はじめに
2022年9月1日は、HRCの創立40周年にあたります。
Hondaは1979年から4ストロークのNR500で世界GPに復帰していましたが、優勝はおろか1ポイントも獲得することができませんでした。当時のメンバーたちは、「このままでは絶対に終わらない、いつか絶対に勝つ、絶対に世界チャンピオンになってやる!」と悪戦苦闘していました。
3年間の悪戦苦闘の日々が続いた後、Hondaは1982年に、世界グランプリ500ccクラスに2ストローク、3気筒のNS500を投入しました。そして、同年7月4日、ベルギーのスパ・フランコルシャンでFreddie Spencerが世界グランプリ初優勝を飾り、翌年には、Freddie Spencerによって、Hondaに初の500ccクラスのライダータイトルがもたらされました。
以来40年間、HRCは様々なカテゴリーで数々の挑戦を重ねてきましたが、新たな40年に向かって、新しいモータースポーツの潮流にも積極的に対応していくとともに、さらなる高みを目指し挑戦を続けてまいります。
1982年
9月1日、レース用車両、パーツの開発、販売を目的とした株式会社ホンダ・レーシング(HRC;Honda Racing Corporation)が、RSC(1973年設立、Honda Racing Service Center)、およびNRテクノロジーグループに代わり設立される。入交昭一郎が初代代表取締役に就任。
3気筒のNS500が誕生。
1983年
天才Freddie Spencerが、まさにHRC理念を具現化したとも言うべきオールラウンドレーサーNS500で、Honda史上初となるGP500ワールドチャンピオンを獲得。
NS500で、ATAC排気システムを開発。
キングオブザロードことJoey DunlopがRS850R(V4 4ストローク)でTTF1ワールドチャンピオンを獲得。
NS500をベースとした市販GPレーサーRS500の販売を開始。
吉野浩行が入交の後を継ぎ、代表取締役に就任。
1984年
試験的に吊り下げ式フューエルタンクを採用したシングル・クランクV4エンジンNSR500を新規投入、負傷していたFreddie SpencerがGP500ワールドチャンピオンシップで4位を獲得。
RS750Rは、Honda4ストロークの天才Gerard CoudrayとPatrick Igoaに世界耐久選手権での勝利を確固たる物にする。
Mike BaldwinとFred Merkelは鈴鹿8時間耐久レースの勝利を、Joey DunlopはTTF1の栄冠を獲得。
Andre Malherbeは自身2度目となる500 ccクラスモトクロスワールドチャンピオンを獲得。
Eddy Lejeuneが世界トライアル選手権でハットトリック達成。
Ricky Grahamが、Honda史上初となるUSグランドナショナルトラックのタイトルを獲得。
1985年
1985年はFreddie SpencerとHondaにとって、NSR500と新型VツインエンジンNSR250による250/500 ccクラスのダブルタイトル獲得という輝かしい1年となった。
さらにSpencerはスーパーバイクVF750Fにより、デイトナ200マイルに勝利。
新型RVF750はGerard CoudrayとPatrick Igoaに世界耐久選手権の栄冠、Joey DunlopにTTF1タイトルを、Wayne Gardnerと徳野政樹に鈴鹿8時間耐久レースの勝利をもたらす。
Mike BaldwinとHondaは4度目のUS F1タイトルを引き続き獲得。
英国チャールズ皇太子、ダイアナ皇太子妃が公式訪問時に、新築された東京青山のHonda本社においてHRCレース車をご覧になる。
後藤勇がHRC代表取締役に就任。
1986年
片持ちスイングアームを採用したRVF750がPatrick Igoaに耐久選手権タイトルを、GardnerとDominique Sarronに鈴鹿8時間耐久レースのタイトルをもたらす。
VFR750ライダーFred MerkelがUSスーパーバイクでハットトリックを達成。
英国人ライダーDavid Thorpeが自身2度目となる500MXタイトルを獲得、Hondaは上位3位を独占。
