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SFL 2022

HFDPドライバーズ・ドキュメンタリー SFL Vol.2 ~太田格之進~

jp Suzuka Circuit

今年、TODA RACINGから全日本スーパーフォーミュラライツ(SFL)選手権にデビューした太田格之進は、シリーズ第2大会第5戦でポール・トゥ・ウインを遂げた。同じ日に開催された第4戦と第6戦でも2位に入賞して表彰台に上がった太田は第2大会終了時点でシリーズポイントランキング2番手に浮上した。

HFDPドライバーズ・ドキュメンタリー SFL Vol.2 ~太田格之進~

SFLのデビューイヤーを順調に戦い進み始めた太田ではあるが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。太田は、2018年にSRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール。現ホンダ・レーシングスクール・鈴鹿=HRS)を受講。そこでスカラシップを獲得して2019年、HFDP(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)からFIA-F4日本選手権へ参戦した。

開幕大会からスピードを見せつけていた太田は、鈴鹿サーキットで開催された第5戦で初優勝、第6戦でも連勝を飾り、一躍注目の新人となった。

「鈴鹿で連勝したときは、正直『これは行けるな、これはもうチャンピオンを狙うしかない。(チームメートである佐藤)蓮と僕の一騎打ちで、シリーズタイトルが獲れるな』という手応えがありました。前の年にHFDPでFIA-F4を戦った角田(裕毅)選手がヨーロッパへステップアップするのを間近で見ていましたし、自分にも道が開けてFIA-F4シリーズチャンピオンの先にもっと大きなものも見えたような気がしました」と太田は当時を振り返る。ところが、勝負をかけようと思っていたシリーズ後半、太田は一転して不調に陥った。きっかけは、HFDPチーム内で行なわれたシャシーのシャッフルだった。

FIA-F4はシャシー、エンジンとも厳密な同一性能のワンメイクレースとして開催されているが、複雑なレーシングカーには微細な個体差がつきまとう。ドライバーの育成を目的とするHFDPは、その個体差をも平滑化してチーム内の公平性を保ち、ドライビングに対し的確にアドバイスするため、シーズン中に抽選で車両を入れ替える。いわゆるシャッフルを行なっている。

太田は、シャッフルの結果シーズン後半に向けて自分に割り当てられた車両の特性が「自分には微妙に合わなかったようだ」と言う。もちろん太田は自分が陥った不調を車両のせいにはしない。これまでFIA-F4で好成績を残してきた歴代の選手たちは、その特性差を自分のドライビングで乗りこなし、それを“学びの教材”として身につけ成長していったからだ。



「シャッフルで当たったマシンは、これまであまり調子がよくないと言われてきた個体だったので、本音を言えば当たりたくないと思っていました。でも、当たってしまった。たしかに、それまで乗っていたマシンのほうがマイルドな乗り味だなと感じました。もっとも、そのときは『よし、このマシンでも勝ってやるぞ』という気持ちでいました。ただ、シーズン後半のレース結果が悪くなっていくにつれて、ルーキーイヤーだったこともあって焦りも出てきて、自分でミスをするようにもなった。歯車がだんだん噛み合わなくなっていったんです」

もちろん太田は、乗り味についてHFDPのアドバイザーやメカニックに相談をして対処しようとした。しかし、それ以上に焦る気持ちが太田の足を引っ張った。

「マシンがおかしいと言い切ってしまうと、チームとの関係もよくなくなってしまいますし、チームワークも崩れてしまうと思いました。もちろん状況は相談していましたし、チームはそれを理解してくれていました。でも、シリーズ前半戦はトップ争いをしていのに、シーズン後半に入ったら中団で戦うことになり、『なぜ自分はここにいなくちゃいけないんだ』という気持ちが出てしまった。それが走りのミスや荒さにつながって、たとえば5位に入れたレースを7位で終えるような流れになってしまったんです」



