INDYCAR SERIES

INDY500直前 佐藤琢磨インタビュー「牛乳瓶はあの日のままとってあります」

佐藤琢磨は、年齢を感じさせないレーシングドライバーです。F1参戦を終えてから15年、46歳になった今もその勢いは衰えることを知りません。アメリカのモータースポーツカレンダーで最も重要なイベントであるINDY500で、琢磨は再びグリッドに並び、勝利を目指します。

INDY500直前 佐藤琢磨インタビュー「牛乳瓶はあの日のままとってあります」

「INDY500のすごさは、実際に体験してみないと想像できないと思います。純粋に速さを競い合うという意味で最高峰であるだけではなく、この物語の主役になるにはいくらかの運も必要になるんです。500マイルがたったコンマ数秒の差で決着することだってあるんですよ」



琢磨は過去にINDY500で2度優勝しています。2017年の第101回大会では、エリオ・カストロネベスをわずか0.2011秒差で破り初優勝し、非常に印象深い勝利となりました。

「チェッカーフラッグを受けたとき、実は無線を通して叫んでいたんです。素晴らしいレースができたとき、あるいはそうでないときでも、通常はまず無線でチームに感謝を伝えます。ただ、あの時ばかりは自分の口からは日本語も英語も出てこなかった。何も言葉にならず、ただただ叫ぶだけでした。一瞬のことでしたが、無線の存在を忘れてしまうほどだったので、知らない間にあちこちで放送されてしまいました」



「放心状態のままコースを1周してビクトリーレーンに向かったそのときにようやく、夢が叶ったことを実感しました。その後、インタビューや記者会見が5時間にわたって続いたのでまるで自分の身体じゃないみたいでした。ようやくレーシングスーツを脱いだときにはかなりの時間が経過していましたよ」

INDY500といえば、優勝したドライバーがビクトリーレーンに向かい、牛乳を飲むシーンが有名ですが、琢磨にとっても忘れられない思い出となっています。

「牛乳の味は最高でした。自分では『スペシャルミルク』と呼んでいますが、完全オーガニックの牛乳で、かなりろ過を重ねていて匂いもないんです。とにかく素晴らしい味でした。優勝してミルクを浴びた後、そのレーシングスーツのまま5時間も過ごしたので、スーツはすっかり乾いてしまいました。牛乳瓶は今も大事にとってあります。一度も洗っていないので、まるで白くつや消ししてあるように見えますよ」



2020年、コロナウィルスが猛威を振るう中、琢磨は二度目の勝利を収めました。レース終盤に発生したクラッシュによりイエローフラッグのままチェッカーを迎えましたが、オーバルトラックの雰囲気が全く違ったのはクラッシュのせいだけではありませんでした。

「誰もがドライバー達が全力でゴールへ向かう姿を見たいと思っているでしょう。しかし、たとえどんな形でも勝利は、特にチーム、スポンサー、そしてファンにとって等しく価値があるものだと思います」

「会場には例年35万人の観客がいるのですが、2020年のレースは無観客で、スタンドは静まり返っていました。私が拳を突き上げながらチェッカーを受けたときも、観客席で祝福してくれるファンはいませんでしたが、何百万人もの人たちが、自宅でテレビを通して応援してくれていたことが嬉しかったです」



琢磨は今年、インディカーの名門チップ・ガナッシ・レーシングと契約し、オーバルレースを戦っています。ブリックヤード(インディアナポリス・モーター・スピードウェイの愛称)の象徴であるターン1は、ファンだけでなくドライバーの心をも奪う魅力があります。2017年にフェルナンド・アロンソがモナコGPを欠場してINDY500に挑みましたが、彼のような経験豊かなF1ドライバーにも、大きな感動を与えたほどです。

「少し怖さはあるものの、ターン1を駆け抜けるのは最高の気分です。パワーと身体にかかる負荷はF1と比べものになりません。ターン1には時速235マイルで進入するので、フルスピードで走るにはそれなりの覚悟が必要です。フェルナンド・アロンソは経験豊かなF1ドライバーですが、その彼でさえスロットルを戻さざるを得なかったし、すべてのコーナーで4.5~5Gが加わるので、その点はF1をはるかに凌ぎます。感覚やスピード、コーナーの半径は頭では分かりますが、実際に近づくと、ほとんど90度コーナーのように感じるんです」



今年もINDY500決勝へのカウントダウンが始まっていますが、勝利を掴むためには様々な要素が必要となることを、琢磨自身は良く知っています。そのためのアプローチは2017年と若干異なるものの、“最後の2スティントが勝利のカギを握る”と語りました。

「レース中の約2時間半のことをイメージしてみてください。マシンが猛スピードで周回を重ねる中、外気温や路面温度、風向きだけでなく、コースそのものも大きく変化します。スタートとフィニッシュとでは、マシンは全く別物と言えます」

「200周目の手前にはいいポジションにいなければならないので、不運に見舞われないこと、そして危険をうまく回避していくことが大切です。リズムをつかむことやトラフィックを抜けること、前を走るマシンの乱気流に対応すること、これも1台なのか2台なのか、はたまた10台なのかで違ってくるので、あらゆる状況に対応しなければならないんです」

「最後の10周でトップから3番手以内にいれば、優勝を狙える可能性があると考えて挑みます。終盤のバトルは2017年にも経験していますが、あれからさらに経験を積んでいるので、過去2回の優勝よりももっとうまくやれると思います。きっと!」



琢磨は幼い頃に鈴鹿でF1日本グランプリを観戦して、モータースポーツの大ファンになりましたが、その後一度はモータースポーツを離れました。学生時代には自転車競技で学生チャンピオンになるほどの活躍を見せましたが、モータースポーツの世界に再び飛び込んだのは20歳の時のこと。鈴鹿サーキットレーシングスクール(現 ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿)の門を叩き、輝かしいキャリアを歩むことになりました。

2017年の勝利で、琢磨は日本人初のINDY500優勝者として歴史にその名を刻みました。日本のニュースでも広く報道され、大きな注目を集めました。INDY500での素晴らしい勝利に代表される輝かしいレースキャリアを通じて、琢磨とHondaとのつながりは深く、琢磨はHondaファミリーの一員であることを誇りに感じています。



「私はキャリアを通じて、情熱的で、夢を常に実現するHondaの皆さんと一緒に働けることを光栄に思います。」

情熱と夢を持ち、そして実現する。まさにそれは佐藤琢磨の生き様そのものであり、今年もその新たな1ページを刻む彼から目が離せません。



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