オーストラリア人ライダーWayne Gardnerが負傷したFreddie Spencerからバトンを受け、NSR500でGP500ワールドチャンピオンシップ2位を獲得。
1987年
Hondaの2ストロークテクノロジーがGPレース界を席巻、Wayne Gardnerが7勝してGP500のタイトルを獲得、ドイツのベテランライダーToni MangがNSR250でGP250のタイトルを獲得。
コンピューター制御の可変エキゾーストバルブを開発。
楕円ピストンを採用したハイテクノロジーの結晶NR750レーサーがルマン24時間に参戦、ポールポジションを獲得。
新進気鋭カリフォルニアのWayne RaineyがVFR750でUSスーパーバイク、デイトナ200マイルで勝利。
Eric GeboersがHonda史上初となる250MXでの成功を収める。
ダートトラックの伝説Bubba ShorbertがRS750DでUSグランドナショナルトラックにおいてハットトリックを達成。
福井威夫がHRC代表取締役に就任。
1988年
Hondaはローコストの2ストロークエンジンRS125でGP125レースに復帰。
Ezui GianolaがGPで2勝し、125チャンピオンシップで2位を獲得。
スペインの英雄Sito PonsがNSR250で、初めて2回連続で250ワールドタイトルを獲得。
HRCは電子制御2ストローク燃料噴射システムの開発を開始。
陽気なアメリカ人Fred Merkelは、非常に高い評価を受けたV4スーパーバイクRC30で発足したばかりのスーパーバイクワールドタイトルを獲得。
イギリスのプライベーターCarl FogartyがRC30でTTF1の栄冠を獲得。Freddie Spencerが500GPを引退。
Eric GeboersとJean-Michel Bayleが500MXと125MXの両タイトル獲得の活躍。
市田勝巳が代表取締役に就任。
1989年
スムーズライディングマスターEddie LawsonがHondaに加入、NSR500でGP500ワールドチャンピオンシップを獲得。
HondaはGP250で10度目となるコンストラクターズワールドチャンピオンシップを獲得。
Merkel、FogartyとRC30はワールドスーパーバイク、TTF1タイトルを引き続き獲得。
プライベーターJohn AshmeadはRC30でデイトナ200に勝利。
フランス人ライダーDominique SarronとAlex Vieiraは、RVF750で鈴鹿8時間耐久レースに勝利。
Jilles LalayはNXR750でパリ・ダカールに4連勝し、過酷な条件下でのHondaパワーの優位性を立証。
Jean-Michel BayleとDavid Thorpeが250MX、500MXのタイトルをそれぞれ獲得。
福井威夫が再び代表取締役に就任。
1990年
17歳でデビューしたLoris CapirossiがHonda史上初となる2ストローク125ccクラスのワールドチャンピオンをRS125Rで獲得、この小さなイタリア人に、翌年の連続タイトルに繋がる初タイトルをもたらす。
Alex Vieira、Jean-Michel Mattioli、Stephane MertensとRVF750は非常に人気のあるボルドール24時間レースで6連勝。
Eric GeboersはHondaで自身2度目となる500MXタイトルを獲得。
Jeff StantonとCR250は3回USスーパークロスチャンピオンとなったうちの2度目のタイトルを獲得。
オーストラリアのベテランMalcolm CambellはRC30で自身2度目となる連勝でオーストラリアスーパーバイクタイトルを獲得。
1991年
Luca CadaloraがHondaに加入、NSR250でGP250ワールドチャンピオンシップに勝利、Honda史上10人目となる250ライダーズタイトルの栄冠をもたらす。
Wayne GardnerとMick DoohanがRVF750で鈴鹿8時間耐久レースに勝利。
Honda2ストロークテクノロジーが世界のモトクロス、スーパークロス界を席巻、George Jobeが500MXワールドタイトルを獲得、アメリカ人ライダーTrampas Parkerがワールド250タイトルを獲得、Jean-Michel BayleはUSへと活躍の場を変え、CR250でスーパークロスタイトルを、CR500でUSモトクロスチャンピオンシップを獲得。
