
SMX(スーパーモトクロス)250クラスを制し、日本人として初めてのタイトル獲得という快挙を成し遂げた下田丈選手が、今シーズンを振り返るスペシャルインタビュー。熱戦の舞台裏や来季への思いを語るチャンピオンの飾らない言葉には、高いプロ意識と周囲への感謝の気持ちがあふれていた。
《ベストパフォーマンスを発揮すれば、タイトルを獲れる》
Q. スーパーモトクロス初制覇おめでとうございます。250SMXワールドチャンピオンになった今、日本で過ごすシーズンオフはどうですか?
A. ありがとうございます。ようやくタイトルを一つ獲ることができたので、例年のオフより達成感があります。同じ志を持った人たちのサポートによって実現できたことなので、チームスタッフ、スポンサー、ファンの皆さん、そしてなによりも家族に対する感謝の気持ちでいっぱいです。
Q. レース現場には、いつも下田ファミリーが応援に駆けつけていましたね。
A. 全レースというわけではありませんが、最終戦ラスベガスには両親と妹、祖父母が来てくれました。僕自身はチャンピオンになっても意外と冷静だったんですが、みんなが喜んでくれるのがうれしかったです。
Q. 意外と冷静だったというのは、観衆やメディアも含めた現場の盛り上がりと比較してのことですか?
A. 「日本人初の快挙」とか「賞金どうする」とか言われましたが、僕にはそういう価値観は全くなくて、ただ欲しかったタイトルを手に入れたという事実だけなんです。今までは候補の一人と言われながら、なかなかチャンピオンになれなかった。なにか欠けている部分があったからだろうと考え、ずっと勉強してきました。今回のSMXでは、3戦すべてをハイアベレージでまとめられた。自分のやるべきことをやってベストパフォーマンスを発揮できたら、タイトルを獲れることが分かりました。これは大きな自信になります。達成して初めて得られた手応えであり、一番の収穫です。
《第1戦シャーロットで痛恨のクラッシュ》
Q. SMXは3戦で雌雄を決するプレーオフですが、今年は第1戦シャーロット、第2戦セントルイス、最終戦ラスベガスまで、いろいろハプニングがありました。
A. そうですね。SMXは2モト制なので、スーパークロス6戦分を3週間に凝縮したような短期決戦、しかも250の場合イーストとウエストのトップライダーが集まるので、競争率が高いことは確かです。シーズン中のスーパークロス10レース、アウトドア22レースと比べると、ミスしたら挽回できないのがSMXなのですが、いきなりやらかしてしまいました。
Q. シャーロットのモト1開始早々、セス・ハメイカーとトップ争い中のクラッシュですね。
A. シャーロットのレイアウトは今年もトリッキーで、二手に分かれて合流するスプリットスタートだったのですが、割とうまく飛び出せて4番手あたりでした。そこからすぐにトップのハメイカーに追いついたので、早めに前に出ようと焦ったのでしょう。それであのコーナーの突っ込みで勝負しました。ハメイカーがもっと引くかと思ったんですが、お互い譲らずに進入した結果ちょっとハンドルが当たって、イン側にあったタフブロックにフロントフォークカバーを引っかけてしまったのです。転倒後は追い上げましたが、4位まで来たところで時間切れという感じでした。
Q. パッシングポイントは他になかったのですか?
A. 何ヶ所かありましたが、後ろからへイデン・ディーガンが迫ってくるだろうし、早く抜いてリードを広げたい気持ちになってしまったんでしょうね。あそこはハメイカーが寄せてきたわけではなく、ただ彼自身のラインを守っていただけでした。完全に自分の判断ミスによる転倒です。あと20分あったのだからもっとじっくり見て、余裕のあるパッシングチャンスを待つべきでした。ケガしなかったことが不幸中の幸いです。

《いつでも頭にあるのは、目の前の勝利だけ》
Q. トップ争いから転倒後は11番手…。心中穏やかではなかったでしょう。
A. 特に落胆することもなく、挽回できると考えていました。スーパークロスと比べてコースも時間も長いので(SX=15分+1周、SMX=20分+1周)。ただ、転倒でフロントブレーキレバーが下がったのでハードに突っ込めなくなり、ペースを取り戻すのに時間を費やしました。追い上げて4位でフィニッシュしたんですが、前のリーバイ・キッチンがペナルティーを受けたため、リザルトは3位に上がりました。
