Hondaの挑戦が生んだ、トライアル世界チャンピオンの系譜:第3期 「4ストローク、第二世代(水冷/プロリンク)他の追随を許さない、4ストロークの技術革新」
第1章 新型4ストロークでトニー・ボウ、驚異の14連覇
(文中敬称略)
Hondaは2004年、藤波貴久とともに日本人初のトライアル世界チャンピオンを実現させた。その翌年、2ストロークでの栄光から一転して、新たな4ストロークの可能性を追求していく。そして、革新の4ストロークを生み出したHondaはトニー・ボウとともに“絶対王者”の名をほしいままにしていく、究極の黄金時代を迎えることになる。
1. Montesa COTA 4RT
Hondaは、2005年に新型4ストロークエンジンを搭載したニューマシン、Montesa COTA 4RTをトライアル世界選手権に投入して、新たな技術革新をスタートさせた。それはFIM(国際モーターサイクリズム連盟)が環境問題により、それまでの主流だった2ストロークから、4ストローク化の方向を示したことが始まりだった。それに対して、王者Honda(2004年は藤波貴久が世界チャンピオンを獲得、ドギー・ランプキンとともに2ストロークで5連覇していた)は潔く、いち早く4ストローク化へ挑戦を開始。他のメーカーは2ストロークのままで戦い続ける中、現在までたゆまぬ研究開発を続けているHondaの“孤高のチャレンジ”は、さらなる高みへとHondaを駆り立てていった。他に先駆けて取り組み、乗りやすく高性能な4ストローク車を生み出すため、ランプキンや藤波とともに開発者たちの血の滲むような努力が続けられたのだ。
その結晶である4RTを得たトニー・ボウは、その優れた安定性を高く評価していた。エンジンを始めサスペンションも、性能が安定していることで、自分の力を安定して発揮できると賞賛していた。その言葉通り、Hondaに移籍した一年目の2007年から、ボウは世界チャンピオンを奪還。大きく進化して蘇ったHondaの4ストロークが、トライアル世界チャンピオンの系譜に、再び名を連ねた。大きな武器となったのは、トライアルマシン初採用のフューエルインジェクション(燃料噴射)。低回転でトルクがある4ストロークの良さを伸ばすとともに、2ストロークのように高回転までよく回る4ストロークを作り上げたのだ。SOHC水冷4ストローク4バルブ単気筒エンジンの排気量は、セクションの難度とライダーの要求の高まりに比例するかのように、開発を重ねるごとに増加していった。
その後もグレードアップを重ねて大きく進化した、世界選手権で唯一の4ストローク車で、Hondaは独走。とりわけ、2013年からツインプラグとなったエンジンは、メインプラグが燃焼室の中央で点火、サブプラグは燃焼室の端から点火する。その2本の点火パターンは、メインだけかサブだけのシングル点火、同時に点火するツイン点火、タイミングをずらして点火する位相ツイン点火がある。この4つの点火パターンを使い分けて燃焼をコントロールする「ツインプラグによる位相点火システム」が、ワークスマシンを大きく飛躍させた。中央で点火しつつ、端からも点火して低回転の燃焼を良くするとともに、トライアルにおいて重要な出力特性もライダーが好むフィーリングにしやすい。これは進化したECU(エンジンコントロールユニット)とともに、技術革新の賜物と言える。実際、ツインプラグになると同時に、ボウも藤波も優勝(2013年の開幕戦日本GPで1日目はボウ、2日目は藤波と勝利を分け合う)ほど、凄まじい威力だった。その勢いは世界選手権にとどまらず、全日本選手権では小川友幸が新型エンジンのワークスマシンに乗り、2年ぶり優勝を獲得。2013年に王座奪還すると、2020年まで8連覇を達成している。
ボウは、強じんな体力と精神力で、大きな負傷をも乗り越えてきた。決して平坦な道のりではなかったが、革新的なマシンによって水を得た魚のように、ボウは卓越した技術を磨き上げていった。結果、2020年までに、Repsol Honda Teamは14連覇。X-Trial(インドアトライアル)も2020年に14連覇して、合計V28。2021年は、V30も夢ではない。2005年から17年目を迎える、Repsol Honda Team はすでに200以上の表彰台を記録し、120以上の勝利を獲得している。Hondaに移籍して15年目を迎えるボウはトライアル世界選手権で歴代最多優勝記録となる116勝(Honda移籍前を含めると通算118勝)をマーク。歴代2位のドギー・ランプキン(99勝)を大きく超えて、燦然と輝いている。
2. Honda RTL250F~RTL300R
