HRC開発ライダー 中上貴晶選手 独占インタビュー
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HRC開発ライダー 中上貴晶選手 独占インタビュー

中上貴晶は1992年2月9日に千葉県で誕生した。4歳でポケバイに乗り始めて以来、ミニバイクを経て13歳で全日本ロードレース選手権(JRR)にスポット参戦。14歳でJRRのGP125クラス全戦全勝を成し遂げ、最年少チャンピオンに輝いた。16歳でロードレース世界選手権(MotoGP)の125ccクラスにフル参戦を開始。Moto2クラスを経て最高峰のMotoGPクラスでは7シーズンを戦った。

2025年、中上は次の挑戦を開始した。HRC開発ライダーとしての活動である。



《Hondaの起死回生の策》

コロナ禍で世の中の動きが止まり、国内の移動すら難しくなった2020年。MotoGPクラスの開幕は7月という異例のシーズンになった。この時Hondaのエースライダーだったマルク・マルケスが転倒し、負傷。マルケスは完全復帰までにおよそ2年の月日を要した。

ヨーロッパとの行き来に制限をかけられた日本勢に対し、ヨーロッパ勢はほとんど制限なく、現地で新しい開発をすることができた。特にドゥカティが始めた空力デバイス、ウイングレットは進化し続けた。すぐに追従したヨーロッパ勢。活発化したヨーロッパメーカー間のエンジニア移籍も加勢し、空力部門の重要性が増した。

Hondaはマルケスの不在、コロナ禍での停滞と大きな2つの落とし穴によって、苦戦を強いられることになった。中上へのHRC開発ライダーとしての依頼は起死回生の策だった。

「スピードが足りなくてリザルトが悪い訳ではありませんでした。Hondaも僕にしっかりスピードがあるから、こういう役割を与えてくれたのだと思ったので、HRC開発ライダーになることを決断しました」

「30歳を越えたあたりから次の人生というか、そういうことを意識するようになったんです。そういう意味ではタイミングとしてはベストだったと思います。すごいリザルトを残すことはできなかったけれど、やるべきことはやったという思いはあります。この数年は苦戦していたけれど、自分に対してはネガティブな部分はないです」

ライダーとしての能力が衰えた訳ではない。レギュラーライダーという肩書きからHRC開発ライダーという役職に変わっただけ。それでも一つの区切りではある。

「Moto2クラスからMotoGPクラスに上がった初年度は別世界でした。同じパドックにいるけれど、見える景色、仕事、なにもかもが違い、圧倒されました。一番上のクラスってすごいなって。Moto2で足りないものはなにもなかったけれど、MotoGPは何事においてもライダーファースト。プロモーションも増えて、あっちでもこっちでもって、やらなければならない役割が増えました。大変だったけれど、おもしろかったです」



《ベストとワースト》

125ccクラスで2年、Moto2クラスは6年、MotoGPクラスは7シーズンを戦った。

「忘れられないのは、グランプリで初優勝をした2016年アッセンGPのMoto2クラスでのレースです。ずっとバイク一筋でやってきて、世界に挑戦できた。その世界戦で初優勝できたのは、すごく大きかったです。いつ振り返っても出てくる、いい思い出です。長い時間がかかったからこそ、重い1勝でした。そこは忘れられないです」

「逆に一番悪い思い出のレースは2020年のMotoGPクラスでポールポジションを獲得したテルエルGPです」

ポールポジションからスタートした決勝ではオープニングラップで転倒を喫した。

「夢を見ているみたいでした。何だったんだろうなって…」

だが、悔いはない。

「もし仮にレギュラーライダーを終えて業界を離れるとか、もうMotoGPマシンには乗れないとなったら、悔いはあったと思います。でもそうじゃないから、悔いは全くないです。自分が過ごしてきた時間、やってきたこと、成し遂げたことを全部の角度から見て、なにも悔いはないです」



 《HRC開発ライダーの現場仕事》 

昨年の最終戦でレギュラーライダーとしての仕事を終えた。翌日から早速、HRC開発ライダーとしての仕事が始まった。 

「海外レースは14歳の時にスペイン選手権に行き始めてから。そのころは英語が全く分からず、言いたいことが言えずに大変でした。海外に行きっぱなしではなかったから、なかなか身につかなかったんです。少しずつ話せるようになっても、聞かれたことには答えられるけれど、会話を広げることができずにストレスでした」 

「今考えるとMotoGPクラスに上がってメディア対応があったりSNSコンテンツがあったりで英語を話す機会が増えてから上達したように思います。Moto2時代はパルクフェルメに入れれば英語のインタビューがあったのですが、結果が残らなければ全くない。MotoGPで英語で会話する頻度が増えて、いろいろなことを聞かれて、常に英語で話すようになりました。それで自然とボキャブラリーも増えました」 

