Hondaダカールラリー挑戦の歴史 Part 2(2013-2015)
2013~2015年の戦いぶりを振り返る
24年ぶりのワークス参戦、毎年の成長
2012 年7月2日。Hondaはダカールラリーに24年振りとなるワークスチームTEAM HRCを送り出すことを発表しました。この間、アフリカ西部サハラ砂漠を舞台としていたラリーは、開催の場を2009年より南米大陸へと移し、二輪クラスではエンジン排気量を450㏄までとするレギュレーションなど大きく変化していました。
開催時期こそ変わりませんが、北半球から南半球へと舞台を移したことで、真冬の開催から真夏の開催へと季節が逆転。砂漠地帯では50℃を超えることもある灼熱と、アンデス山脈周辺では標高4000~5000mという高地を抜けるルート設定もされています。ここでの気温は0℃を下回ることもあり、参加者は灼熱と真冬のような気温、その二つを開催期間中に通ることになるのです。
2001年からオーストリアのメーカー、KTMがダカールラリーの二輪部門で連覇を続けていて、経験からくるその強さも折り紙付き。1986年のラリーに向けたマシン造り同様、再びHondaのエンジニア達は未知のモータースポーツに挑む準備を開始。
マシンはCRF450Xをベースにラリー仕様に仕立てたCRF450 RALLY。ライトガードとウインドスクリーンを兼ねたフェイスが印象的なマシンは、ラリー界の新しいアイコンとなりました。
2013年のライダーラインナップは、エルダー・ロドリゲス(ポルトガル)、ハビエル・ピゾリト(アルゼンチン)、ジョニー・キャンベル(米国)の3名。
1月5日、ペルーの首都リマをスタートしたラリーは、灼熱の砂漠地帯を南下し、アンデス山脈を越えアルゼンチンのコルドバへ。そこから折り返し、再び高地を抜ける山脈を越え、アタカマ砂漠を南下し、チリのサンチアゴでゴールする15日間、8420kmで行われました。
ラリー序盤、ライダー達は燃料系トラブルにより貴重な時間を失うことになりました。同排気量のマシンで競われるだけに、トラブルによる停止時間をばん回することは非常に難しい。それでも、長いラリーで順位をばん回し、ロドリゲスが総合7位、ピゾリトが8位とトップテンフィニッシュを果たしました。また、キャンベルはトラブルで大きく遅れながらも、チームとしてはベストとなるステージ2位を記録するなど健闘。しかし後半の転倒で体を痛め、苦しい展開を強いられ40位でフィニッシュ。
マシンが抱えたトラブルは些細なものでしたが、それがもたらす結果がラリーの厳しさを教えてくれました。
ラリー専用マシンを開発。チーム体制も一新
TEAM HRCによるダカールラリー復帰2戦目となった2014年の闘いは、ラリー専用にゼロから造り上げたマシン開発から始まりました。また、チーム体制の変更、ライダーラインナップ増強など、勝利に向けたステップを着実に登りました。
新しく加入したライダーは、ジョアン・バレーダ(スペイン)、パウロ・ゴンサルヴェス(ポルトガル)の2名。そしてエルダー・ロドリゲス(ポルトガル)、サム・サンダーランド(イギリス)、ハビエル・ピゾリト(アルゼンチン)を加えた5名が1月5日、アルゼンチンのロサリオをスタート。この日、バレーダが180kmのスペシャルステージ(競技区間)でトップタイムをマーク。これはTEAM HRCにとって25年振りのステージ優勝でした。
序盤、標高4500mという高地に設定されたスペシャルステージでライダー達は難しいナビゲーションに悩まされました。岩だらけの丘を越えるセクションでは、方向を見誤ると正しいルートに登るのに大きく迂回しなければならない箇所が多く、トップグループはトライアルセクションのような場所でミスコースを犯すことに。バレーダとロドリゲスは順調に走破したものの、ゴンサルヴェスとサンダーランドは大きな遅れを序盤で背負うことになりました。