Miguel DuhamelとRC30はデイトナ200で勝利。
NR750市販車の製造を開始。
1992年
HRCの新星Mick Doohanが新しい「ビッグ・バン」エンジンのNSR500でGP500ワールドチャンピオンシップを席巻するものの、怪我によりタイトルを失う。
にも関わらず、HondaはGP500のコンストラクターズタイトルを獲得。
イタリア人Luca Cadaloraが2年連続でGP250ワールドチャンピオンシップを獲得。
オーストラリア人GPライダーDaryl Beattie、Wayne GardnerとRVF750は鈴鹿8時間耐久レースに勝利。
Greg AlbertynがCR125で125MXの栄冠を獲得。
篠崎隆が代表取締役に就任。
1993年
伊藤真一がホッケンハイムのドイツGPにおいて、燃料噴射を装着したNSR500で200マイルの壁を突破。
小柄なドイツ人Dirk RaudiesがRS125RでGP125チャンピオンシップを獲得。
Ricky Grahamが初タイトル獲得から11年の時を経て、USグランドナショナルのタイトルを獲得。
CR250がモトクロス界を席巻、Greg Albertynが250MXタイトルを、Doug HenryがUS250MXでの相次ぐ勝利に繋がる1勝目をあげ、Jeremy McGrathが250USスーパークロスシリーズのタイトルを獲得。
1994年
Mick DoohanがNSR500で以降5連続チャンピオンとなるきっかけとなる勝利をつかみ、Hondaも7度目となるコンストラクターズタイトルを獲得。
ニュージーランド人ライダーAaron Slightとアメリカ人ライダーDoug Polenが最新テクノロジーを搭載した新型RC45スーパーバイクで、鈴鹿8時間耐久レースでHonda史上10度目となる優勝を達成。
Hondaは史上10度目となるGP125コンストラクターズタイトルを獲得。
スウェーデン人ライダーMarcus Hanssonが500MXワールドチャンピオンシップに勝利。
Jeremy Mcgrathは引き続き250USスーパークロス界を席巻。
金沢賢が常務取締役に就任。
1995年
ベルギー人ライダーStephan Mertensとフランス人Jean-Michel Mattioliの世界耐久チャンピオンシップの勝利により、4ストロークRC45に、より世界的な成功をもたらす。
Miguel DuhamelはUSスーパーバイクタイトルを、Aaron Slightと岡田忠之は鈴鹿8時間耐久レースに勝利。
青木治親は、RS125でGP125での相次ぐ勝利。
1996年
Mick Doohan、Alex Criville、Luca Cadalora、Alex BarrosとNSR500は、GP500ワールドチャンピオンシップで上位4位を独占、NSR500はGP15戦のうち13戦に勝利。
青木治親が2度目のGP125タイトルを獲得。
Miguel DuhamelはRC45でデイトナ200に勝利。
岡田忠之の乗るNSR500Vツインが、GPデビュー戦でポールポジション獲得。
Stefan EvertsがCR250で、翌年への連勝に繋がる250MX世界タイトルを獲得。
Jeremy McgrathとCR250は、4連続でUSスーパークロスタイトルを獲得、Hondaは他に例を見ない9連続王座の活躍。
1997年
Mick Doohanはスクリーマー点火順序を装備したNSR500で、自身4度目となるGP500タイトルを獲得。
Doohan、岡田忠之、青木宣篤、Alex Crivilleの乗ったNSR500、そして青木拓磨の乗ったNSR500Vと、ホンダマシンがシーズン上位5位を独占。NSR500はGP全15戦に勝利。
ホンダは10度目となるプレミアクラスコンストラクターズワールドチャンピオンシップを獲得。
Max Biaggiがホンダに加入、NSR250でGP250に勝利。
NSR500V市販バージョンの販売開始。
RC45は引き続き4ストロークレースを席巻、John Kocinskiがワールドスーパーバイクタイトルを獲得、日本人スターライダー伊藤真一と宇川徹が鈴鹿8時間耐久レースで優勝。
