My Ride, My Life: トーシャ・シャレイナ
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My Ride, My Life: トーシャ・シャレイナ

トーシャ・シャレイナは、2023年以前からラリーレイドの世界では名の知られた存在でした。2021年に名高いダカールラリーに初挑戦し、13位でフィニッシュ。ルーキー勢の中で2番目となる好成績を収めました。

しかし、彼が本当にラリーレイド界で大きな注目を集めたのは2023年のことです。Hondaチームのファクトリーサポートを受け、CRF450 RALLYに乗り始めた彼は、メキシコのソノララリーで世界トップクラスのライダーたちを相手に、Hondaファクトリーライダーたちをも上回る走りを見せ、2位表彰台を獲得。これを機に、その名を轟かせることとなります。続くバハ・アラゴンでの勝利、そしてデサフィオ・ルタ40での3ステージ制覇により、FIM世界ラリーレイド選手権(W2RC)での初勝利を手にしました。



「メキシコでのレースがすべての始まりでした。Hondaでの初めてのレースであり、世界ラリーレイド選手権での初の表彰台でもありました。アルゼンチンには、さらに自信を持って臨むことができ、勝利できたのは本当に素晴らしいスリルでした。でも正直なところ、自惚れているわけではありませんが、自分の中でこの勝利はいつか実現するものだと分かっていました。だからこそ、勝利を手にした後、自分に問いかけました。次のステップは何だろうと。」

2024年にMonster Energy Honda HRCのファクトリーチームに正式加入したのは自然な流れと言えるでしょう。シャレイナはリッキー・ブラベック、パブロ・キンタニラ、エイドリアン・ヴァン・ベバレン、ナチョ・コルネホ、スカイラー・ハウズといった経験豊富なライダーたちとチームメイトとなりました。

「Monster Energy Honda HRCの一員になれたことは、まさに夢の実現です。バイクに乗る者なら誰もが、ファクトリーチームでの活躍を夢見ています。最初はとても遠い目標に思えましたが、いつか達成できる日が来ると信じていました。」



ファクトリーカラーを纏って最初に挑んだのは、過酷なダカールラリーでした。プロローグでは優勝を飾ったものの、第1ステージ本番での転倒により手首を骨折。サウジアラビアでの挑戦は即座にリタイアとなり、何ヶ月にも及ぶトレーニングの日々が一瞬にして水泡に帰すという残念な結果になりました。

「ラリーは容赦なく、決して油断できません。ヘリコプターに乗っている時から、既に手術のことを考えていました。というのも、1ヶ月後には日本で初の電動バイクレース、E-Xplorerに参加する予定で、そのレースに万全の状態で臨みたかったからです。その1ヶ月は本当に時間との戦いでした。手術の2日後にはリハビリを開始し、本当に本当にクレイジーな日々でした。」

徹底的な治療と回復プログラムを経て、シャレイナはTeam HRCとしてFIM E-Xplorer World Cupに出場。Hondaのお膝元である日本での勝利を手にし、これまでの努力が実を結ぶこととなりました。



「Honda CR Electric PROTOという全く新しいバイクに乗ることになりました。それが自分にとって初めての電動バイクでしたが、Hondaは素晴らしい仕事をしてくれて、適応はとても早く進みました。そして無事にやり遂げ、日本でチームとして勝利を掴むことができました。」

その後もノルウェーの勝利、スイスのクラン=モンタナ最終ラウンドでの勝利と続き、デビューイヤーで男子FIM E-Xplorer World Cupのタイトルを獲得しました。年初の苦難を考えると驚くべき成果と言えます。また、イタリアのレーサー、フランチェスカ・ノチェラとチームを組み、シーズンの3ラウンドを通じて強力なコンビネーションを発揮しました。

「フランチェスカをチームメイトに持てることは素晴らしいことです。彼女は経験豊富な非常に優れたライダーで、とても良い関係を築けています。それが私たちの大きな強みとなっています。」

現在29歳のシャレイナが初めてバイクに乗ったのは7歳のとき。叔父が幼いシャレイナを前に乗せてバイクを運転してくれたのが始まりでした。程なくして、彼は自分自身でハンドルを握り、バレンシアの小さなトラックでバイクに乗り始めました。

「1年中同じトラックに通い詰めました。モトクロスから始め、その後エンデューロに移り、世界選手権やシックス・デイズ・エンデューロに出場しました。そして3年前、ラリーに転向しました。それは全く新しい分野を一からやり直すようなもので、簡単な道のりではありませんでした。また、キャリア初期の多くのライダーと同様、トレーニングやレースのためのリソースがありませんでした。これまでも何度か話したことがありますが、私の家は裕福ではなかったので、このスポーツを続けるためにはサポートが必要でした。でも、それを言い訳にしたり同情を求めたりするつもりはありません。子供の頃は周りに知られたくなかったことですが、今は素直に話せるようになりました。」



2024年、彼は初のフルシーズン出場である世界ラリーレイド選手権でも再びトップに立ちました。BPラリーレイド・ポルトガルでの勝利は、イベントの一部が母国スペインで開催されたこともあり、彼にとって特別なものとなりました。その後、アルゼンチンではチームメイトのリッキー・ブラベックと競り合い、18時間にわたるラリーの結果、このアメリカ人優勝者とわずか15秒差でフィニッシュしました。シーズン最終戦のモロッコラリーでは接戦の末2位を獲得し、総合ランキングで3位に輝きました。さらに、この年参加したすべてのプロローグで優勝を収めたことも印象的です。

「多くの人が私のことを信じて、あらゆる面で助けてくれました。それは経済的にも精神的にも、ライダーとしての成長だけでなく、人生のすべての面で私にとっての支えになりました。恩返しができるよう、トップを目指したいです。」

「E-Xplorerでもラリーでもたくさんの目標があります。しかし、私の一番の目標が何であるかは言うまでもありません。そして、大きなことを言うようですが、いつの日かその目標は必ず達成できると信じています。」