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Honda
Rahal Letterman Lanigan Racing

Takuma Sato

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佐藤 琢磨

Takuma Sato

1977年生まれ。東京都出身。少年時代に鈴鹿サーキットでF1世界選手権を観戦し、F1ドライバーになる夢を抱くと、大学に進学してから鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)を受講しました。その後、2000年にはヨーロッパへと渡り、イギリスF3への出場を開始。02年に念願かなって、Jordan Hondaのドライバーとして、F1世界選手権へのデビューを果たしました。テストドライバーとしての一年を挟み、08年の途中まで、B・A・R Honda、SUPER AGURI F1 TEAMでF1グランプリを戦い続ける中で、04年のアメリカGPで日本人ドライバーとして歴代最高タイとなる、3位という成績を残しました。

インディカーへの参戦は10年にスタートし、11年にはオーバルコースのアイオワ・スピードウェイで日本人初となるポールポジション(PP)を獲得。エドモントン・シティセンター・エアポートの特設ロードコースで2度目のPPを手にしました。12年シーズンには、ブラジル・サンパウロのストリートコースで初表彰台となる3位。エドモントンでは当時のキャリアベストとなる2位フィニッシュを果たしました。インディ500では優勝争いを演じ、そこでみせたファイティングスピリットは、アメリカの多くの人を魅了しました。A.J.フォイト氏も関心を示し、13年、佐藤琢磨はA.J. Foyt Racingに移籍すると、チームとしても日本人ドライバーとしても初のインディカーでの優勝を、ビッグレースのロングビーチで果たしました。14年は、セント・ピーターズバーグとデトロイトのレース2でPPを獲得しました。15年シーズンは、チームの体制強化が実現。デトロイトのレース2では13年以来となる表彰台を獲得するなど、総合14位となります。16年の最高位は4位、総合17位でシーズンを終えました。

Andretti Autosportに移籍した17年は、し烈なバトルの末にINDY500を日本人として初制覇。18年は、Rahal Letterman Lanigan Racingに移籍し、ポートランドでは予選20番手からの大逆転でキャリア3勝目を飾りました。19年はアラバマではポールトゥウインを達成したほか、シーズン2勝、4回の表彰台獲得で総合9位となりました。20年はインディ500の予選で3番手となり日本人初のフロントローグリッドを獲得すると、決勝は序盤からレースをリードし続けたライバル選手を残り15周でパスし、2度目のINDY500制覇を成し遂げました。第8戦ゲートウェイのレース1でも2位表彰台獲得するなど活躍し、総合では自身ベストの7位となりました。

21年は、INDY500での3度目の勝利とシリーズチャンピオンの座を目指します。