Stefan Evertsは250MXタイトルを堅持。
1998年
強力なMick Doohanに再び導かれ、NSR500ライダー達は、ポイント争いの末、GP500ワールドチャンピオンシップ上位5位を独占。
HRCは新しい2軸クランクのNSR250を発表、宇川徹が250ワールドチャンピオンシップで4位を獲得。
RC45はさらなる成功を収め、Doug PolenとChristian Laveilleが世界耐久選手権で勝利、伊藤真一と宇川徹が鈴鹿8時間耐久レースで2年連続優勝、Ben BostromがUSスーパーバイクの栄冠を獲得。
池ノ谷保男が代表取締役に就任。
1999年
Mick Doohanが負傷により欠場した後も、寡黙なスペイン人ライダーAlex CrivilleとNSR500がホンダ史上10度目となるGP500チャンピオンシップを獲得。
Emilio AlzamoraとRS125RはGP125チャンピオンシップを獲得、ホンダに10度目となるGP125ライダーズチャンピオンシップをもたらす。
岡田忠之とAlex Barrosが鈴鹿8時間耐久レースに、Miguel Duhamelがデイトナ200に、著しい成功を収めたRC45で勝利。
2000年
Hondaは初のビッグツインスーパースポーツバイクVTR1000をリリース、Colin Edwardsがワールドスーパーバイクチャンピオンシップでデビュー戦を勝利で飾る。
VTR1000SPWは、鈴鹿8時間耐久レースにおいても宇川徹、加藤大治郎をライダーに迎え優勝。
プレミアクラスデビューのValentino RossiがHondaに加入、NSR500でワールドチャンピオンシップ2位を獲得。
Frederic BolleyはCR250Rで250MXワールドタイトルを2年連続で獲得。
Dougie Lampkinはこれ以降4年連続となるトライアルワールドチャンピオンシップの1勝目をあげる。
2001年
Valentino RossiはNSR500で、GP500最後の年を勝利で締めくくる。
またこのイタリアのスーパースターはHondaのGPでの500勝目を日本グランプリで達成、鈴鹿8時間耐久レースではパートナーのColin EdwardsとともにVTR1000SPWで勝利。
日本人ライダー加藤大治郎はNSR250でGP250チャンピオンシップに勝利。
茂木において、Hondaの伝説的ライダーであるMick DoohanとFreddie SpencerのライディングによりMotoGPマシーンRC211Vが初めて一般公開される。
2002年
Valentino RossiはMotoGP初舞台で、絶賛されたRC211Vでタイトルを獲得。またHondaは大差をつけてコンストラクターズチャンピオンシップを獲得。
V5エンジンは、モーターサイクルレーシングテクノロジーをまったく別の次元へと引き上げ、16戦中14戦に勝利。
Colin EdwardsはVTR1000SPWで自身2度目となるワールドスーパーバイクチャンピオンシップを獲得、また加藤大治郎とのコンビで鈴鹿8時間耐久レースにも勝利。
アメリカでは新進気鋭のNicky HaydenがVTRでUSスーパーバイクの栄冠、デイトナ200の勝利を獲得。
フランス人ライダーFabien ForetはCBR600RでHonda史上初となるスーパースポーツタイトルを獲得。
金沢賢が代表取締役に就任。
2003年
RC211Vが再びMotoGPワールドチャンピオンシップを席巻、16戦中15戦に勝利。
Valentino Rossiが、同僚のRC211VライダーSete Gibernau、Max Biaggiを押さえライダーズタイトルを獲得。
RC211Vはロータリーステアリングダンパーを装備。
Dani PedrosaはRS125Rで、自身初となる125ccクラスでのタイトルを獲得。
HRC開発のMotoGPテクノロジーを詰め込んだ新しいCBR600RRがChris Vermeulenとともにワールドスーパースポーツタイトルを獲得。
Miguel Duhamelがデイトナ200に勝利。
生見友希雄と鎌田学がVTR1000SPWに4年連続で鈴鹿8時間耐久レースの勝利をもたらす。