Montesa COTA 4RTの2005年の世界参戦スタートに先立って、2004年はツインリンクもてぎでの世界選手権第3戦・日本GPにプロトタイプがテスト参戦、小川友幸のライディングにより二日間とも9位と大健闘した。2005年から競技専用マシンとしてHRCのレーサーRTL250F(Montesa COTA 4RTの兄弟車)が市販され、その後もRTL260F、RTL300Rへと発展し現在に至っている。一方、全日本選手権にワークスマシンを投入、小川友幸が2007年に王座奪還(2001年の藤波貴久以来、6年ぶり)を果たす。その後もHondaと小川は、2010年に2度目の王座をゲット。2013年からは8連覇、通算10度の全日本チャンピオンという不動の地位を築いている。
第2章 Hondaとともに世界参戦25年を記録した、藤波貴久
Hondaは藤波貴久の1996年世界デビューからともに歩み、マシンの進歩とともにライダーの技術も進化、2004年にHondaと藤波は、ついに日本製マシン&日本人初の世界チャンピオンを獲得した(マシンは2ストロークのRTL)。その快挙にとどまらず、2005年は4ストロークの4RTに乗り換えて、一年目から世界ランキング2位。翌2006年も同2位、その後は5年連続ランキング3位と、トップ3での活躍を続けた。
とりわけ2008年のアメリカGPにおいて、Hondaと藤波は世界選手権出場200回を記録。その後も、大きな負傷を何度も乗り越えては復活、2016年は日本GPで世界選手権参戦300戦を達成するとともに、4年連続ランキング5位から同3位に躍進。その後はランキング5位、同6位となったが、2019年は藤波39歳にしてHondaとともに世界ランキング3位に返り咲いた。
そして2020年、Hondaと藤波の世界挑戦は、振り返れば世界チャンピオンにも輝いた2ストローク時代9年間の後、4ストローク時代はさらに16年間にわたりトップクラスに君臨し続けている。その四半世紀におよぶ戦いは、世界最長出場記録“25年”の金字塔を樹立した。2020年ランキングはデビュー年以来の7位となったが、Hondaと藤波は歴代最多となる346戦出場を記録。獲得ポイント数4637も、ダントツの“世界一”となっている。優勝33回は歴代5位、表彰台には167回登壇している。さらに2021年、Hondaと41歳となった藤波の26年目となる挑戦は、まだまだとどまることはない。
第3章 Montesa COTA 4RT 開発ライダー、小川友幸インタビュー
Honda史上最強マシン&ライダーの秘密
「マシンのここを、こうして欲しい」というトニー・ボウや藤波貴久からの要求に対して、開発ライダーの小川友幸は“たたき台”となるベースを作ってきた。それをボウや藤波が試してみて、「これよりももっと硬くしてくれ」とか「柔らかくして」など、さらなるリクエストを加味して詰めていったセッティングを、小川が技術者に伝えていく。それを元に、技術者もまたさまざまなことにチャレンジして、ライダーの望みに応えていく。こうした長年の積み重ねにより、Montesa COTA 4RTは他の追随を許さないほど完成度を増した、極め付けの高性能マシンへとなっていった。
ライダーのイメージにより近いマシンは、まさに手足のように操れるようになり、以前は不可能と思われたテクニックも夢ではなくなっている。Hondaとともにトライアル世界選手権“14連覇”の金字塔を打ち立てた、ボウのマシン。それは、自らがHondaでトライアル全日本選手権“8連覇”(通算10度の王座)を獲得しながら、ボウと技術者の間の“通訳”ともなって、Montesa COTA 4RTを史上最強のトライアルマシンへと導いた、小川友幸の努力と情熱の賜物でもある。そしてまた、高度なマシンコントロール技術についても、言葉で分かりやすく表現できる強みももっている。“最強の秘密”を解き明かすキーパーソンとして、小川に話を聞いた。
1. 最強技“バックホイール”
・バックホイールのやり方
トニー・ボウと言えば、「バックホイール」。つまり“後輪”だけ(フロントホイール=前輪は持ち上げた状態)でバイクの向きを変えたり、岩から岩へ飛び移ったりするなど、自由に移動することができる。究極ともいえる高度なテクニックを誰よりも使いこなすライダーとして知られています。最強テクニックとも言えるバックホイール(日本では、通称“ダニエル”とも呼ばれている)こそ、ボウの能力とHondaの技術が融合して発展した、最たるものではないかと思います。小川友幸選手もトライアル全日本選手権大会で“バックホイール”を使っていますが、そのやり方は、どのようにするのですか?
