東南アジア初のMotoGPライダー ソムキアット・チャントラ選手 独占インタビュー
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東南アジア初のMotoGPライダー ソムキアット・チャントラ選手 独占インタビュー

《東南アジア初のMotoGPライダー誕生》

「今週末の開幕戦で僕は皆のためにレースをするつもりだ。僕のファンや家族、Honda、これまでお世話になったすべての人たち、母国タイという国、そして僕自身のためにね」

2025年2月28日から3月2日にタイのブリラムにあるチャーン・インターナショナル・サーキットで行なわれたMotoGP開幕戦タイGP。タイ人初のMotoGPライダーとなったIDEMITSU Honda LCRのソムキャット・チャントラは、レースウイークの直前にこう語った。

アジア圏の中でもモーターサイクルスポーツ熱が高まっているタイでは、チャントラの今後の活躍に大きな期待が寄せられている。マレーシアのセパンとチャーン・インターナショナル・サーキットで行なわれたシーズン開幕前のテスト。その合間にタイの首都バンコクで行なわれたシーズンローンチイベントには大勢のファンが詰めかけた。タイ名物の三輪車、トゥクトゥクに乗るライダーたちとそれに牽引された22台のMotoGPマシンによる市内のパレード。その後、ライダーたちは著名な商業施設、ワンバンコクのステージに上がり、集まったファンの声援に応えた。晴れの舞台でひと際熱い歓声を浴びていたのが地元のチャントラだった。



《イデミツ・アジア・タレント・カップ》

1998年12月15日にタイのチョンブリーで生まれたソムキャット・チャントラは、子供のころに両親に勧められてバイクに乗るようになった。そんなとき、家の近くのサーキットで、Hondaがレーシングスクールを開催していた。

「受講料はそれほどに高くなかったし、ヘルメットとライダースーツだけ用意していけば参加できたんです。サーキットの走行はそこで覚えました」

ちょうどそのころ、MotoGPの運営会社であるドルナにHRCが協賛して、アジア、オセアニア地域の才能ある若手ライダーを育成するというプログラムに着手していた。それが、アジア・タレント・カップで、当初はシェルアドバンス・アジア・タレント・カップで、2017年からはイデミツ・アジア・タレント・カップと名づけられた。

「Hondaのスクールで1年走って次の年、アジア・タレント・カップに選抜されました」

2014年に始まったこのシリーズは、ライダー全員がHonda NSF250Rに乗り、タイヤもワンメイク(現在はピレリ)を使用する。レザースーツやヘルメットまで皆同じものを使うため、勝敗を分けるのはライダーの実力のみというイコールコンディションで、タフなシリーズとなっている。

毎年マレーシアGPのウイークにセレクションが行なわれる。200名近くのライダーが書類選考にて選ばれ、最終的には前年からの残留やリザーブ含め約20名でシリーズを戦う。シリーズの開催地はマレーシア、タイ、インドネシア、カタールや日本を含み、年12戦がMotoGPや他のレースに併催して行なわれている。

将来有望な若手ライダーが切磋琢磨するアジア・タレント・カップ。ここでチャンピオンになるとFIM JuniorGP世界選手権(当時はFIM CEVレプソルインターナショナル選手権)やMoto3クラスにステップアップすることができるので、ロードレース頂点のMotoGPクラスを目指すライダーたちにとっては登竜門となっている。

「タレント・カップのレベルはとても高いよ。アジアの国々から若くて才能のあるライダーが続々と集まってくる。僕もタレント・カップを通じて多くのことを学んだんだ」

そう語るチャントラは2013年末に行なわれたセレクションで好タイムをたたき出し、初代メンバーに選ばれた。そして、14年にはランキング11位、15年には同12位となり、16年には3勝を挙げてチャンピオンに輝いた。ちなみに14年のチャンピオンは鳥羽海渡、15年は佐々木歩夢と、その後Moto3やMoto2で活躍する日本人ライダーたちもステップアップの場としてタレント・カップに参加していた。

その後、チャントラは2017年と18年にFIM CEVレプソルインターナショナル選手権に昇格。18年のタイGP、Moto3クラスにワイルドカードで出場し、9位に入ってポイントを獲得。このときからチャントラの名前が世界の舞台で知られるようになる。その翌年の19年にはMoto2クラスにIDEMITSU Honda Team Asiaから参戦することになった。



《2022年インドネシアGPで初優勝》

2019年にIDEMITSU Honda Team Asiaのメンバーとなったチャントラにとって、これまでで一番嬉しかったレースはどれなのだろうか。

「2022年のインドネシアGP(マンダリカ)でMoto2クラス初優勝できたときは本当に嬉しかった」と語るチャントラは、2位に入ったチェレスティーノ・ヴィエッティに3.2秒の差をつけて堂々の優勝を果たした。

さらにチャントラは2023年の日本GP(もてぎ)でもチームメイトの小椋藍を破って優勝している。このときは、もてぎが小椋の地元で日本のファンの大半が小椋を応援するというアウェーの状況だったのにもかかわらず、チャントラはひるまなかった。