Ricky CarmichaelがCR250でUSスーパークロス2年連続チャンピオンを獲得。
2004年
Hondaはインテリジェントスロットルコントロールシステムを搭載したRC211Vで、MotoGPコンストラクターズチャンピオンシップのハットトリックを達成。
Dani PedrosaはRS250RWでGP250ワールドチャンピオンシップを初挑戦で獲得。
イタリアの新星Andrea DoviziosoがRS125RでGP125チャンピオンを獲得。
宇川徹、井筒仁康がインラインフォーのCBR1000RR Firebladeに初の鈴鹿8時間耐久レース勝利をもたらす。
オーストラリア人ライダーKarl MuggeridgeがCBR600RRでスーパースポーツタイトルを獲得。
藤波貴久がトライアルワールドチャンピオンシップで勝利。
堀池達が常務取締役に就任。
2005年
Dani Pedrosaが2年連続となるGP250ワールドチャンピオンを獲得。
これはHondaにとって15度目のライダーズタイトルと19回目の250コンストラクターズチャンピオンシップの獲得となる。
スイス人ライダーThomas LuthiがRS125RでGP125チャンピオンを獲得。
宇川徹と清成龍一がHonda史上20度目となる鈴鹿8時間耐久レースをCBR1000RRで勝利。
CBR600RRは引き続きミドルクラスのスーパースポーツレーシングを席巻、Sebastien Charpentierがスーパースポーツワールドタイトルを、Miguel DuhamelがHondaに10度目のデイトナ200勝利をもたらす。
2006年
より軽量化されパワフルになったV5エンジンを搭載した次世代型RC211Vで、Nicky Haydenがこの年が最後となった990ccクラスMotoGPタイトルを獲得。
またこのケンタッキーキッドは、Hondaのプレミアムクラス200勝目をオランダGPにおいて達成。これはHonda史上14度目のプレミアクラスライダーズタイトルであり、また17度目のコンストラクターズタイトルとなる。
5年間の990cc MotoGPの間、驚くことにV5エンジンは全レースの58%に勝利。
Sachsenringにおいて高橋裕紀はHondaの250ccクラス通算200勝を達成。
Sebastien Charpentierが2度目となるスーパースポーツワールドタイトルを獲得、Jake Zemkeがデイトナ200で勝利と、CBR600RRにとって素晴らしい1年となる。
辻村猛と伊藤真一は鈴鹿8時間耐久ロードレースにおけるHondaの10連勝をCBR1000RRで獲得。
4ストロークミニバイクレーサーNSF100のワンメイクレース「NSF100HRCトロフィー」を初開催。
2007年
新しい規定により、MotoGPのエンジン排気量が800ccとなる。
HRCは800cc4ストロークV4エンジンRC212Vを発表。Dani Pedrosaがワールドチャンピオンシップ2位を獲得。
清成龍一がCBR1000RRで2度目のブリティッシュスーパーバイクチャンピオンを獲得。
トライアル世界選手権では、Honda移籍1年目のToni BouがMontesa Cota 4RTで開幕5連勝、年間9勝を挙げて自身初となるワールドタイトルを獲得。
濵根眞澄が代表取締役に就任。
安武幸祐が常務取締役に就任。
HRC創立25周年感謝の集いをSan Marinoで開催。
2008年
Hondaワークスチーム「DREAM Honda Racing Team」の、清成龍一とCarlos ChecaがCBR1000RRで鈴鹿8耐優勝。
中本修平が取締役副社長に就任。
2009年
WGP2ストローク250ccクラス最終年に青山博一がRS250RWでワールドチャンピオンを獲得。
世界同時不況の影響によりHRCレース体制を縮小。MotoGP以外のワークス活動を停止。
代表取締役社長に鈴木哲夫が就任。
WGPへのHonda参戦50周年セレモニーを日本GPにて開催。
ロードレースの普及に寄与したRS 125Rの生産を終了。生産累計台数約15,000台。
2010年
