My Ride, My Life: マイク・ディ・メリオ
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My Ride, My Life: マイク・ディ・メリオ

1988年、フランス南西部のトゥールーズで、後に世界チャンピオンを3度獲得することになるマイク・ディ・メリオが誕生しました。幼い頃、父親のレースを観て育った彼がその背中を追いかけたいと思うのは至って当然のことでしたが、父親は息子に別の道を考えていました。

「最初は庭でバイクに乗っているだけでした。ある日、『父さん、レースがしたい、モトクロスのレースをやりたい』と言うと、父は『だめだめ、スクーターでレースをしなさい』と言いました。当時はなぜスクーターでなければいけないのか分かりませんでしたが、11歳でレースを始めるとすぐに勝てるようになりました。4年後には世界選手権に出場することになりましたが、その時まで本物のレースバイクに乗ったことすらなかったんです。信じられない話ですよね。」

通常とはかけ離れたキャリアパスをたどった彼は、16歳にして125cc世界選手権に参戦し、アンドレア・ドヴィツィオーゾや、後にMotoGP王者となるケーシー・ストーナー、ホルヘ・ロレンソらと戦うことになりました。これは彼のキャリアの中でもハイライトの一つでしたが、経験不足から転倒が多く、苦戦を強いられました。

マイクの成長は続き、Honda RS125Rを駆った2005年に状況が好転し始めました。この年、イギリスGP(ドニントン・パーク)で初めての世界選手権表彰台を獲得したのです。雨の中での巧みなライディングを披露し、その技術を見せつけた瞬間でした。



「すごい雨が降っていて、私がレースをリードし、フリアン・シモンが後ろから追ってきていました。コースには水が溢れていたので、自分もすごくゆっくり走っているように感じていましたが、他の選手たちに10~15秒もリードしていたんです。それで、これは表彰台に立てるチャンスだとわかったので、レースに集中し続けました。最終ラップでフリアン・シモンに抜かれて勝利を逃しましたが、私にも勝つチャンスはありました。でも、2年前なら簡単なミスを犯していた自分に『今日は表彰台だ。表彰台を確保して、勝利は後で狙おう』と言い聞かせました。世界選手権で初めて表彰台に上がる瞬間は本当に格別でした。」

しかし、その年の良い成果も、続く2シーズンで消えてしまいました。マイクは、速さだけではなく、良いバイクとチームの支えが結果を出す上で、必要不可欠であることを痛感しました。

「私のキャリアで最も厳しかったのは2007年でした。イタリアのチームに所属していて、衝突することが多く、何度も怪我をして、鎖骨も折りました。大きなハイサイド転倒やクラッシュも何度か経験し、バイクの性能も良くありませんでした。チームはもっと速く走るようにプレッシャーをかけてきて、精神的にも疲れ切っていました。ですが幸運にも、翌年に向けてより良いバイクを手に入れるためにアキ・アジョと連絡を取ることができました。そのときは、お金が全くなく、このチームに入るために家族に頼んで資金を工面してもらいました。『今年良い成績を残せれば、良いライダーになれる可能性がある、でもダメならもう辞めるしかない』という状況でした。自分を信じて、意識を立て直し、安定した走りを目指しました。2007年以降、復活できたのは素晴らしかったです。」



見事な復活を遂げた彼は、そのシーズンを通じて、「ホーム」サーキットであるル・マンでの勝利を含め4勝を挙げ、初めて125cc世界選手権のタイトルを手にしました。シャンパンが弾け、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」がサーキットに響き渡りました。この瞬間が彼のキャリアの大きな転機となり、最高峰クラスへとステップアップし、そこでAvintia Racingと2シーズンにわたって戦うことになったのです。

その後、2016年に耐久レースの世界へと転向し、初年度からGMT94Yamahaチームを世界選手権チームタイトル、そしてYamahaをマニュファクチャラーズタイトル獲得へと導き、新たなキャリアの方向性が開花しました。2018年以降はF.C.C. TSR Honda Franceチームに所属し、さらにもう一つの世界タイトルを獲得するなど、目覚ましい成功を収めています。



「F.C.C.では2022年がとても恵まれた年でした。優勝こそ一度もありませんでしたが、シーズンを通して非常に安定していました。ボルドールでタイトルを獲得できたことが最高でした。ライダーとして、これまで何度もタイトルに近づいたけれど、一度も手にしたことがなかったので素晴らしい瞬間でした。耐久レースでは一人ではありません。3人のライダーがいて、チームがいます。ピット作業がうまくいかなかったり、自分がミスをして転倒したりすると、すべてが台無しになってしまう。その年は誰もミスをせず、毎回トップ争いができました。このタイトルを獲得できたことについて、チーム、チームメイト、そして自分自身にも心から感謝しています。」



このような高いレベルでレースを戦うには、シーズン中、常にレース適性を保っていなければなりません。特に耐久レースでは年間わずか4戦しかないものの、そのうち2戦は24時間レースであり、身体的な強さだけでなく、精神的な強さも求められます。

「多くの時間をバイクでのトレーニングに費やしていますが、カートにも乗ります。乗るものをいろいろと変えるようにしているんです。カートの場合、体を動かすことができないので、高速での感覚を鍛える必要があり、目でスピードを感じるトレーニングになります。カートコースは狭いので体をたくさん動かす必要があり、ライン取りに非常に正確さが求められます。一方、大きなサーキットでのレースはコースが広いため、ラインを間違えるとタイムロスしてしまいます。だからこそ、カートコースでトレーニングすることで、この正確なライン取りの感覚を養うことができます。普段のトレーニングでは30人近くの人がコース上にいて、その中をスムーズに抜きつつ、適切なラップタイムを出すためにスピードを維持しなければなりません...そして、ラップタイムが遅くても怒らないように心掛けています!」



彼は現在もトゥールーズに住み、妻と二人の子ども、ペットのオウムと暮らしています。休みの日にはフランスのオクシタニー地方の美しい景色の中を自転車で走っています。

「自転車でもたくさんトレーニングをしています。やりたいことによっては、かなり挑戦的な内容になるので。心肺機能を鍛えるために上り下りのある道を選ぶこともあるし、逆に平坦な道を長時間走ることもあります。自転車は一人でできるのがいいところです。特に(今はあまりないですが)、世界選手権に出ていた頃、悪いレースをした後にはよく自転車に乗っていました。1時間ほど走って、自分のパフォーマンスの悪さについて考えを巡らせます。そうすると、その後は頭がすっきりして、気分よく戻ってこられたものです。」

またひとつシーズンを終えた今、すでに20年間も世界選手権レベルで戦ってきたマイクが、まだ36歳であることを忘れてしまいがちです。

「バイクに乗るときに感じるのは、自由であるという感覚です。自分の限界を押し広げること、そして怖いと感じたり、これが限界だと思っても、その限界を超えたくなるんです。特に若い頃は、自分の限界がどこにあるのか分かりません。限界を超えた結果、時には転倒してしまうこともあります。それでも、バイクがどこまでできるのか、その限界と戯れている感じです。その感覚を一言で表すなら、『素晴らしい』としか言いようがありません。」