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【Behind the Scenes】HRC二輪レース部オフロードマネージャー 本田太一 インタビュー

【Behind the Scenes】HRC二輪レース部オフロードマネージャー 本田太一 インタビュー

優勝を逃した理由は大きく2つある。1つはスタートダッシュだ


2023年のダカールラリーは、2年ぶりのチャンピオン奪還が最終目標でした。しかしながら、パブロ・キンタニラによる総合4位が最高位にとどまり、惜しくも目標達成なりませんでしたが、Team HRCの3人のライダー全員が10位以内でフィニッシュという2024年に繋がる結果となりました。優勝を達成できなかった綻びはどこから生まれたのでしょうか。HRC二輪レース部オフロードマネージャー本田太一は、大きく2つの理由があると分析しています。



「1つはステージ1が始まる前のプロローグです。約13キロくらいの短いレースで、ステージ1のスタート順を決めるためにおこなわれるものなのですが、ここで前の方にいることがこの数年とても重要になってきています。チームメンバーは決してスプリントレースが苦手なライダーではないのですが、チーム内ベストのリッキー・ブラベックで10位。他の3名はさらに後方に沈んでしまいました。

コースはとてもフラットで、若干サンド質が混じったような路面でした。Hondaのライダーやマシンに問題があったわけではなく、単に他のライダーが速かったのでしょう。最近はオーストラリアのライダーが強いのですが、特に彼らが得意にするような路面だったかもしれません」

ダカールラリーの戦い方は独特です。スタートで1番手のライダーはわだちのついていないまっさらな砂漠をナビゲーションしながら切り開いていかなくてはいけません。一方、10番手あたりからスタートできると、先行車のルートをトレースするだけとなり、前を行くライダーをパスしながらスパートをかけられることになります。ステージごとのスタート順は、前日のリザルトが反映されるため、ステージ優勝したライダーは次の日にナビゲーションする役目を強いられ、大変な苦労をすることになります。つまり、ダカールラリーはシーソーゲームのようなものなのです。連勝し続けることは難しく、上位、下位(といっても10番手前後)を行ったり来たりする中で、総合タイムで上位を維持し続けるというレースなのです。

「プロローグで前方集団と、後方集団の2組に分かれるのが最も理想的な展開なんです。Hondaは4台しかいないので特にこのフォーメーションをうまく組んでいくことが大事です。リズムが整ってくるまで大変なんですよ。ところが今回は、最初から全員が10分ほどの差をつけられてしまって、追い上げのレースになってしまったんです」



勝利が見えたのはステージ8。雨が全てを変えてしまった


「ダカールラリーでの10分というのは、本来大きな差ではありません。序盤の段階でそこまで苦労せずに追いつけるものと思っていました。特に今年はナビゲーションもルートも難しいと言われていたので、差は奪い返しやすいと考えていたのです。ところが、今年のサウジアラビアは異常気象でした。例年雨はほとんど降らないのですが、今年は日程の7割くらいが雨でした。四輪が走る頃には、ドライバーが濁流に流されてしまうような危険なシーンもあったほどです。

この雨がくせ者でした。本来、マップを見ながら丁寧にナビをしなければいけないオフピスト(砂丘など、道がないフィールド)であっても、人が通ったあとがしっかり残っていたのです。この跡をたどっていけば、先頭を行くライダーであってもナビを相当部分端折ることができました。今年のダカールのナビは難しくなる、と言われていたのに主催者にとっても誤算だったことでしょう。さらにこの雨は難しい砂漠のコンディションを変えてしまいました。砂漠は雨で硬く締まった路面になり、イージーになってしまったのです。つまり、我々はこの雨によって、ライバル達との差を縮めることが相当難しくなってしまったのです。

ステージ8ではやっとの思いでパブロ・キンタニラがトップと2分45秒差まで縮めることができました。これでようやく反撃ができると思っていました。フォーメーションとしても文句のつけようがなかったのですが、続くステージ9でチームのライダー全員が転倒でタイムを失ってしまいました。映像で見ると分からないのですが、ここも雨の影響が大きかったステージです。全面ため池のような感じになってしまって、思うように差を詰められないもどかしさがあったのかもしれません。今思えばあそこがターニングポイントでしたね。最後までこれが影響してしまいました。

なお、このステージ9は我々のサテライトチームで走っていた元チームメイト、ジョアン・バレーダがトップに立てそうな場面でもありました。これがうまくいっていればまだ望みはあったかもしれませんが、バレーダも転倒でリタイアしてしまうんです。トップグループから外れてしまった3名ではうまくフォーメーションを組み直すことができませんでした」

