藤波貴久 26年の軌跡 Part1 ~トライアル日本人チャンピオンの誕生~
2021年9月19日、26年の世界選手権参戦に終止符を打った日本人トライアルライダー藤波貴久。日本人唯一のトライアル世界選手権でのチャンピオンを獲得したレジェンドの半生を振り返る。今回は世界選手権に参戦を開始した1996年からチャンピオンを獲得する2004年までの物語
フジガス・藤波貴久がFIM世界選手権にデビューしたのは、1996年。フジガス16歳の年だった。前年1995年、日本選手権で成田匠やパスカル・クトゥリエを破って15歳でタイトルを獲得。完成したばかりのモンテッサCOTA315R(ホンダRTL250R)を託された。世界選手権で全く無名のライダーの、異例の抜てきだった。
最初の競技はスペイン。ここでフジガスは、いきなり世界のトライアルファンの度肝を抜く。ジョルディ・タレス他、並み居る著名ライダーが苦戦するビッグステップを、フジガスはアクセル全開で駆け上がり、勢い余って向こう側に飛び出していった。
26年間、藤波貴久と共に戦うことになる「フジガス」のニックネームは、このとき誕生した。アクセルは全開にしたまま、抜群のクラッチコントロールやボディアクションでマシンを操る。それがフジガススタイルだ。
マインダーはお父さんの由隆。お母さんの博美さんも一緒の藤波家3人によるコンチネンタルサーカス。マインダーマシンと2台、スペアパーツの一切合切をバンにつめこみ、生活をするためのキャラバンを牽いた。最初の数年、ヨーロッパにフジの家はなかった。滞在中は常にキャラバンで生活をした。日本人がヨーロッパに遠征して戦うには避けて通れない、厳しい戦いだった。
それでも、フジの実力はヨーロッパの地で遺憾なく発揮された。デビュー戦こそポイント圏外に終わったが、その後は順調にポイント獲得圏の常連となり、ライバルにも徐々にその驚異を認めさせていった。こうして1シーズンを戦い、初年度のランキングは7位だった。
翌97年、大親友の黒山健一が参戦3年目にして初の日本人勝利。一方フジは、その最終戦のドイツGP、世界選手権参戦2年目にして初勝利をあげた。この勝利は今でも最年少記録として残っている。
パドックでは、次世代を担うのは若い日本人ライダーとの認識は固まった。ところがフジの2勝目は意外に簡単ではなかった。日本選手権にも参戦することで長旅を強いられ、時差ボケもあった。日本と世界では、ノーストップルールとストップルールのちがいがあるのも、一時期のフジを苦しめていた。97年ランキング4位、98年5位、そして99年にはついにランキング2位になるも、いまだ勝ち星は初優勝の1勝のみ。当時はイギリス人のドギー・ランプキンが圧倒的王者として君臨していた。ドギーは2000年からモンテッサ入り、フジのチームメートにして、最大のライバル、そして最大の友人となる。
2000年から日本GPが開催され始め、地元大会を得て、フジのモチベーションも勢いづいた。ランキング2位にはなったものの、世界選手権ではいつも表彰台が獲得できているわけではなかった。それが日本GPでは、常にドギーとの優勝争いを展開した。ヨーロッパの舞台でも、2001年に1勝、2002年に3勝(うち1勝は日本)。フジガスの勝ちパターンが少しずつ形成され始めた。
しかし当時、覇権はいまだドギーにあった。なんとかしなければいけない。練習方法も変えた。日本選手権参戦をやめ、世界選手権一本に専念した。2003年からは、トライアルを始めてからずっとマインダーを務めてくれたお父さんの由隆さんと別れ、プロフェショナルとしてのフジガスチームで戦うことになった。
ドギーのライディングスタイルは、大きなからだを実にうまく使い、マシンなりにセクションを走破していく。たいしてフジは、まずアクセル全開。バランスを崩すことがあっても、強引に修正して抜けていってしまう。そのやんちゃな印象は、その後20年経っても、ちっとも変わらなかった。
2003年、チャンピオン争いは、最後の最後まで決着しなかった。6勝をあげたフジにも、勝機はあったのだが、ドギーはまだまだ強かった。5年目のランキング2位。この悔しさが、フジガスの反撃の力強いバネになった。フジのモチベーションはいつもそうだ。他に例がない負けず嫌いが、フジガススピリットを支えている。
2004年、勝負の時が来た。世界選手権デビュー以来、一貫して乗り続けているCOTA315R(RTL250R)は、年々性能を向上させていって、この頃にはフジが求めるものがすべて、凝縮されていた。フジもドギーもマシンには全幅の信頼を置いていた。2人とも、ライバルはチームメート以外にはいなかった。
開幕戦アイルランド(DAY1)で勝利、そしてついに、日本GPの2日間を完全勝利。ツインリンクもてぎに集まった日本のファンに、その成長ぶりを示すことができた。力強さを増したフジガスの走りは、ドギーにかなわなかった過去のフジとは別人だった。日本での感動的勝利の後、さらにアメリカGPでも完全勝利、終盤にもフランス、イタリア、スペインとたたみかけるように3勝をあげて、ついに念願の世界タイトルを獲得した。タイトルを獲得したのは、最終戦スイス大会。もちろん日本人としては初めて、24歳での快挙だった。