Q. その後、雷雨でモト2のスタートが遅れ、最終的にキャンセルになりました。
A. 雷が止むのを待つ間は、集中を切らさないように準備していました。正直、どっちでもよかったです。中止なら中止でいいし、走れと言われたらマディになっても走ります。プロフェッショナルライダーなので。
Q. モト2がキャンセルされなかったら、モト1のリベンジができたのでは?
A. モト1の失敗を取り返そうとか、そういう思いは全くなかったですね。僕はいつでもレースバイレースで、目の前の勝利しか頭にありません。だからプロモトクロスでも「総合優勝できそうだから2-2でもOK」というような考え方は、あまり馴染めないんです。シャーロットでは、モト1のリザルトがそのまま総合成績になりましたが、それはそれとして素直に受け入れました。
Q. スーパークロスとプロモトクロスのポストシーズンに行われるSMXでは、両者を融合したようなコースが設定されていますが、サスペンションはどのようにセッティングするのですか?
A. シャーロットでは、走行時間をすべてサスセッティングに費やしていました。金曜のプレスデーには練習走行が10分×2回、土曜はタイムクオリファイ15分×2回、全部で4セッションあるので、少しずつアップデートして合わせていけるんです。僕のやり方としては、スーパークロス用セッティングから始めて、徐々にアウトドアのスピードに合わせてソフトにしていった。元々自分用のセッティングは硬めだったんですが、もっと詰める余地があります。理想のセッティングというところまでは行ってなかったんですが、トップランナーと同じペースで走れるレベルには達していました。

《発熱にも負けずレッドプレートを獲得》
Q. シャーロットはドラッグレース場でしたが、第2戦セントルイスは馴染みのあるドームスタジアムで開催されました。
A. セントルイスのコースはハイブリッドなレイアウトで、どっちかと言うとスーパークロス寄りの、僕が思い描いていたSMXコースのイメージに一番近いものでした。難易度はそれほど高くなかったのですが、実は体調が悪くて大変だったんです。カゼなのかインフルエンザなのか、体温を測ったら38.6度の熱があって…。寒気じゃなく身体が熱すぎたので、クールベストを着て、首にはアイスバッグを当てていたほど。それでもプロのレーサーとして、休むという選択肢はありませんでした。
Q. 強行出場しても大丈夫だったんですか?
A. 身体は火照っていますし、ライディング中は視野が狭くなったり、全身に力が足りなかったりという状態でした。リズムセクションや衝撃の大きいジャンプの着地など、要所で集中して踏ん張りながらフラフラと…。スーパークロスでタイムを詰めるには、バンクに当てて向きを変えたりするものですが、ハードブレーキングの動作が辛かったので、あまり減速しないでコーナーに進入し、そのままスピードを活かして立ち上がるみたいな走りをしていました。
Q. そんな状態で得た総合優勝(2-2)によって、ポイントリーダーに躍り出たことがこのセントルイスの成果でした。ライバルのディーガンが5位(1-14)、トム・ヴィアルが3位(10-1)と荒れたのとは対照的に、ハイスコアを並べたことが首位の証しであるレッドプレート奪取につながったわけです。
A. 2-2は意識してそろえたものではなく、モト1でもモト2でも2位止まりだったというのが正直なところです。本当はディーガンもヴィアルも抜きたかった。でも自分のライディングに限界が来ていたら、無理してクラッシュするのはよくないので、安全マージンを残して走るものです。総合優勝を獲るためではなく、転倒しないために。オーバーオールは結果に過ぎません。

《最終戦はモト1の勝利で圧倒的優位に》
Q. 翌週のラスベガスまでに体調は回復しましたか?
A. カゼが治ったとはいえ、発熱で相当エナジーを消耗したらしく、身体がフワフワしていました。だから平日の練習は休んで、サイクリングとジムに行っただけです。ただし、450には少し乗りました。パラでネイションズ用CRF450RWEのテストをやったからです。サスペンションのセッティングと、スタート用マッピングの調整。1~2周を10セッションぐらいなので、走り込みというレベルではなかったですね。ラスベガスの準備はなにもしていません。250の仕様はセントルイスのままでした。
