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Honda
STANLEY TEAM KUNIMITSU

Naoki Yamamoto 100

山本 尚貴

Naoki Yamamoto

6歳からカートを始め、2002年に全日本カート選手権FAクラスチャンピオンを獲得。06年に鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ (SRS-F)を卒業し、翌07年はスカラーシップ制度でフォーミュラチャレンジ・ジャパンに参戦して総合2位となりました。08年は全日本F3選手権に参戦、09年はNクラスで8勝を挙げ、見事にチャンピオンに輝きました。

10年はフォーミュラ・ニッポン、SUPER GTに参戦し、フォーミュラ・ニッポンでは、総合7位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。SUPER GTでは、伊沢拓也とコンビを組んで戦いました。デビュー戦で3位表彰台を獲得するなどして、総合8位。11年は、開幕戦岡山の2位が最高位となり、総合9位でシーズンを終えました。

伊沢とのコンビが3年目を迎えた12年は、開幕から2戦連続で2位表彰台を獲得。自己最高の総合5位でシーズンを終えると、シーズン終了後のJAFグランプリ富士スプリントカップでは3位表彰台に登壇しました。

13年は、SUPER GTでは、ウイダー モデューロ 童夢 レーシングに移籍。第5戦“鈴鹿1000kmレース”を制し、Honda勢で2番手となる総合4位でシーズンを終えました。NSX CONCEPT-GTのデビュー初年度の14年は、第5戦で優勝を果たし、総合4位となりました。一方、フォーミュラ・ニッポンから全日本選手権スーパーフォーミュラに名称が変更された初年度にチャンピオンを獲得。

15年はチーム クニミツに移籍し、伊沢拓也とともにNSX CONCEPT-GT勢の中でトップの成績となる総合3位となります。17年は第3戦でのポールポジションを獲得をはじめ、2度の3位表彰台に登壇し活躍と、安定した成績を残します。

そして、同チーム4年目となった18年は、ジェンソン・バトンがチームメートとして加入。開幕戦岡山、第3戦鈴鹿で2位、第6戦SUGOで優勝とポイントを積み重ね、最終戦でも3位表彰台に登壇して年間王座に輝きました。さらには、全日本スーパーフォーミュラ選手権でも栄冠を手にして、国内カテゴリーでのダブルチャンピオンを達成しました。

19年も引き続きバトンとともに、チャンピオンナンバー「1」を背負ったNSX-GTで戦いました。スーパーフォーミュラでは2位となり、2年連続チャンピオン獲得は果たせませんでした。

20年はSUPER GTは牧野任祐をチームメートに迎え最終戦にライバルに先着し、チャンピオンを獲得。最終戦までもつれ込んだスーパーフォーミュラはライバルをおさえてフィニッシュし、SUPER GTとのダブルチャンピオンを獲得しました。

21年はSUPER GTは引き続き牧野とともに、スーパーフォーミュラは心機一転TCS NAKAJIMA RACINGに移籍して、ダブルチャンピオンの防衛に挑むも、全日本スーパーフォーミュラ選手権13位、SUPER GTで3位に終わりました。

22年はSUPER GT、スーパーフォーミュラともに1勝を挙げ、SUPER GTでは前年に続くランキング3位、スーパーフォーミュラは10位となりました。

23年はSUPER GT第6戦でクラッシュに見舞われ、ケガの影響でSUPER GT、スーパーフォーミュラともに後半戦を欠場。手術とリハビリを乗り越え、復帰戦となった24年のスーパーフォーミュラ開幕戦では3位表彰台に登壇しました。最終戦を前に、24年限りでトップフォーミュラから引退することを発表。最終戦で6位に入賞し総合8位で、15年にわたるトップフォーミュラでの戦いを終えました。

SUPER GTでは、24年には全戦入賞で総合2位、25年は3年ぶりの勝利を挙げて最終戦までタイトル争いに残り、2年連続の総合2位となりました。