結局太田は1年目のFIA-F4をシリーズチャンピオンにはほど遠いランキング6位で終えることになった。そして捲土重来を期して2年目のシーズンに向かおうとしたとき、新型コロナ禍が襲来したのである。

新型コロナウイルスまん延という社会問題を受けて、HFDPは2020年度の活動を休止した。だがステップアップを目指す若い選手にとって1年のブランクはきわめて重い意味を持つ。太田は、コロナ禍の中でもなんとか活動を継続しようと可能性を探り、プライベートチームであるVEGAPLUSからFIA-F4シリーズに途中参戦した。

「HFDPが活動を休止すると聞いたときには、正直なところ『なぜこんなときにこうなるのか』という気持ちでした。それでシーズン中盤まで何もなくなってしまったので、どうすればいいんだろうと焦りましたが、どうしようもなくて、第2大会からVEGAPLUSでFIA-F4に出ることにしました。とにかく乗らないとダメだと思ったんです」

しかしシーズン途中からの参戦ということもあり、太田は9レースを戦い2回表彰台に上がりはしたが優勝はできず、シリーズランキングは7位に終わった。



2021年、太田は活動を再開したHFDPから3シーズン目のFIA-F4を戦うことになった。今度こそ、本来自分が持っているはずのパフォーマンスを発揮するときだった。しかし2021年シーズンも、太田の思いどおりにはならなかった。

「結局昨年が一番つらいシーズンになってしまいました。2020年はシーズンの半分くらいしかレースができなかったけど、1年は1年としてカウントされてしまいます。それで昨年が3年目。これはもう『絶対にチャンピオンを獲らないと』と思ってシーズンを迎えました。でも思うような結果は残せませんでした。シーズン中、ダンパーが壊れたりもしたし、最終戦はぶつけられて終わるなど不運も重なりました。不運は僕のせいではないんだけど、レースでは、そういう貧乏くじを引くヤツが負けるんです。だから、その貧乏くじがなぜ僕にまわってくるのか……悪い運を引き寄せてしまう自分自身に怒りというか悔しさを感じました。噛み合わないときはどんどん噛み合わなくなっていくもので、結局自分を責めることになる。結果的には表彰台には何度も上がりましたが、自分が満足いくリザルトからは程遠いものでした。シーズン後半戦は『レースができるのも、今年が最後かな』と考えるようになり、レースを終えるたびに『あぁ、僕がレースできるのは、あと何戦か』というような数え方をしていました」



こうして3年目のFIA-F4も不本意なままシーズンを終えた太田ではあったが、シーズンオフに思いがけないチャンスがやってきた。上位カテゴリーであるSFLのオーディションに参加できることになったのだ。それこそが3年間、太田が目指していた道だった。

「HFDPの阿部(正和)監督や金石(年弘)アドバイザーをはじめ、本当にいろんな人が動いてくれて、オーディションを受けられるようになりました。周囲の方々がFIA-F4の結果だけではなく、僕の“走りの質”を見ていてくれたんだなとすごく感謝しています。オーディションは合同テストで行なわれましたが、初日の1セッション目は全体でトップタイムを記録することができ、SFLへステップアップするチャンスをつかむことができました」



太田が所属することになったのはTODA RACING。これまで多くの有力選手を輩出した名門チームである。加藤寛規アドバイザーの指導を受けた太田は、早速SFLの乗りこなしに取り組み、シーズンを迎えた。現時点でシリーズは2大会6戦を終えた段階だが、太田は今シーズン「SFLルーキー」のなかでは最上位、ランキングトップの小高一斗にもわずか5点差で続く状況でいる。しかし、太田自身はまだまだ「SFLは難しい」と語る。だが一方で「オレは行けるぞ、という気持ちも蘇ってきたんです」とも言う。太田は今年こそ納得のいく1シーズンを送ることができるのだろうか。シリーズは第6大会18戦まで続く予定だ。


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