「ウイリー走行は、前輪を持ち上げて走り出して、前へ進みます。それに対してバックホイールは、まずはピンポイント(その場)で前輪を持ち上げて、前には進みません。どのようにして前輪を持ち上げるかというと、後輪のスピンドル(中心軸)が固定されている(後輪は回転しない)状態だとすると、エンジンの駆動力を与えれば、(チェーンが回る力がかかって)前輪が上がっていきます。基本的にはその原理を使うわけですが、実際は後輪が固定されていないので、ライダーが自分で体の位置を移動させて、後輪が前に動かない位置に持っていくわけです。たとえばヒルクライムの経験者ならば分かるかと思いますが、頂上あたりで斜度がキツい場合、体をグーっと後ろにやって駆動をかければ、多分全員、前輪が浮いてくると思います。その原理と同じですね。つまり、その場で前輪を上げる基本を、どこでもやってしまうのがバックホイールという技です」
なるほど、「チェーンは回すが後輪は回さず、前輪をリフトさせる」という、驚くべき高度な技術なのですね。ところで、「後輪を進ませない」と聞くと、後輪ブレーキをかけるのかな?と思いますが、ウイリー状態で後輪ブレーキをかけると、前輪が下がってきますよね。実際は、後輪ブレーキを使うのですか?
「平地でバックホイールをやる時は、後輪ブレーキを使います。使わないと当然、前に進んでしまいますから。場合によっては、ガッと強く後輪ブレーキをかけることもあります。それでも前輪が落ちない角度を、探すわけです。トニーは、それがうまいんですよ。
上り坂でのバックホイールは、後輪ブレーキをかけたり、かけなかったりします。
後輪ブレーキをかけるのは、ミスを修正する時とバイクを安定させる時などですね。
バイクが立っている角度を、アクセルやクラッチ、ブレーキで調整して、前輪が上がりすぎたら後輪ブレーキをかけて前輪を下げるわけです。たとえばウイリー走行でも、前輪を上げ下げしながら角度を調整したりしていますよね、それと一緒です。ただし、その調整幅が、ほぼ無いくらい少ない。一瞬、グッとバランスがとれる位置があって、そこにもっていくのが誰よりもうまいのがトニーなんですね。一発で、そこにスコーンともってこれるのがトニーです」
その「ウイリー状態でバランスがとれる角度」は、だいたい何度くらいですか?
「それはライダーの体格や、バイクの重さによっても違ってくるので、一概には言えませんが。一番は、路面の形状です。それによって、だいたいの角度が決まります。その角度は、何度だろう? 昔は、平地でバックホイールは不可能だったので。本当に最初の頃はヒルクライムとか、斜面の上りで上りきれなくなった時に、前論を浮かして、後輪でチョンチョンと(小さくジャンプして)バックホイールをしていた。それは、前輪の位置が低かったですね。でも今は、平地で止まるような角度になってきているので、よっぽどバイクが立っていないと、前輪が落ちて前へいってしまうわけですよ。だから、平地だと、結構角度が立っていると思います」
・バックホイールの進化
では、なぜ平地でバックホイールができるようになったのですか?