HondaはWGP250ccクラスに替わるMoto2クラスのオフィシャル・エンジン・サプライヤーとして、4ストローク600cc エンジンの供給を開始。開幕戦カタールGPでは日本人ライダーの富沢祥也氏が最初の優勝者となった。
清成龍一はCBR1000RRで自身3度目となるブリティッシュスーパーバイク選手権チャンピオンを獲得。また、高橋巧とのコンビで鈴鹿8時間耐久ロードレースに勝利。
2011年
800ccのMotoGP最終年、Honda移籍1年目のCasey Stonerが2010年最終仕様をベースに熟成を重ねたRC212Vでタイトルを獲得。また、アラゴンGPではRepsol Honda Teamとしてプレミアクラス100勝目を達成した。
RC212Vは年間13勝を達成し、コンストラクターズ・タイトル、チーム・タイトルと合わせ三冠を獲得。
伊藤真一が東日本大震災復興支援のため、日本GPにTeam HRCにて参戦。13位完走を果たす。
カタルニアGPにおいてAlex Crivilleのライディングにより、次期Moto3クラスに対応したレーサーNSF250Rを発表。同6月、日本において発表会を開催。
秋吉耕佑、伊藤真一、清成龍一がCBR1000RRで鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝。
トライアル世界選手権で、Toni Bouがワールドチャンピオン5連覇。
2012年
レギュレーション変更により、MotoGPクラスのエンジン排気量が1000ccとなった。この新しいルールに対応した2012年型マシンのRC213V は18戦中12勝を挙げ、チーム及びコンストラクターズチャンピオンを獲得。2ストローク125ccクラスに代わり導入された4ストローク250ccエン ジンを使用するMoto3クラスがスタートし、ニューマシンのNSF250Rが開幕戦で記念すべき勝利を飾り、新しい時代の幕開けを告げた。
トライアル世界選手権は、Toni Bouが6年連続のワールドチャンピオンに輝く。
全日本モトクロスIA1クラスにおいては、CRF450Rで成田亮がHondaに6年ぶりとなるチャンピオン獲得をもたらした。
Jonathan Rea、秋吉耕佑、岡田忠之がCBR1000RRで鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝。
2013年
1月に行われたダカールラリーに、Hondaとして24年ぶりに参戦。CRF450 Rallyは全車完走を果たす。MotoGPクラスでは、RC213Vを駆るMarc Marquezが史上最年少チャンピオンとなり、Hondaはライダー、チーム、コンストラクターの3冠獲得を2年ぶりに達成。さらに、トライアルでもToni Bouが7連覇を果たし、Hondaマシンが世界最高峰の舞台で輝いた。
国内でも、全日本モトクロス選手権ではIA1クラスで成田亮が連覇。チームメートの小方誠が総合2位に入り、Team HRCは総合1-2でフィニッシュ。IA2でもワークス活動を開始し、初年度は田中雅己は4度の表彰台登壇と活躍した。また、鈴鹿8時間耐久ロードレースでは、高橋巧/Leon Haslam/Michael van der MarkがCBR1000RRで優勝。Hondaマシンに4連覇をもたらした。
このほか、参加型レースの充実にも力を入れ、CBR250Rをベースにしたワンメイクレース「CBR250R Dream Cup」を初開催。多くの参加者が集い、好評を得た。
2014年
野村欣滋が代表取締役社長に就任。この年から、Hondaは二輪カテゴリでのワークス活動を拡大。
MotoGP、ダカールラリー、全日本モトクロスに加え、モトクロスMXGPではTeam HRC、トライアル世界選手権ではRepsol Honda Teamとしてワークスチームが結成された。
MotoGPでは、Repsol Honda Teamが圧倒的な強さを発揮し、チームとして開幕から12連勝。第7戦カタルニアGPでの勝利は、HondaにとってのMotoGPクラス100勝目となった。Marc Marquezは歴代タイの開幕10連勝、最多の年間13勝という記録を打ち立て、2年連続チャンピオンを獲得。Hondaは3冠(ライダー、チーム、コンストラクター)を連覇した。さらに、Moto3クラスではMarquezの弟Alex MarquezがNSF250RWでチャンピオンを獲得し、史上初の兄弟王者が誕生した。