チャントラと小椋藍は2021年に小椋がIDEMITSU Honda Team Asiaに加わって以来23年末までの3年間チームメイトとして一緒にMoto2クラスで戦ってきた。ちなみに小椋は24年に別のチームへ移籍し、Moto2クラスチャンピオンに輝いている。そして25年にはチャントラはIDEMITSU Honda LCRから、小椋はトラックハウス・アプリリアからとチームこそ違うが二人同時にMotoGPクラスに昇格したのだ。

ロードレースをやっているライダーなら誰でも夢見るMotoGPクラスへの参戦。当然チャントラもアジア・タレント・カップに出ているころから、いつかはMotoGPで走りたいと考えていた。だから、中上貴晶がレギュラー参戦を止めたため、誰かがLCR Hondaに入ってMotoGPクラスに出場するという話が出たときには、自分が選ばれるかどうか分からず、ドキドキして朗報を待っていたという。

「MotoGPクラスで走れると聞いたときは本当に嬉しかった。その前にHondaが誰をMotoGPクラスに昇格させるかミーティングで話をしているのを知っていたから、ずっとドキドキしていた。僕に決まったと聞いて、すぐに母に電話したんだ。母も大喜びしてくれたよ」

チャントラの父と二人の兄弟(姉と弟)は逝去してしまったが、今では母ともう一人の姉、そして姉の二人の息子がチャントラのレースを応援している。どうやら二人の甥はチャントラの熱烈なファンのようだ。MotoGPクラスに昇格できると聞いて、母は泣いて喜んでくれたという。



《MotoGP初ライド 開幕前テストで》

開幕戦タイGPの前に行われた三日間のセパンテストと二日間のブリラムテストでチャントラはどのようなことに気をつけたのだろうか?

「MotoGPマシンはMoto2マシンとまったく違う。初めてセパンでMotoGPマシンに乗ったときには、落ち着いていこう、と自分に言い聞かせていた。すべてが新しいからマシンのことを理解するように努力したんだ。セパンの最終日にチームが新しいパーツを持ってきてくれた。テストは順調ですごくハッピーだった」

「Moto2マシンと一番の違いはMotoGPマシンにはトラクションコントロールがあることだ。あと、タイヤマネージメントも難しい。今は一つずつ学んでいるところなんだ」

昨年までIDEMITSU Honda LCRにいた中上貴晶が、今年はHondaのテストライダーになった。その中上がセパンではコースサイドでチャントラの走りを観察していた。

「そう、セパンでは中上がコースサイドで見てくれていた。ピットに戻ると色々アドバイスしてくれた。MotoGPマシンの特徴や走らせ方、タイヤマネージメントのことやセーフティのことを話してくれたんだ」

今後ラップタイムを詰めていくうえで重要なことは?

「僕の場合、コーナーの出口、つまり立ち上がりで加速していく部分を改善することが重要だ」

テスト中、コース上で過去に6回MotoGPチャンピオンになっているマルク・マルケスの走りを見てどう思ったのか?

「マルケスはコーナーですごく速かったね」

チームメイトのヨハン・ザルコ(CASTROL Honda LCR)をはじめ、他のHondaライダーと話はしたのか?

「ザルコはチームメイトなので色々話をした。僕の前や後ろを走って僕のライディングを見てくれ、アドバイスもしてくれた」。

今年はチャントラの他に小椋藍(アプリリア)とフェルミン・アルデグアー(ドゥカティ)の二人もルーキーとしてMotoGPクラスに参戦する。ルーキー・オブ・ザ・イヤーでライバルとなるこの二人のことについてどう思ったのだろうか。特に小椋とはチームメイトのときから仲良くしている。

「小椋とは会うと色々話しているよ。二人ともMotoGPマシンは初めてだから意見交換しているんだ。当然小椋はライバルだけど、僕は自分のベストをつくすだけだ」

MotoGPマシンを操ることはMoto2より体力的にハードだが、チャントラはオフの間に特別なトレーニングをしたのだろうか?

「上半身を鍛えるトレーニングを行なっている。MotoGPマシンに乗るためには上半身の筋肉を鍛えて上手に使うことが大切なんだ」



《開幕戦タイGP MotoGPデビュー》

2025年シーズンの開幕戦、タイGPには三日間を通して22万人以上の観客が集まった。グランドスタンドでひときわ目立っていたのは赤地に35(チャントラのゼッケン)の入ったTシャツを着たチャントラファン。レースのスタート前には巨大な35のフラッグを皆で協力してグランドスタンドに掲げていた。タイ人初のMotoGPライダーということで、チャントラはオートバイ業界以外でも有名になり、テレビ番組にも何度も出ていたという。また、タイ国内におけるモータースポーツの人気もうなぎ上りになっているのだ。

タイGPでチャントラの成績は予選が21番手だったが、土曜日に行なわれたスプリントでは19位。36℃という猛暑の中、26周で行なわれた日曜日の決勝レースでは18位だった。

ポイントは取れなかった。だが、貴重な経験を得ることができた。

「地元のファンの前で走れたのは素晴らしい経験だった。タフなレースだったけど、ミスをしないように心掛けたんだ。ベストをつくしたよ」とチャントラ。

皆のために全力で走ったチャントラは、レースを終えてさわやかな笑顔を見せていた。チャントラの挑戦はまだ始まったばかりだ。



文:富樫ヨーコ


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