さらにステージ4でサンダーランドをエンジントラブルが襲い、早くも戦列を去ることに。さらにステージ5では、灌木地帯を走り抜けていたゴンサルヴェスのマシンのエンジン部分に入り込んだ小枝が燃えだし、それが原因のマシン火災により戦列を去るという不運が続きました。このステージではバレーダのマシンにも高温による燃料系トラブルが発生。総合1位を明け渡すことになりました。
前半を総合2位で折り返したバレーダはトップKTMのマルク・コマを追う展開となりました。ハードにプッシュする中、リズムが噛みあわず、肝心なところでペナルティーを受けるなど、1位との差が縮まりません。そして後半、猛プッシュに出たステージ12でバレーダはクラッシュ。これにより大きく遅れ、総合順位で7位に後退。ロドリゲスは僅差の3位争いを展開するものの、フィニッシュラインでは3位と10分54秒差の総合5位となりました。
CRF450 RALLYは13ステージ中、6つのステージで最速タイムをマークし、その優位性を示しました。
成長を続けるTeam HRCとCRF450 RALLY
2015 年のダカールに向け、CRF450 RALLYはさらなる熟成と進化を遂げました。速さと安定性を狙った車体、耐久性を上げたエンジンなど、過酷なラリーから学んできたものを余すことなく組み入れたマシンで挑む復帰3年目のダカールラリー。
ルートは、アルゼンチンのブエノスアイレスをスタートし、アンデス山脈を越え、チリのイキケへ。ラリーの休息日をイキケで過ごし、そこからチームのサポートが受けられないマラソンステージとなるボリビアへのウユニ塩湖へ。ラリーは後半パートで2度目のマラソンステージを経て、再びブエノスアイレスに戻るルートが設定されました。
ライダーラインナップは、ジョアン・バレーダ(スペイン)、パウロ・ゴンサルヴェス(ポルトガル)、エルダー・ロドリゲス(ポルトガル)、ジェレミアス・イスラエル(チリ)の4名の他、女性トップライダー、ライア・サンツ(スペイン)もワークスマシンCRF450 RALLYを走らせました。
ラリーではトップタイムをマークすると、翌日のスタートは1番手となります。埃を浴びずに走れる優位性がある反面、後続スタートのライダーにわだちを残し、道案内の役目を果たすことにもなります。そこで序盤から徹底的にライバルであるKTMチームのマルク・コマをマークする戦略に出たバレーダは、ライバルを先に行かせます。ラリー前半、バレーダはラリーの折り返しとなるレストデイまで、総合2位のコマと12分27秒という差を維持します。
しかし、後半1日目から始まったマラソンステージで、不運が続きます。ウユニへと向かう初日、ステージを2/3ほど走った場所でバレーダが転倒、ハンドルバーが折れるトラブルを抱えたまま、その日のビバークへ。チームからのサポートがないマラソンステージでは、サポートライダーのバイクからハンドルバーを調達するしかなく、翌日のステージへ。
空を鏡のように映すウユニ塩湖。ラリーのルートはその塩湖をまっすぐに突っ切る設定でした。標高が高く気温は0℃。それでも巨大な水たまりの中を延々走ることになるライダー達。前輪が巻き上げた雨水と塩湖の塩が車体にかかり、多くのマシンが電装系トラブルやラジエターがつまり冷却トラブルを起こしました。総合1位のバレーダも塩分によって電装系にトラブルが発生しエンジンの再始動が困難に。長い距離をチームメートに牽引されながらイキケのキャンプを目指すことになったのです。
トラブルの出なかったゴンサルヴェスとサンツは順調にキャンプに戻ったものの、バレーダのサポートをしながら走ったロドリゲスとイスラエルの3名は大きく遅れました。これによりバレーダは脱落し、替わって2位になったゴンサルヴェスはトップに立ったコマとのタイム差を詰め切れず、総合2位でブエノスアイレスに戻りました。
TEAM HRCとしては再挑戦の3年目で総合2位になるという成長を遂げるものの、手が届きそうで届かない、勝利の難しさを噛みしめる結果となったのです。