2020年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で大会が中止となりましたが、21年はカレンダーに復活。今年は昨年同様6月の開催となりました。ミサノがWSBのカレンダーに加わったのは1991年。以来、WSBのカレンダーに定着し今年で29回目(92年、2013年、2020年は開催されず)を迎えます。
ミサノ・サーキットは、2011年ロードレース世界選手権(WGP)第17戦マレーシアGPで、不慮の事故で亡くなったマルコ・シモンチェリ選手の栄誉を称え、12年にミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリに名称が変更されました。
ミサノ・サーキットは、07年に大幅なコース改修を行い、それまでの左周りを右回りに変更し、右コーナー6、左コーナー10の一周4.226kmのサーキットへと生まれ変わりました。最長となるストレートは510mと比較的短く、バリエーション豊かなコーナーが連続するリズム感あふれるサーキットとなっています。
この時期のミサノは、暑い日が続き、ライダーにもタイヤにも厳しい戦いとなります。昨年は3日間ともに快晴となり最高気温は29℃を記録しました。昨年にくらべて今年はやや気温が低い日が続いていますが、選手たちにとっては、絶好のコンディションの中でフリー、予選(スーパーポール)、決勝レース1とスケジュールが進行しました。
今大会を前に、Team HRCに所属するイケル・レクオーナとチャビ・ビエルゲの両選手は、鈴鹿8時間耐久ロードレースのテストのために日本を訪れました。両選手は鈴鹿サーキットでテストを行うだけでなく、埼玉県のHRC本社を訪れ、開発スタッフらと会い、モチベーションを上げることになりました。
3戦を終えて総合5位につけるレクオーナは、「日本ですばらしい1週間を過ごした。本当に力をもらうことができた」と語り、ビエルゲは、「Hondaファミリーの一員になるということを実感した」と意気込みも新たに今大会に挑みました。
両選手ともに、ミサノは知り尽くしているサーキットです。そのサーキットでいかにCBR1000RR-R FIREBLADE SPのパフォーマンスを活かせるかにかかっていますが、レース1は、ビエルゲ7位、レクオーナ9位という結果でした。
フリー走行で8番手、予選スーパーポール(SP)で7番手につけたビエルゲは、好スタートを切ると8台で形成されたトップグループに加わり7番手をキープしました。レース中盤には、アレックス・ローズ(カワサキ)とバトルを繰り広げて8番手にダウンしましたが、再び、抜き返して7位でチェッカーを受けました。
チームメートのレクオーナは、フリー走行で2番手と今季ベストリザルトをマーク。注目される中で挑んだ予選スーパーポール(SP)では、セッション序盤に4コーナーで転倒を喫しました。レクオーナはすぐにピットに戻り、マシンを修復。セッション終盤にコースに復帰し、8番手タイムをマークしました。そして迎えた決勝では、スタート直後の1コーナーの混戦の中で12番手までポジションを落としましたが、その後、ポジションをばん回して9位でチェッカーを受けました。
ビエルゲはまずまず納得できる内容でレース1を終えましたが、レクオーナはフリー走行でつかんだ手応えを結果につなげられませんでした。日曜日のスーパーポール(SP)レース、レース2では、両選手ともにベストリザルトに挑みます。