アジアから世界へ Moto3ライダー 古里太陽
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アジアから世界へ Moto3ライダー 古里太陽

ロードレース世界選手権(MotoGP)のMoto3クラスに「Honda Team Asia」から出場する古里太陽は今、日本のレースファンはもちろんのこと、世界のレースファンが注目する若手ライダーの一人である。今年は世界選手権にデビューして4年目のシーズン。16戦を終えて2度表彰台に立ち、総合9位につけている。シーズンは残り6戦。今年目標としているチャンピオン獲得は難しい状況だが、ホームGPとなる第17戦日本GPでは、キャリア初優勝、そして今季3度目の表彰台獲得への期待が膨らんでいる。



彼は子どものころから、みんなに「太陽」と呼ばれた。さんさんと輝く太陽のようになれという願いが込められた、町内会の長老さんによる命名だった。家族全員、その名前が気に入ったし、太陽自身「自分の名前が大好き」だと語る。生まれたのは、日本列島の南に位置する鹿児島県鹿屋市。この街は錦江湾の東側の大隅半島にあり、活火山として有名な桜島が近い。桜島の一年間の平均噴火回数はおよそ200回。大きい噴火のときは何千メートルという高さの噴煙が立ち上ることもあり、子どものころから火山灰が飛んでくることは日常の出来事だった。さらに、日本の宇宙開発の拠点でもある“JAXA”施設も近く、小学校の教室からロケットの打ち上げを見学していたのだそうだ。

そんな環境で伸び伸びと育った太陽は、農機具の販売・修理などを営みながらバイクレースをしていた父・陽一郎さんの影響で、4歳からバイクに乗り始め、ゴルフも始めた。「興味を持つことはなんでもやらせてみたい」という陽一郎さんの教育方針で、6歳で体操とテニス、ピアノも習い始めた。

「バイクもゴルフも体操もテニスもピアノも、すべて自分がやりたくて始めました。その中でもバイクが最高におもしろかった」と太陽はバイクを選ぶことになるのだが、ポケバイ、ミニバイク時代は、体操で鍛えられたバランス感覚と身体能力の高さでライバルたちを圧倒した。その類まれな才能に注目したのが、元GP(グランプリ)ライダーの上田昇さん。彼の勧めで、多くのグランプリライダーを輩出している「鈴鹿サーキットレーシングスクール(現ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿)」に入学した。現在Moto2クラスに「IDEMITSU Honda Team Asia」から出場する國井勇輝も同スクールの出身である。


チームメートで、スクールの先輩でもある國井(写真右)
チームメートで、スクールの先輩でもある國井(写真右)

ここでめきめきと実力をつけた太陽は、2020年にアジア、オセアニア地区から選ばれた精鋭たちが戦うイデミツ・アジア・タレントカップ(IATC)のライダーとして選抜される。このシリーズはHondaと、MotoGPを運営するドルナスポーツが将来のグランプリライダーを育てようと始めたもの。マシンはHonda NSF250Rを使用し、ここからも多くのグランプリライダーが誕生している。24年のMoto2チャンピオンの小椋藍、23年のMoto3クラスでチャンピオン争いをした佐々木歩夢、そして現在、IDEMITSU Honda LCRからMotoGPクラスに参戦するソムキアット・チャントラもIATCから世界の舞台に飛び出したライダーたちである。

太陽もその一人だが、IATCに初出場した20年はコロナ禍でわずか1戦しか行われなかった。翌21年、仕切り直しとなったシリーズ戦で太陽は、7戦全勝でタイトルを獲得する。その圧倒的な速さはシーズン中から注目されて、グランプリと併催として行われる育成シリーズの「ルーキーズカップ」のイタリア大会にワイルドカードで招待される。その大会で、太陽はなんとデビューウインを達成してしまうのだ。

初めてのコースで優勝、という話はそれほど珍しくない。だが、シーズン途中に初めて経験するマシンでいきなり優勝するというのは、世界中から優秀な若手ライダーたちが集うルーキーズカップでは初めてのことだった。グランプリでもそうある話ではなく、パドックの関係者たちも、その速さに驚くことになった。

そうした才能が評価されて、22年は世界戦を戦うHonda Team AsiaのMoto3クラスのライダーに抜てきされる。Moto3クラスは、4ストローク250cc単気筒エンジンを使用、エンジンの回転数の上限が定められ、ライダーとマシンの総重量制限(152kg)を実施するなど、イコールコンディションを目指すカテゴリーになっている。こうして太陽は、大きな期待の中でグランプリキャリアをスタートさせた。


デビュー戦となった2022年第3戦アルゼンチンGPは17位でフィニッシュした
デビュー戦となった2022年第3戦アルゼンチンGPは17位でフィニッシュした

1年目の22年は、ほとんどが初めて経験するサーキットとあって苦戦し、総合27位と思うような結果を残せなかった。しかし、2年目の23年のタイGPでは2位で初表彰台を獲得して総合16位。3年目の24年には、カタールとドイツで2度の表彰台に立ち総合10位と成長を続ける。そして今年は、ライバルメーカーの速さとライダーの層の厚さの中で、どのレースもトップグループの争いに加わる奮闘をみせている。レース終盤に「どうしても勝ちたい」という気持ちが限界を超えてしまうからか、転倒やミスでポジションを落とすことも多い。しかし、そうした元気あふれる走りは、将来を嘱望されるライダーとしてますます注目を集めることになっている。