「それはライダーの技術と、マシンの性能、両方じゃないですか。たとえばHondaは、インジェクションだから当然、どんな状況でもエンジンの回転を安定させていますよね。それに対して、昔の2ストローク(キャブレター)は急斜面を上がっていくと、ウァーンと勝手に回転が上がっていくことがあったんですよ。それがなくなったのが大きいと思う。昔は怖くてできなかった(笑)。
最初に平地でバックホイールをやったライダーは、たぶんスペインのアルベルト・カベスタニーだったのではないかと思います。たしか2000年くらいにトライアル・デ・ナシオンに行った時に、岩場とかでもカベスタニーがやっていたのを覚えています。当時の僕は、岩場でバックホイールをやるという発想がなかった。トニーも、最初から今のようにやっていたわけではなかったですね」
前輪を上げた状態をキープするのに必要な、バイクの操作は?
「これは究極の話ですが、後輪ブレーキをロックさせて止まっている時は、角度さえ本当にピシッと決まっていれば、アクセルやクラッチはそんなに必要ない。後ろにもいかない、前にもいかない、当然左右にもいかない、絶妙の位置があります。その角度に対する、自分の位置、バイクとの距離感が大事です。たとえばバイクが前へいっていた時に、自分が前へいきすぎると、当然前輪が落ちてしまう。落ちそうになったら、人間が引っ張って上げて、バランスをとるわけです」
・バックホイールの強み
そもそも、バックホイールのメリットとは?
「前輪を上げた状態で後輪をロックさせて、一瞬でも止まっていられれば、メチャクチャ有利だと思います。僕はまだまだ全然極めてないですけど、ちょっと真似事でもできるようになってきて、それをすることによって何が良いかといえば、前輪を上げた状態からスッと下りる時の恐怖心とかが、なくなりますね。コントロールする、自信がありますから。たとえば昔は、『ここは、こうなったら、どうしよう?』とか不安要素もあって、『じゃあ安全策で行こうか』とか、メチャクチャ考えたわけですよ。それが、たとえば前輪を上げたまま、狙うところまでもってくる自信があって、バイクもイメージ通りに動いてくれれば、『じゃあ次は、こっちへ行こうか』という余裕が出てくる。バックホイールをやっていて良かったと思うのは、そういうところが進化したことです」
・バックホイールから飛ぶ方法
2020年11月28日に大阪の万博記念公園・お祭り広場で開催された「City Trial Japan 2020 in OSAKA」では、小川友幸選手が優勝しました。その時に、高さが2m以上ある縦に置かれた丸太の上(幅はホイールベース以下で、丸太の上に前後輪が水平にのる余裕はない)に上がり、そこからまた遠く離れた丸太の上まで飛ぶという人工セクションがあり、そこでもバックホイールの技術が生かされていましたね(写真参照)。テクニックの精度も高いけれど、バイク自体もよほど精密機械のように狂いなくドンピシャと動いてくれないと、怖いのでは? それにしても、いい位置を見つけると前輪を上げた状態で止まっていられるということですが、そこから、どうして飛んでいけるのですか?
「そうですね、昔はあんなセクション、ありえなかったですよね。バイクも、今のようなマシンでなければ、怖くてできないと思います。バックホイールから、どうやって飛ぶか、一番わかりやすく言うと、たとえば段差の角に後輪を当ててグーっと止まっている(前輪は浮いている)状態が、アクセルとクラッチで一番負荷をかけています。でも、かけすぎたらグワーッとまくれ返ってしまうので、そのギリギリのところで止めています。たとえば斜面の上りでやったら、進みすぎないように、なおかつ後輪が空転しないようにします。“坂道発進”と一緒ですね。トライアルは、その坂道発進の連続のようなものでもありますから、“半クラッチ”が大事です。そこからアクセルを開けて、クラッチをつないで、バイクが進もうとするところで、クラッチをバーンと離せば、バイクはまくれ返る状態になる、そこを使って飛んでいるだけなんですよ」