後半のステージはキャンセルになり、そもそもスペシャルステージの距離も短いものでした。追い上げを強いられるHonda勢にはこれらも不利な要因として働き、最終ステージまでに十分な追い上げをすることはかないませんでした。



 2023年のダカールは本田が言うダカールラリー独特のシーソーゲーム(英語ではYOYO EFFECTなどと呼ばれています)を緩和するための改革があり、レギュレーションに大きな変更がありました。

1つはデジタルロードブックです。これまで紙のロールに書かれた長い長いコマ図をロードブックホルダーに巻いていたのですが、これをタブレットのようなデジタル端末に変更する予定だったのです。

さらに、配布されるロードブックはAとBにランダムに分けると宣言されていました。ロードブックが2つ存在するとなると、ライダーは前走者に単純についていくわけにはいかなくなります。全員がナビゲーションを追う必要が生じます。ところが……

「デジタルロードブックは事前にチームにテスト用で配布されていました。ちょうど太陽が頭上に来る時間帯になると、液晶がまったく見えなくなってしまうというデメリットを抱えていて、全チームが揃って反対声明を出したことで2023年の採用は見送られたのです。デジタルロードブックであれば即座に改変されたロードブックを配布することもできるので、天候によるルートの崩壊などにも対応しやすいでしょう」

結局、ロードブックがアナログに戻ったことで後続有利の状況に変化はなくなってしまいました。また、大量の雨の影響で砂漠を走ることが簡単になり、追い上げに必要だったステージ7はキャンセルになり、最後のチャンスだったステージ9では転倒を引き起こしてしまう……。デジタルロードブックの配布がもう1年早ければ、事態は変わっていたかもしれません。

天候のよくない南米ダカール時代にも、天候や不運に左右された年が続いていました。本田太一にとっても2023年のダカールは「南米時代を思い起こす年」だったようです。



新加入のエイドリアン・ヴァン・ベバレン


Team HRCのライダーは全員が優勝を狙える実力を持っており、それは新規加入したフランス人のエイドリアン・ヴァン・ベバレンも例外ではありません。

「エイドリアンはモトクロスのキャリアを持っており、フランスのルトゥケという大規模なビーチレースで3回優勝したことがある素晴らしいライダーです。以前から何度か話を持ちかけられていたのですがタイミングが合わなかったこともあって、なかなか一緒にダカールを走ることがかないませんでした。今年はたまたま、縁があって、契約にこぎつけました。エイドリアンはHondaでダカールを走ることが初めてだったこともあって、体制の違いにとても驚いていましたよ。自分の求める方向性のマシンがすぐにできあがってくるので、とても前向きでした。2022年シーズン途中からすでにTeam HRCに合流していて、スペインのアンダルシアラリーで優勝もしています。

プロローグはまさにエイドリアンが得意とするスプリントだったのですが、本人も結果の悪さにびっくりしていました。わずか数秒差ではあるんですが、もうちょっと速く走れていたはずだ、と。

エイドリアンは勝てそうな局面で転倒してリタイア、という苦い経験をキャリアの中で何度も経験していることもあり、メンタルトレーニングをしっかり積んできていました。そのかいあって、1日目で結果が悪くても徐々に改善していくことができていて、とても調子がよかったんです。レストデーの前の日、ステージ7までにトップと3分差まで詰められていて、よし行くぞ! と気合いを入れたステージ9、若手のライダーとぶつかって転倒してしまったんです。ダカールラリーは紳士的ルールがあり、接戦の際はある一定の間隔をお互いに取りましょうというルールがあるのですが、相手側がそれを理解していなかったのかもしれません。エイドリアンは横から突っ込まれたと言ってましたけど、お互い言い分があるのでしょう。とにかくこれで3分差が20分差になってしまった。サンドが得意なのに、雨で締まった路面では差も詰められませんでした」



チリ出身、ナチョとキンタニラは砂漠の得意を活かせず


ホセ・イグナシオ・コルネホ、そして2021年から加入したばかりのパブロ・キンタニラはどちらもチリ出身で旧知の仲。いつも共に練習をしているほど、つながりが濃いライダー達です。

「コルネホは、彼はナチョと呼ばれているんですが、家の裏が砂丘で朝起きたらすぐにデューンライドができるようなところで育ちました。ですから砂漠がとても得意で、反面プロローグのようなフラット路面でのレースは苦手なライダーです。ナビゲーション能力も優れているので、ステージ優勝するとその次の日にあまり順位を落とさないという強みもありました。

ですが、前述したとおり砂漠は雨で硬くしまっていてその有利は活かせず、またステージ優勝も少なかったため、沈んだところから追い上げることが苦手なナチョは、実力を発揮できませんでしたね。