元世界チャンピオンで、所属するチームアジアの青山博一監督からは、毎年目標獲得ポイントを与えられる。デビューして昨年まではすべて目標を達成。今年の目標としている「250点」達成に向けて全力を尽くしている。

太陽の走りのよさは、ブレーキングからクリップまでの速さにある。通常よりもややインに入るのが早く、それが育成シリーズのIATCやルーキーズカップでは際立つ走りにつながった。しかし、世界のトップライダーが集結するグランプリでは、それがなかなか通用せず、試行錯誤が続いた。グランプリに参戦したころは、コーナーでクリップにつくのが早い分、コーナーで向きを変えるのが遅れ、結果的にアクセルを開けるタイミングも遅れる。その遅れを取り戻すためにブレーキングで無理をして転ぶことが多かったが、4年目のシーズンはその走りを最大の武器にしつつある。その走りが際立ったレースは数多くあるが、2位表彰台に立った第4戦カタールGPと、3位になった第15戦カタルニアGPは、ライバルメーカーのライダーを相手に、Honda勢としてまさに孤軍奮闘。その走りは大きな賞賛を集めている。

デビュー当初から太陽が目標とするライダーは、コーナリングスピードの速さが際立っていた世界チャンピオンのホルヘ・ロレンソさんだ。現在の太陽は、コーナリングスピードの速さとともに、ブレーキングからクリップまでの速さも身につけてきている。ライダーとしてはまだまだ発展途上ではあるものの、身体能力の高いトップライダーのような片鱗を感じさせるものになってきた。

世界の頂点を目指し、日々のトレーニングに励んでいる太陽。ヨーロッパラウンドでは、大会が終わったその日の夜、もしくは翌月曜日にチームの本拠地であるバルセロナに戻る。月曜日は休息日だが、その日から太陽のトレーニングは始まる。朝起きると自転車に乗って、軽く50キロ、70キロを走ってくる。まさに「朝飯前」のトレーニングを終えて、遅めの朝食をとるとアパートで軽く仮眠する。夕方になるとジムに行ってフィジカルトレーニングを実施、もしくはバルセロナ市内から近いダートコース場、モトクロス場に行ってバイクトレーニングに励む。そして火曜日から金曜日までの4日間は、チーム合同トレーニングに参加するのだ。


ダートトラックでのチーム合同トレーニング
ダートトラックでのチーム合同トレーニング

いま最も回数が多いバイクトレーニングは、カタルニアサーキットに近いダートコース場で行われるトレーニングで、18時ごろから22時ごろまで黙々と走り込む。夏のバルセロナは日中の気温が高いため、夕方から走ることが多くなるのだが、連日充実したトレーニングになっている。元世界チャンピオンの青山博一監督が現役時代に経験してきたこと、さらに、こうしておけばもっとよかったかもしれないという反省が活きている。自転車、ジム、バイクトレーニングに加え、時には、近隣のサーキットへとスポーツ走行に出かける。今年はHonda CBR600RRに乗っての走行も多く、Moto3より大きくて速いバイクに乗ることで、ライディングの幅を広げようとしている。


CBR600RRでのトレーニング風景
CBR600RRでのトレーニング風景

「毎日いろんなメニューでトレーニングしているので飽きることはないです。チームメートはもちろんのこと、バルセロナは本当に多くのGPライダーたちが住んでいるので一緒にトレーニングする機会も多い。Moto2クラス、MotoGPクラスのライダーたちと一緒に走ることも多いし、得るものはたくさんあります」
こうした経験は、シーズンオフやサマーブレイクで日本に帰国したときにも活きる。とにかく一日でも多くバイクに乗るための環境を整えるべく、生まれ育った鹿児島を拠点に、九州にあるいくつかのサーキットにスポーツ走行に行き、モトクロス場、ダートコースで腕を磨く。時には関東に遠征して、チームの先輩である小椋や國井らと一緒にバイクトレーニングをすることもある。太陽は、「1年が本当に早い。なんにもできないうちにもう4年が過ぎようとしている」と笑うが、もっと速く、誰よりも速く走りたいという思いで、バルセロナでも日本でもトレーニングに励んでいるのだ。
太陽のゼッケンは「72」。7月12日の誕生日から「7」と「2」を取って「72」とした。そして、「チャンピオンになれたら、7と2の間に1を入れて7月12日の誕生日を完成させたい」と笑う。この世界では“速いやつは最初から速い”というのが決まり文句である。Hondaの育成シリーズで圧倒的な速さをみせた太陽は、世界の舞台でも着実に成長を遂げてきた。そんな太陽が、世界の舞台でさんさんと輝く日はいつなのだろうか。まずは今年の日本GPで表彰台のてっぺんに立つ太陽を見たいと、日本のファンの多くが思っているのではないだろうか。



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