ワークス体制初年度となったMXGPでは、Maximilian Naglが年間5勝を挙げてランキング6位、トライアルではRepsol Honda TeamのToni Bouが8連覇を達成した。さらには全日本モトクロスにおいてもIA1で成田亮が自身10度目のチャンピオンを獲得を決め、Team HRCは2年連続の総合1-2を達成。鈴鹿8時間耐久ロードレースでは、高橋巧/Leon Haslam/Michael van der Mark組が2連覇した。
2015年
新体制での参戦3年目となったダカールラリーでは、Team HRCが13ステージ中6ステージで勝利し、女性ライダーのLaia Sanzが史上最高の総合9位となるなど、高い競争力を発揮。
MotoGPでは、タイトル獲得こそならなかったものの、第10戦インディアナポリスGPで、Hondaとして世界選手権700勝という大記録を達成。MXGPではMX2クラスのTim Gajserが、ファクトリーマシンCRF250RWでチャンピオンを獲得し、トライアルではToni Bouが9連覇を果たすなど、競争力を発揮した。
さらに、全日本モトクロスIA2クラスでは富田俊樹がチャンピオンを獲得。参加型モータースポーツの分野では、4ストロークレーサーNSF250Rによるワンメイクレース「HRC NSF250R Challenge」を初開催した。
2016年
2016年シーズンは、進化したCRF450 RALLYの戦いからスタートした。ダカールラリー4年目の挑戦は、序盤は総合トップをキープするなど、順風満帆にみえたが、世界一過酷なラリーの勝利は遠く、総合4位のKevin Benavidesがチーム最高位となった。
FIMロードレース世界選手権MotoGPクラス、FIMトライアル世界選手権、FIMモトクロス世界選手権MXGPクラスでは、RC213Vを駆るMarc Marquezが3度目のタイトルを獲得、Toni BouがCOTA4RTを操り10連覇を達成、そして、初参戦したTim GajserがCRF450RWで初タイトルを獲得と、同年に3つカテゴリーを制覇するという世界初の快挙を成し遂げる記念すべき年に。
さらには、全日本モトクロス IA1クラスで9勝を挙げた成田が2年ぶりにタイトル奪還。IA2では能塚智寛が圧倒的な強さでクラス制覇を果たすなど、シーズンを通してチーム・マシンの強さを披露した。
2017年
昨年に引き続き、CRF450 RALLYでダカールラリーに挑戦。Joan Barredaが10ステージ中、4つのステージで勝利を挙げて競争力を発揮するも、世界一過酷なラリーの優勝への道のりは険しく、総合5位に甘んじる結果となる。
FIMロードレース世界選手権(MotoGP)では、RC213Vを駆るMarc Marquezが2年連続、自身4度目となるタイトルを獲得。チーム、コンストラクターズのタイトルと合わせ、Hondaとしては3年ぶりの三冠達成となった。
FIMトライアル世界選手権では、王者Toni BouがCOTA4RTとともに11度目のタイトルを獲得。インドア世界選手権と合わせると、22個目となる世界タイトルを獲得する。FIMモトクロス世界選手権(MXGPクラス)では、Tim Gajserがタイトル連覇に向けてシーズンを順調にスタートさせるも、ケガに悩まされる一年となった。
国内では、全日本モトクロス(IA1クラス)に初参戦の山本鯨が年間チャンピオンを獲得。そして、12月20日に18年シーズンから、全日本ロードレース選手権と鈴鹿8時間耐久ロードレースへ「Team HRC」としてワークス参戦することを発表した。
2018年
第40回目のダカールラリーは、Monster Energy Honda Teamの5名がCRF450 RALLYを駆り、総合優勝に挑んだ。Joan Barredaは力走もみせたが、惜しくもリタイア。Kevin BenavidesはHondaのワークス参戦復帰以来、最高位タイの総合2位に輝いた。FIMロードレース世界選手権(MotoGP)では、ワークスマシンRC213Vの強さが発揮された。Repsol Honda TeamのMarc Marquezが自身5度目の最高峰クラスのタイトルを獲得。さらにHondaが2年連続で三冠を達成した。 FIMトライアル世界選手権では、Repsol Honda TeamのToni Bouがモンテッサのマシンで通算100勝を達成。その後もCOTA4RTを巧みにコントロールして勝利を積み上げ、12年連続で王者の座を手にした。