後ろにまくれるのを、前に行かせるわけですね。
「たとえばトニーも、前輪が浮いた状態で止まっている、そこから発進するわけではないです。それだと、まくれて終わりですから(笑)。その状態から、ウウーッと(パワーをためながら)前輪を一瞬下げて、飛ぶんですよ。後輪のサスペンションも縮んで(自分も力をたくわえている)、出来上がった状態から、それに合わせる。そう、ロケットの発射みたいに、あるいは“ゴム輪”を引っ張ってから放して飛ばすような感じで、飛ぶわけです」
2. 不可能を可能にした、マシンの進化
ここまででトニー・ボウを筆頭とするライダーの、高度なマシンコントロール技術について教えていただきました。次に、ボウのような類い稀なるテクニックを可能にした、マシンの進化についてはいかがでしょうか。
「今のトライアルは、全日本でもそうですが、『いかにミスをしないか』『いかに自分が思ったように、イメージした通りに走れるか』が重要です。セクションを下見して、『ここでアクセルを開けたら、これだけ進む』『ここでクラッチをつないだら、これだけ上がっていく』ということを、ライダーがイメージしていきます。それに、ドンピシャ合うように精度を上げるようなマシン作りが、今はメインだと思います。ECUのマッピングもそうですし、クラッチもそうです。トニーが、とんでもないライディングをすることができるのは、身体能力の高さや筋力、体力などすべてが飛び抜けているからだと思いますし。自分のイメージ通りに動いてくれる、マシンに対する信頼度の高さがあるからだとも思います」
・クラッチの重要性
バックホイールで飛ぶ際も、半クラッチが大事ということでしたが。
「バックホイールのような技が出てきて、半クラッチで止まるということは、クラッチがつながりすぎてもダメですし、つながらなさすぎても前輪が落ちますから。ライダーがイメージする位置で、たとえば10の力があるとして5を理想としたら、その時に4しか力が出てこないと、ズレがあるわけですね。そういうところを、より詰めていくのが今の課題かな、という気がしますね。たとえばディスクの材質も含めて、要するに無限の組み合わせがあるので、『そこは、どうやったらベストか?』とか『ここは良い方に出たけど、ここはダメになったね』とかが、あるわけですよ。それをどこにミックスさせて一番ベストにもっていくかというのを、常にやり続けています」
クラッチで一番使うのは?
「引きずっている状態ですね。たぶん、滑っているとは思いますよ。バチッとくっついていたら、走り出しますから。擦れている状態が続くと、確かにクラッチ板はめっちゃ減ると思いますが、トライアル車ではその減り方が抑えられています。同じことを普通のオフロード車でやったら、一瞬で減ってクラッチ板がアウトになります。それくらい、トライアルのクラッチは進化していますし、とても優れていると思います」
・4ストロークの優位性
エンジンの進化については?
「バックホイールもそうですが、昔は想像もしなかった世界にトニーは来ていますよね、以前は誰も2mの壁を上るなんて思ってなかったでしょ(笑)。それが、今は上がってしまう。ライダーの技術もありますが、エンジンは大前提ですね。トニーも、たとえば125ccだったら、上がらないこともあるので。それも力の出方と、イメージなので、極端に言えば1,000ccとかでも後輪が空転して路面を掻いてしまったらダメなんですよ。グリップさせて、伝わらなければいけないので、“使えるパワー”として今の300ccほどの排気量がちょうどいいところに来ているんでしょうね」
4ストロークは、2ストロークよりも“トライアルに向いている”と言えますか?