Q. レッドプレートに換装されたマシンで最終戦を迎えた心境は?
A. 10ポイントのリードを意識することもなく、フラットな自然体。いつも通りレースバイレースというスタンスで、緊張もプレッシャーも感じませんでした。
Q. モト1は見事なスタートトゥフィニッシュでした。
A. これで勝ったと思いました。モトウインによって、自信とその日の流れをつかんだ手応えを感じました。病み上がりの身体だったけれど、モト1は絶対に勝つと決めていたんです。勝てば相手にはプレッシャーになるだろうし、圧倒的優位に立てる。もし、モト1は手堅く上位に入っておいてモト2で勝負しようなんてプランだったら、チャンピオンになれたかどうか怪しい。ホールショットからトラブルに巻き込まれることもなく走れたので、それが勝因の一つだったと思います。終盤はディーガンが迫ってきたけれど、逃げきることができました。
Q. モト1の後、メカニックとどんな話をしましたか?
A. ライディングも悪くなかったし、この調子で行こうとか…。あと、あの日は暑くてクオリファイの時より路面が乾いた結果、モト1ではフロントのグリップが不足ぎみでした。バイクの姿勢的にはリアが低く感じたので、もっとフロントを重視する方向でアジャストしてもらうようメカニックに頼みました。

《涙を流して喜んでくれる人たちが、自分の宝》
Q. モト2は、ディーガンが先行する展開になりました。
A. ゲートピックはモト1の順番で選ぶのですが、1番目だったのに失敗してしまいました。サイティングに出たら、ゲートの先の掘れた轍があまりよくなかったのです。きれいに見えたんですけど、実際は思ったよりも深くて、かぶせた土の表面がきれいに均されていた。僕の轍は真っ直ぐで深く、ディーガンの轍は荒れていたけれど浅かったんです。だからスタートではディーガンが前に出た。彼のジャージが派手だったので、どこにいるか瞬時に把握できたし、追いつくとスローダウンしてすんなりと前に出してくれるじゃないですか。どういう意図があるか明らかでした。
Q. 下田選手が総合2位でもタイトル決定という状況だったので、自力逆転の可能性が消滅したディーガンとしては、なにかハプニングが必要だったわけですね。
A. 前に出たら2~3周スパートして少し離せたんですけど、すぐに追い付かれてアタックが始まりました。レース前は冷静でしたが、さすがにバトルの最中はナーバスになりました。何回か当てられながらこらえたんですが、最後は2台とも転倒してしまって…。
Q. 後ろからのアタックをうまくかわしたりしていましたが、来るのが見えているのですか?
A. まあ、見えなくても音や気配で分かります。それにパッシングチャンスというか、例えばコーナーでインを空けるなど隙を見せれば、そこを突かれるのが当然です。だから倒されることも想定内でしたが、コースアウトしてコンクリートに当たってレバーが折れるとか、フットペグがタフブロックに引っかかるとか、そういうことだけは避けたいと思っていました。
Q. 両者転倒後は、リスタートが早かったですね。ディーガンは負傷リタイアとなりましたが…。
A. 実はあの時、ディーガン車の硬い部分に左足が当たって、ふくらはぎがしびれてしまったんです。走り出してから3~4周はペースが落ちて、ヴィアルにかわされるほどでした。だんだん回復してきたので、最終コーナーで抜き返しましたけどね。
Q. あのチェッカー目前のラストパッシングによって、総合2位(1-3)から総合優勝(1-2)にジャンプアップしたので、タイトル獲得にふさわしいフィニッシュとなりましたね。
A. そうですね。抜かなくてもOKではなくて、なにがなんでも抜いてやるという気持ちが形になったようです。それにしても、250チャンピオンだからでしょうか。思っていたほど感激しないのは、まだ通過点だからなのかなぁ。450だったらもっと気持ちが高揚するのかなぁ。そんなことを考えてしまいました。もちろんうれしいんです。涙を流して喜んでくれる人たちに囲まれている環境が大事。自分の宝だと思っています。
Q. 表彰台の裏にマシンを止めた時、真っ先に駆け寄って祝福してくれたのは、トレーナーのジョー・キャンセリエリ氏でした。
A. ジョーはフィジカルトレーナーで、日々の身体作りやコンディショニングの面で頼りにしています。実はこれまでお世話になったライディングコーチとの契約は昨年限りにして、今シーズンからフィジカルトレーナーだけに絞ったんです。レース本番のライン取りなどは、コーチに教わるよりも自分で考えた方が楽しいじゃないですか。

《CRF450RWEに乗り換えMXoNに参戦》
Q. SMXの翌々週に開催された、MXoN(モトクロス・オブ・ネイションズ)では、日本代表のオープンクラスを担って、団体総合11位という成果に貢献しました。CRF250RWEからCRF450RWEに乗り換えての参戦でしたが、密かに練習していたのですか?
