インディカーとF1、両方で活躍するドライバーたち
1911年が初開催のINDY500は今年で第106回目の開催を迎えますが、長い歴史の中ではヨーロッパが起源のF1グランプリとも深く交流をしてきています。
F1のシリーズ戦として組み入れられたINDY500
1950年にF1が世界選手権として正式にスタートした時、INDY500はシリーズの1戦として迎え入れられました。1960年までのINDY500は、アメリカの国内選手権の1レースであると同時にF1ワールドチャンピオンシップの1戦でもあり、その11年間にはイタリア出身のアルベルト・アスカーリ、アルゼンチンのファン・マヌエル・ファンジオという2人の偉大なるワールドチャンピオンによるチャレンジもなされました。
1961年にはオーストラリア出身の現役世界チャンピオンであるジャック・ブラバムがクーパー・カー・カンパニーのF1マシンでINDY500にエントリーし、ミッドシップの小型で俊敏なマシンで好走を見せました。そして、その5年後の1965年、イギリスのチームであるチーム・ロータスにより、ミッドシップのイギリス製F1マシンによるINDY500優勝が達成されました。ドライバーはスコットランド出身で、やはりワールドチャンピオンのジム・クラークでした。
4人のダブルタイトル獲得者
1960年代にはイタリア生まれで少年期にアメリカに移住してきたマリオ・アンドレッティがインディカー・シリーズで3度チャンピオンになり、INDY500でも1969年に優勝してヨーロッパに凱旋していきました。彼は1978年にF1ワールドチャンピオンに輝き、インディカーとF1のダブルタイトルを獲得する史上初めてのドライバーとなりました。
1984年には、F1で1972年と74年の2度チャンピオンになっているブラジル人ドライバーのエマーソン・フィッティパルディがインディカーに参戦しはじめ、1989年にF1とインディカーの両シリーズを制する史上2人めのドライバーが誕生しました。彼はINDY500でも1989年と93年に2度の優勝を飾っています。
1993年、前年度のF1ワールドチャンピオンであるナイジェル・マンセルがインディカー・シリーズにフル参戦するためにイギリスからアメリカへと渡ってきました。この年のインディカー・シリーズにはマリオ・アンドレッティ、エマーソン・フィッティパルディ、1981、83、87年の3度F1チャンピオンになっているネルソン・ピケ、エディー・チーバー、ロベルト・ゲレーロ、現インディカーチームオーナーのボビー・レイホール、ステファン・ヨハンソン、ダニー・サリバンなど、スポット参戦を含めるとF1グランプリ経験者が16人も出場していました。デビュー年にしてインディカーチャンピオンに輝き、史上3番目のダブルタイトルホルダーとなったマンセルは、2シーズンを戦った後にF1に戻りました。
マンセルと入れ変わる形でF1にチャレンジしたのが1991年インディカーチャンピオンのマイケル・アンドレッティでした。Andretti Autosportの現チームオーナーは、親子でのダブルタイトル獲得という大きな目標を胸に1993年のF1グランプリに挑戦しましたが、残念ながら1シーズンを戦い通すことができずに1994年にはインディカーに復帰しました。
カナダ出身のジャック・ビルヌーブは、1995年にINDY500で優勝してシリーズタイトルも獲得し、1996年にF1へと乗り込んでいきました。1977年から1982年までF1で活躍したジル・ビルヌーブを父に持つ彼は1997年にF1ワールドチャンピオンに輝き、史上4人目の両シリーズ制覇者となりました。
1999年にインディカーチャンピオンになり、2000年のINDY500ウイナーとなったコロンビア出身のファン・パブロ・モントーヤも2001年からF1で戦って7勝を挙げました。1996年にインディカーで走り、1997、1998年に2年連続でチャンピオンになったアレックス・ザナルディもF1出身ドライバーで、彼は1999年にF1で復帰しましたが、2001年にはインディカーへと戻ってきました。
5人のF1経験者が2022年のINDY500に挑戦
2022年のインディカー・シリーズにレギュラー参戦している中では佐藤琢磨(Dale Coyne Racing)、ロマン・グロージャン(Andretti Autosport)、マーカス・エリクソン(Chip Ganassi Racing)、アレクサンダー・ロッシ(Andretti Autosport)の4人がF1世界選手権への出場経験を持っています。5月29日に決勝レースの行われる第106回インディアナポリス500マイルには、F1グランプリでの優勝経験を持つファン・パブロ・モントーヤ(シボレー)もスポット参戦しています。
2000年代に入ってインディカーとF1のドライバーの行き来は減少傾向になり、佐藤琢磨が参戦を開始した2010年にF1経験者は佐藤ただ1人でした。それが2011年にはセバスチャン・ブルデイ、2012年にはルーベンス・バリチェロという2人の元F1ドライバーの参戦があり、2015年にはファン・パブロ・モントーヤがレギュラーに復活しました。
佐藤は2013年にインディカー初勝利をロングビーチで飾り、2017年に2勝目をINDY500で達成し、2020年にはINDY500での2勝目を記録しました。通算勝利数は現在6勝です。
2016年には、2015年にF1で5レースを走ったアレクサンダー・ロッシが母国のインディカー・シリーズへと参戦してきました。彼はルーキーイヤーにしてINDY500で優勝したのですが、これは記念すべき第100回大会で奇跡的な燃費作戦を成功させての劇的な勝利でした。
2017年にはF1で2005年と2006年にチャンピオンになっているフェルナンド・アロンソが、レギュラー参戦しているF1シリーズのモナコグランプリを欠場してINDY500にスポット参戦しました。彼は2019年に2度目のINDY500挑戦を実現しましたが、出場33台に入るのに十分なスピードをマークできずに予選落ちを喫しました。2020年、アロンソは3回目のチャレンジで2回目の決勝出場を果たし、21位で初めてのゴールを記録しました。
2019年にはスウェーデン出身のマーカス・エリクソンがF1からインディカーへとスイッチしてきて、シーズン終盤戦に珍しいことが起こりました。彼は契約していたF1チームからベルギーGPへのリザーブドライバーとしての参加を要請されたため、ポートランドでのインディカー・シリーズ戦を欠場し、代役のドライバーが必要とされました。2022年のインディカー・シリーズにレギュラー出場しているドライバーの中では、カラム・アイロット(シボレー)がF1チームとの契約下にあり、エリクソンのようにF1側の事情によってインディカーのレースを休む可能性を持っています。
2021年にはF1で10シーズンを戦ったロマン・グロージャンがインディカーにスイッチしてきました。デビュー年にはストリートコースとロードコースでのレースにのみ出場していましたが、2年目となる2022年からはオーバルレースも含めた全戦に出場することとなり、参戦初年度に実現できなかったインディカーでの初勝利を目指しています。
INDY⇒F1の流れは増加するか
ドライバーの移動において、F1サイドからインディカーへの流入が多いのは、インディカーのチームがF1での実績を評価し、自チームのマシンを委ねるドライバーを選んでいるからです。若手を起用する一方で即戦力も求めています。次世代を担うドライバーたちに関しては、F1を目指す若い人々の多くはヨーロッパを舞台としたステップアップシリーズでしのぎを削っています。F1ドライバーの大半は彼らの中から選出されていますが、近年はアメリカのインディカー・シリーズで目覚ましい才能を持つドライバーたちが台頭しており、その中から昨年はメキシコ出身のパト・オワード(シボレー)がF1テストのチャンスを与えられ、今年に入ってからはアメリカ人ドライバーのコルトン・ハータ(Andretti Autosport w/ Curb-Agajanian)がF1チームとテストドライバー契約を結んでいます。