「今は、言えると思います。やはり“トルク”というのは、2ストロークの時も散々追い求めていたものですが、当然マックスまでやってきましたけど出なかった。それが4ストロークをやったことで、ポーンとワンランク以上上がったようなイメージです。今でも覚えているのは、4ストロークのプロトタイプをデビューさせる2004年・日本GPの前に、“乙女の滝”というツルツルに滑る岩盤をトップライダーが2ストロークで試しに走ったら、落ちたのですよ。そこをプロトタイプは何の問題もなくスパーンと上がったのが、すごく印象的でした。トルクが、“負荷負け”しなかったのですよ。“エンジンブレーキの領域”と言いますか、アクセルを戻しているのだけれど、上がっていく。それによる自信とか、感覚をつかんでいることが、全日本でも生きています。2ストロークの時はアクセルをちょっと開けたり、クラッチをつないだりいろいろやっていましたが、それを4ストロークはしなくていいですもん。単純に、バイクがやってくれるから、他のことに意識を回せる。それが大きいですね。同様に、トニーも4ストロークに乗ってから、余裕が増したと思います」
・飛躍を生んだ、ツインプラグ
とりわけワークスマシンは、“ツインプラグ”が特徴的ですね。プラグは2本、コイルも2個必要になるため、重量が増えるなどの課題もあったかと思います。
「ツインプラグという発想は、技術者の方にしていただきました。僕たちライダーが『こういうふうに進化させたい。でも、当然限界がくるので、それをどうするか。そのデメリットのところを、どうやって補っていくか』と悩んだ時に、『やはり、ツインプラグにしていかないと厳しいのではないか』と提案していただき、作ってもらったのがツインプラグでした。それが当たって、セッティングをしてみると、『これは、こういうメリットがあるじゃん』と、新たな発見もあったのですよ。
単純に、排気量を上げてボアが広がってくると、燃焼が当然悪くなります。それを救うために、やったのですね、最初は。要するに、プラグが死なないようにするとか、ですね。トライアルはエンスト間際(極低回転)から全開(高回転)まで使うわけですから、どうしても濃くなっていくとか、失火してしまったりとか、あるわけですよ。それが、プラグは2本、コイルも2つあって、インジェクションであることが一番大きいですね。コンピューターで全部コントロールできるわけです。
たとえば、この領域の、この回転数の、この角度は、このプラグの火を飛ばして、とか。同爆(2本同時点火)であったり、位相点火であったり、いろいろな組み合わせがあったわけですよ。それをいざやってみたら、『えっ? これ、めっちゃ使えますけど』と驚くほど良くなるところが出てきたんですよ」
ツインプラグもまた、トライアルに向いていた。Hondaが研究してきたツインプラグが、マシンの性能を飛躍的に向上させた、というわけですね。
「僕の仕事はたいへんになりましたけどね(笑)」
改めて、Hondaはボウと出会って、ボウもまたHondaに乗ったことによって、14連覇が成し遂げられたと実感しました。マシンの進化からは、「精密機械」(時計やカメラのように細かい部品から成り立ち、少しの狂いも許されない機械)という言葉が浮かびますが、トライアルバイクもそうなっている?
「なってくると思いますし、もうなっているかも、とも思います。今は、何でもデータで取れる時代ですが、トライアルではまだデータで取れない部分もあるんですよ。トライアルは、それくらい繊細で。たとえばクラッチ板にしても、鉄板を研磨して綺麗に真っ平らにして測定すると、何の問題もない。でも、僕らはそれを使うと、わかってしまうんです。『なんか違う』と、違いが出るんですよ。それくらい、測定に出ない領域に、ヒトの感覚が進んでいるところもあるんですよ。人間の感覚は、センサーとしてすばらしいですよ。今でも十分に精密なHondaのバイクですけれども、それをまたより良くするのに、終わりはないですから」
確かに、精密機械のようなマシンを、精密機械のように操るライダーがいてこそ、とんでもないところを走破することができるのですね。進化したバイクと人間が生み出す、今日的なトライアルの躍動感が、そしてまた無限の可能性を感じさせることが、見る人を惹きつけるのでしょうね。
3. “フジガス”最強伝説
「見る人を惹きつける」といえば、もう一人の“最強ライダー”藤波貴久が浮かびます。なんといっても25年、世界選手権のトップライダーとして誰よりも長く君臨してきた鉄人ぶりは、現役選手にして“レジェンド”とも呼ばれています。そして2021年、Hondaは、41歳になったフジガスとともに、さらに世界に挑み続ける。それにしても藤波はなぜ、これほど長い間、強さを保ち続けることができているのか? やはりHondaのマシンとの出会いが大事だったのではないか、と思います。
「そうですね、もちろん本人がものすごく努力していると思いますが、それに対してマシンも助けてくれる。自分の持っているイメージにマシンが近づいてきて、結果が出せると思うので。いくらライダーががんばっても、マシンがダメなら勝てないですから。
たとえば、ドライ(晴れ仕様)とかウエット(雨仕様)とかのモードを、スイッチ一つで選べるようになったことも大きいですね。この状況の時の好みはこれ、別の状況の時の好みはこれというのが、絶対あると思いますから。ライダーの得意な部分はより強く出せるし、あまり得意でないところは補えるわけですから、多用する選手もいます。トニーはどちらかといえば“自分がセンサー”のようなタイプなので、あまり使わないですけれど。藤波はよく使うみたいですね。自分のスタイルがあって、なおかつマシンで補ってほしいタイプですね。『ここは高い段差だから、パワーを上げておこうか』とか、そういう感じですね。確かにリカバリーが強いというか、パワフルに攻めて失敗しそうになったとしても、それを修正する力がある。そんへんが、トニーとの違いですね。そして、さらにトニーはトニー、藤波は藤波の好みに合わせた仕様が可能です。それを、より細かくできるのがインジェクションで、欲しいところをピンポイントで狙っていける感じです」
なるほど、ライダーの得意とするところを、どんどん強化していくことができる。それが、ボウや藤波の長年にわたる活躍の原動力になっているわけですね。
ところで最近、藤波貴久のSNSで、派手ではないですが地味に驚かされるシーンがありました。藤波が自宅の庭のような場所で、壁を上って前輪を下ろす際に、従来のようにストーンと落とすのではなく、まるでスローモーションに近いようにフワーッとゆっくり前輪を下ろして見せていました。これは、どういう技なのですか?