A. いいえ、450に乗ったのは、パラでテスト1日、フロリダの家に帰って練習2日、トータル3日だけです。
Q. 450でのレース経験は、2022年の名阪(JMX)と2024年の川越(JMX)だけでしたか?
A. その通りです。間違いありません。
Q. 強豪ひしめくネイションズで初めて450に乗り、シングルフィニッシュ(2位/6位)を刻んだジョー・シモダの走りに、世界中が度肝を抜かれました。
A. いや、そうでもなかったでしょう。もっと攻めることはできたんですけど、ミスってチームジャパンに迷惑をかけるわけにはいかない。だから安全マージンを残して、控えめに走っていました。特に最後のレース3では、身体が辛かったので抑えました。イーライ・トマックとのレースは初体験で、楽しかったですけどね。
Q. 450へのスイッチは、それほど簡単なものなのでしょうか?
A. たぶんCRF450RWEが、非常に乗りやすかったこともあると思います。車体のセットアップを250の本番車に近づけてもらったので、すぐに慣れました。もちろん250に比べると重い。ウエイトだけでなく、ジャイロとかモーメントのような重さを感じますね。
Q. 450の乗り方は、250とどこが違うのでしょうか?
A. 経験があまりないので正しいかどうか分かりませんが、まずパワーがあるので、250のように荒っぽく乗れない。スロットルコントロールが大事で、開けすぎてスピンしないようにトラクションさせることが重要。僕はどっちかというと、高めのギアで低回転のトルクを使って走る方なので、向いているかもしれませんね。でも、トマックみたいに低いギアで開けて走れるライダーもいるので、ギア選びは好みでしょう。
Q. 450用の身体作りはしていましたか?
A. いえ、なにも。450にスイッチするとしたら、筋肉量をアップしてエナジー貯蔵量を追加したり、バイクの重さに合わせて体重を増やしたりする必要もありますね。振られないように、プラス4~5キロぐらいでしょうか。

《2026年、目指すは全タイトル制覇!》
Q. 最高の締めくくりとなった今シーズンでしたが、改めて1月から総括して下さい。
A. 今シーズンを振り返ると、スーパークロスでは開幕戦アナハイムで優勝しながら、第2戦サンディエゴで左手の指を骨折するなど、序盤から大荒れでした。普段の練習が全くできないほどのケガだったのですが、あきらめずにぶっつけ本番で残りのスーパークロスに出場を続けました。しっかり休んで治すという選択肢もありましたが、シリーズポイントがSMXの持ち点に影響することも考え、我慢したからこそタイトルに手が届いたのだと思います。
Q. スーパークロスではウエストランキング4位、アウトドアに移ってプロモトクロスではランキング2位でしたが、後半戦に総合優勝3勝(モト5勝)と好成績を固めることができたのはなぜですか?
A. それもチームエフォートのおかげです。2025年型はフルモデルチェンジだったので、車体やサスなどテスト項目がたくさんあって、スタート時に使うマッピングまで手が回らなかった。ケガの影響もあって、一番後回しになっていたスタート用マッピングが、アウトドア第4戦ハイポイント前に決まり、それ以降はCRF250RWEのトラクション性能に助けられてスタートが決まるようになったんです。トリッキーなSMXでも安定して好スタートを連発できたのは、ニューマシンを作り込んでくれたチームのおかげです。
Q. 最後に2026年への抱負を。
A. 目標はチャンピオンしかありません。SX、MX、SMXを含め全タイトル制覇です。自信の根拠は、来年のマシンはフルモデルチェンジから2シーズン目になるからです。今季はマシンのセットアップに時間を費やしましたが、それが実を結んだのがポストシーズンのSMXであり、来年はこの財産をベースにシーズン序盤から攻めていけます。Hondaファンの期待に応えられるよう、頑張ります!