国内では、全日本ロードレース選手権(JSB1000)と鈴鹿8時間耐久ロードレースに、Hondaのワークスチームが復活。鈴鹿8耐にはRed Bull Honda with 日本郵便(高橋巧/中上貴晶/Patrick Jacobsen)が出場し、全日本ロードレースにはTeam HRCのエースとして高橋巧が起用された。10年ぶりのワークスチームとして両レースで総合優勝を目指すも2位となり、悔しさが残った。全日本モトクロス選手権では、Team HRCの成田、山本の2人が勝利を分け合い、一進一退の展開に。最終戦で成田が2年ぶりの王者に返り咲いた。
2019年
FIM ロードレース世界選手権(MotoGP)ではMarc Marquez、FIM モトクロス世界選手権(MXGP)ではTim Gajser、FIM トライアル世界選手権(TrialGP)ではToni Bouが、それぞれ最高峰クラスでチャンピオンを獲得。2016年に世界初の快挙として成し遂げた3つのカテゴリー制覇を、同じ顔ぶれで3年ぶりに達成した。一方、ペルー国内を巡ったダカールラリーでは、Monster Energy Honda TeamのRicky Brabecがワークス参戦復帰以来の総合優勝の期待がかかるも、終盤のステージで無念のリタイア。チームとしての最高位はKevin Benavidesの総合5位だった。
国内では、全日本ロードレース選手権(JSB1000)のチャンピオン奪還を目指した高橋巧が、最終戦で逆転を許し2位に。鈴鹿8時間耐久ロードレースには、ワークスチームのRed Bull Honda(高橋巧/清成龍一/Stefan Bradl)が出場し、力走をみせるも3位だった。全日本モトクロス選手権では、最高峰クラス(IA1)のタイトルを山本鯨が獲得し、前年の雪辱を果たした。
2020年
サウジアラビアに舞台を移したダカールラリーで、Monster Energy Honda TeamのRicky Brabecが昨年の雪辱を果たし優勝。ワークス復帰8年目にして、Hondaとしては31年ぶりの優勝を飾った。
モータースポーツシーズンを前に、新型コロナウイルスが世界的に感染拡大。各カテゴリーで開幕が延期となり、例年と異なる日程での戦いとなった。その中でも、FIM モトクロス世界選手権(MXGP)ではTim Gajserが2年連続、FIM トライアル世界選手権(TrialGP)ではToni Bouが14年連続のチャンピオンを獲得した。
この年から、スーパーバイク世界選手権(SBK)へTeam HRCとしてエントリーし、18年ぶりにワークス参戦を再開。新型CBR1000RR-R FIREBLADE SPを投入した。第4戦アラゴンでAlvaro Bautistaが3位に入り、Hondaとしては5年ぶりの表彰台に登壇した。
FIM ロードレース世界選手権(MotoGP)では、Marc Marquezが第2戦のケガから戦線を離脱。最高峰クラス未勝利に終わる苦しいシーズンとなった。
2021年
代表取締役社長に若林愼也が就任。
各カテゴリーでコロナ禍の影響は色濃く残り、鈴鹿8耐など各世界選手権の日本大会が中止となった。
ダカールラリーではMonster Energy Honda TeamのKevin Benavidesが優勝し、チームとして2連覇を達成。Ricky Brabecが2位に入り、1987年以来のHonda1-2フィニッシュとなった。
FIM トライアル世界選手権(TrialGP)ではToni Bouが15年連続のチャンピオン。FIM ロードレース世界選手権(MotoGP)では、Marc Marquezが第3戦から復帰し、3勝を挙げた。
2022年
四輪レース部門を統合。代表取締役社長に渡辺康治が就任。
3連覇を目指したダカールラリーでは、チームで5つのステージ優勝を挙げるが、総合ではPablo Quintanillaの2位が最高位となった。