チーム内での会話は、一般の英会話能力とは違うところを求められる。 

「剛性を語る時に『ハード』という単語は使いません。タイヤも同じ『硬い』という言葉でも違う単語を使うこともあります」 

そこも、中上がHRC開発ライダーとして加わる大きなメリットになる。 

「昨年12月から今年2月まではヨーロッパテストチームと日本人スタッフと一緒に、タイのブリラムテストとマレーシアのセパンテストに参加しました。通訳の役目も担いました。現場は経験が浅い人も多いし、バイクに乗ったことのない人もいます。そういう人たちにとっては、英語での細かい話は伝わりにくいです。『この人は何の仕事で、なにをメインに見ているのか』というのを把握して、伝えるようにしています」 

これまでなかったことだ。 

「昨年までは専門の人との接点はありませんでした。HRC開発ライダーになって初めてバックグラウンドを見ました」 

「ライダーとしてはバイクが曲がる感覚があるけれど、データ解析からすると曲がっていないという現象もあります。バイクが倒れやすくなっているけれど、旋回だけでいうと、そこまでバイクが曲がっている訳ではない。ライダーは『舵角が得られて倒れたらいい』と感じますが、重要なのはその先です。データでは1次旋回はあるけれど、後は惰性で旋回しているんです」 



《走行の仕事》

HRC開発ライダーの仕事はサーキットだけではない。

「HRCでミーティングをしたり、テスト時の写真や映像、データを見ながら僕のフィーリングがどうなのかも説明します。スタート一つとっても、スタート専門スタッフが理解できるまで時間をかけて説明します。そのスタートのテストも座る位置を変えたり、片足だったり両足だったりといろいろなスタイルでやります。昨年までは、自分の感覚で座りやすさや重心を考えていましたが、スタート時のポジションが変わったりと時代で変化しています。今はライドハイトデバイスによってドラッグレースみたいに低い位置からのスタートです。両足をついた方がいいのではないかとか、両足をつくにはシート幅がどうとか、人によって手足の長さが違うからいろいろな要望があって、それに合わせていろいろやっています」

スタートだけでも、多くの時間をつかって改良が施されている。

「クラッチを切った時の滑り止めをテストした時、真横からの映像とデータを見ると、ライダーとしての感覚は動いていなくても、クラッチを切ってギアを入れた瞬間に2センチ動いていました。その2センチの分だけ重心が後ろにいくと、フロント荷重が何パーセント薄くなる、みたいな話なんです。自分がレギュラーライダーだった時には見えない、分からない部分が見えてきて、より一層、走ることに対する大事さが伝わります。はっきり自分で確認できました」

オーバルコースでのテストも初体験した。

「今までは社員の人がテストしていたようです。オーバルコースで『時速何キロで、このバンク角でお願いします』みたいに言われます。『行けない部分でも技術で行けますよね!?』って言われます」

いろいろな経験を重ね、いろいろな角度から見直して、中上はHRC開発ライダーという仕事のおもしろさをかみしめている。

「Hondaの人たちから選ばれたというのは、勝負をかけているんだなって思います。これまでのHondaでは、現役MotoGPライダーをHRC開発ライダーに起用するという前例はなかったことです。『中上を走らせて開発スピードを上げましょう』ということです。自分としてもうれしいし、期待されていると感じるし、自分の能力を信じて役割を振ってくれている。今後もいろいろなチャンスをもらいたいし、どんどんやって、どんどん幅を広げていきたいです」

中上とエスパルガロの二人は、直前まで現役でMotoGPを戦っていた。その二人が開発を担当するというのは、Hondaとしても相当な力の入れようであることは間違いない。



《見え始めたトンネルの先》

すでに中上を開発チームに投入した成果が現われ始めた。ファクトリーライダーのルカ・マリーニが開幕から7戦連続でポイントを獲得。さらに昨年まで中上のチームメートだったヨハン・ザルコが第6戦フランスGPで優勝を飾ったのだ。これはHondaにとって2年ぶりの勝利だった。

同時に、HRC開発ライダーとして初のワイルドカード参戦を果たした中上も、6位フィニッシュという好成績を残した。

「ワイルドカード初戦で、これほど荒れるレースは全く予想していませんでした。もっと速く走れた部分はあったのですが、自分がやるべき仕事である『フィニッシュすること』をメインに考えて落ち着いてマネジメントしました。6位という結果は、かなりのサプライズです。しっかりマシンを持ち帰ることができたのはよかったし、それに加えてみんなも自分も思っていなかったような成績を持って帰れました。レース終盤は周回数をカウントダウンして、フィニッシュすることだけを考えていました。こんな荒れたレースで生き残れてよかったです」

中上とともにHRCテストライダーとして仕事に就いたのはアレイシ・エスパルガロ。

「アレイシも僕も『これ、やっといて!』って言われたらカチンとくるタイプです。そういう2人が入ったから、ワイルドカード参戦に対して中途半端にはできないと思います。テストチームもスイッチが入るような、そんなワイルドカード参戦がしたいです。『テストチームもぬるくはやってないぞ』というところをみせたいです」

今、中上貴晶も、HondaのMotoGPチームも変化の時を迎えている。



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