に舞台を移して行われました。2020年からは中東 サウジアラビアが舞台となっていますが、その世界一過酷なラリーの伝統を踏まえて、今も大会名はダカールラリーなのです。
2021年はどこで開催するの?
2021年の第43回大会は昨年と同じ中東 サウジアラビアで開催されます。
世界中から注目を集めるダカールラリーは、安全上の理由から、2008年はスタート直前で中止という決断が下されました。翌09年、主催者のA.S.O.はダカールラリーの舞台を、サハラ砂漠から南米大陸へと移す決断をします。19年まではアルゼンチンやチリ、ペルーを中心とした南米大陸で開催されていました。
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