「それは、完全にバックホイールから来ていますね。バックホイールの影響で、以前よりもその壁の“角に乗る”精度が上がっていますから。ライダーとマシンが進化して、究極のアクセルとクラッチのコントロールができるようになってきたわけです。前輪を上げて、後輪で壁の角に乗っている状態での余裕ができたので、これまでよりも前輪を狙った位置にピタリと落としたりすることができるなど、フロントのコントロールが良くなるんですよ。前輪を下ろすまでの『時間を稼げる』ので、めちゃくちゃ有効ですよ。このように、ライダーとマシンの進化によって、トライアルの技は、無限に広がると思います」
最後に、フジガスの強みといえば、あきらめない精神力の強さというか。数々のケガや困難にもめげない、だからこそ25年やってこられたというところもあると思いますが。
「常に、トップライダーの中で勝つため、走るために努力していますよね。自転車のトレーニング一つにしても、海外の選手もやりはじめていますが、たぶん最初にやり始めたのは藤波ですね。自分が年齢を重ねてくることによって、補わなきゃいけない部分も当然出てくるでしょうし。その中でも常にベストを探って、とにかく勝つんだという。何年も戦ってきて、自分にプレッシャーを感じたりしていると思うのですが、そこを、本当に惜しみなくやっているのが藤波かなという気がします。『そこまでやるか?』と僕はやっぱり思いますものね。僕らもやるのですが、じゃあ藤波と比べたら?となると、ウーンとなりますもんね」
情熱では、ボウにも負けていない?
「だと思います。ただ、トニーも尋常ではないですよ。だって14連覇したくらいですよ、普通は一カ月くらい休むでしょ。それが、世界選手権が終わった週に、またバイクに乗るんですから。まだ、楽しいんでしょうね。それが、武器だと思います。藤波もトニーも、楽しんでいるからこそ長く続くし、どんどん成長していく。でもね、“楽しむ”って、難しいんですよ。自分がいくら楽しくやりたくても、マシンがついてこなかったら、楽しくないですよ。自分がイメージしているようにバイクが来なかったら、楽しくなくなってくるんですよ。そういう点では、マシンはめちゃくちゃ重要です」
Hondaが1973年に国産初のトライアルバイク、バイアルスTL125を発売してから48年目となる、2020年。エディ・ルジャーンから山本昌也、成田匠らとともに磨き上げ、受け継がれてきた“伝承の集大成”であると、そう表現する技術者もいる。小川友幸もまた、前任の三谷英明(全日本のトップライダー)から、開発ライダーを受け継いできた。トライアルに注いできたHondaの半世紀にわたる情熱は、トニー・ボウ14連覇、藤波貴久25周年という世界選手権でも前人未到の大記録を打ち立てた。また、全日本では小川友幸が、Hondaで8連覇・通算10度目のタイトルを獲得した。これらは、言うまでもなく、まだ途中経過に過ぎない。新型コロナウイルス感染症を乗り越えて、Hondaのさらなる挑戦は2021年以降も、「トライアル世界チャンピオンの系譜」に新たな歴史を刻んでいくに違いない。