グローバル

高橋国光氏の逝去に際して

3月16日(水)、モータースポーツ界に多大な貢献を果たした、高橋国光氏が82歳で逝去されました。

高橋国光氏の逝去に際して

高橋氏は、1960年にHondaへワークスライダーとして加入し、同年に二輪世界グランプリでデビュー、翌年の西ドイツグランプリで初優勝を遂げました。この勝利はHondaにとって世界グランプリ250ccクラスでの初優勝となり、二輪・四輪双方の世界選手権において日本人初の快挙となりました。

その後、四輪レースに転向した高橋氏は国内のさまざまなカテゴリーで活躍し、1977年のF1日本グランプリではスポット参戦を果たし、9位完走という結果を残しました。

1995年には初代NSXをベースにしたマシンで参戦したル・マン24時間レースのGT2クラスで土屋圭市氏・飯田章氏とのトリオで優勝。1999年まで第一線のレーサーとしての活動を続けました。

2000年からは自身が率いる「チーム国光」の監督としての活動に専念し、国内のGTカテゴリーのレースに歴代のNSX-GTやHSV-010 GTで参戦。2018年と2020年にはSUPER GTシリーズGT500クラスでシリーズタイトルを獲得しました。

Hondaのモータースポーツ活動に数々の栄冠をもたらして頂いた高橋氏に対して心から感謝するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。


1995年 ル・マン24時間レース
1995年 ル・マン24時間レース

本田技研工業株式会社 代表執行役社長 三部 敏宏のコメント

「高橋国光氏の訃報に接し、心よりお悔み申し上げます。高橋氏は、Hondaモータースポーツ活動の黎明期にライダーとしてともに世界の舞台にチャレンジして下さった方であり、四輪のレースにおいても四半世紀以上にわたりHondaのマシンで参戦し続け、数多くの勝利をともにあげてきました。

高橋氏の存在はHondaにとってだけではなく、すべてのモータースポーツ関係者にとって宝そのものだと思います。これまでの多大な功績に対して、心より感謝申し上げます」


高橋国光氏の主な軌跡

1940年

東京都小金井市に生まれる

1958年

全日本モーターサイクル・クラブマンレースで二輪レースにデビュー。全日本オートバイ耐久ロードレース(浅間火山レース)優勝(350ccクラス)

1959年

浅間火山レース2年連続優勝(500ccクラス)

1960年

株式会社本田技術研究所 ホンダ・スピード・クラブ(HSC)に加入

1961年

WGP第1戦西ドイツGPで日本人として初優勝(250ccクラス)
同シリーズ第9戦アルスターGP 優勝(125ccクラス)
マン島TTレース4位入賞(250ccクラス)
WGP年間ランキング4位(250ccクラス)、5位 (125ccクラス)

1962年

WGP第1戦スペインGP、第2戦 フランスGPで2連勝(125ccクラス)
第3戦マン島TTレース(125ccクラス)でレース中に転倒し、一時意識不明の重体となるも回復
WGP年間ランキング4位(125cc)

1963年

WGP14レースに参戦。ランキング9位(250ccクラス)。7位(125ccクラス)

1965年

四輪レーシングドライバーに転向

1970年

全日本ドライバー選手権T-Ⅱ部門 全5戦を制覇しチャンピオン獲得

1971年

日本グランプリ T-b部門優勝

1977年

F1世界選手権 日本GP出場 9位完走

1985-87年

全日本耐久選手権3年連続チャンピオン獲得

1989年

全日本スポーツ・プロトタイプカー選手権シリーズチャンピオン

1992年

「チーム国光」監督兼ドライバーとしての活動をスタート

1995年

ル・マン24時間レース優勝(GT2クラス)

1996年

全日本GT選手権にHonda NSXで参戦

1998年

全日本GT選手権第6戦美祢で初優勝

1999年

全日本GT選手権第2戦富士で優勝 現役を引退

2000年

「チーム国光」監督として、全日本GT選手権にHonda NSXにて参戦

2002年

日本自動車殿堂(JAHFA)入りを果たす

2005年

「TEAM KUNIMITSU」監督としてSUPER GTにHonda NSXにて参戦

2013年

ル・マン24時間・ホール・オブ・フェイム 受賞

2018年

SUPER GTシリーズGT500クラスチャンピオン(ドライバー:山本尚貴/ジェンソン・バトン)

2020年

文部科学省より「スポーツ功労者」として顕彰される
SUPER GTシリーズGT500クラスチャンピオン(ドライバー:山本尚貴/牧野 任祐)


レポート公開日