キンタニラは逆にチリの都市部出身で、練習熱心です。マシンに乗る練習だけでなく、フィジカルトレーニングもすごくしっかりやる非常にタフなライダーです。優勝できると言われ続けていながら今までそのチャンスを逃してきていました。昨年3位に入って勢いをつけていたところなのですが、その後、怪我をしてしまってリカバリーが遅れてしまった感はありました。

2人は特にチームワークにこだわっていて、Team HRCが勝つために何をすべきか一生懸命考えてくれています」



2020年の覇者、アメリカンのブラベックが持つ驚異的スピード


現チーム唯一の優勝経験者、リッキー・ブラベックはアメリカ出身。実はリッキーが優勝したことでこの3年、ダカールにはアメリカの有力ライダーの参戦が増えてきています。

「たとえば2019年。リッキーはこの年、非常に速くて勝利を確信できるほどだったのですが、エンジントラブルでリタイアしてしまいました。ですがその調子のまま、2020年は圧倒的なパフォーマンスで優勝しました。リッキーはスピードに勝る強いライダーです。

ただ、前半のスプリントレースでトラブルを抱えてしまいがちな側面があります。2021年は初日でミス、2022年もやはり前半で大きくタイムロスしてばん回できないという結果に終わってしまっています。本人もだいぶそれを理解していて、スプリントの練習を積んできました。プロローグでは10位だったのですが、今年のダカールは、強豪揃いでの中で10位に入れたことはとてもよかったと思います。前半はいろんな路面シチュエーションがあって、リッキーが得意とする地元カリフォルニアによく似た状況だったのですが、ステージ3で転倒リタイアしてしまいました。転倒してすぐ立ち上がってマシンに向かったのですが、その時点でちょっと記憶が飛んでいたようです。本人はレースを続行できるつもりだったようですが、ドクターヘリに乗っていた医者からドクターストップがかかりました。

今年はプロローグがうまくいかなかったことが、チームの大きな敗因になっているのですが、リッキーだけはうまくいっていました。ステージ1では優勝していますし、相当悔しがっていました」



驚異の耐久性、現在のCRF450RALLYは非常に高いポテンシャルを秘めている


「リッキーが転倒してしまったのは偶発的なものだったと聞いています。たぶん石に弾かれたとか、そういう類のトラブルだと思うのですが、我々としてはそういう状況下でもマシンの安定性を確保するべきだと考えています」

現在、Team HRCで運用しているダカールマシンはCRF450RALLY。ダカールに復帰して1年目はエンデューロバイクであるCRF450Xをベースにマシンを仕上げたのですが、求める性能に届かなかったため、2年目からはエンジン、フレームに至るまで新規で設計したファクトリーマシン、CRF450RALLYを投入しています。すでにこのマシンでのレースは8年目。

対して、最大のライバルであるKTMグループはおおよそ4年に一度のフルモデルチェンジを敢行している……というのが、ダカールラリー2強が走らせるマシンの状況です。

「年々熟成させていて、フレームの細部などは毎年変更があります。8年使い続けているのは単純な理由です。作り変えるのではなく、積み上げてゆく方針だからです。このレースはマシンが壊れてしまうとすべてがダメになってしまうということで、耐久性をしっかり持たせることが大事なのです。耐久性を上げていくのは一筋縄ではいかない。すべてはエンジニアリングによる積み重ねの結果です。材料を置換するというのもありますし、あとは耐久テストの精度を向上していくことも重要です。たとえば、2019年はエンジンが壊れてしまったわけですが、なぜそうなったのか理由を1年かけて解析していく、ということです。

このCRF450RALLYは立ち上げ当時から、常にオフロード車の最先端技術を投入してきたため、8年経っても戦闘力は負けていませんし、熟成によりまだまだ向上の余地があります。KTMグループも2年前にファクトリーバイクをフルモデルチェンジしていますが、実は市販車としてまだ販売されていないのです。ファクトリーのエンジンも一部旧型を積んでいるのではないかと我々は考えています。それほどダカールバイクを新規で作るのは難しいことなんです。

今年から二輪カテゴリーの最高速は160km/hまで、という規制が追加されました。これまでは最高速を競うような部分もあったのですが、もう必要なくなりました。つまり160km/hに到達するまでの加速性能が問われるわけですね。実はこの長いダカールラリーの歴史の中で、最高速ルールがなかったのは二輪カテゴリーだけだったのです。四輪、トラック、サイドバイサイド(小型四輪)、すべて最高速ルールがあって、その中でどう戦うか?というノウハウが確立されてきました。

ですから、今年のセッティングは昨年からだいぶ変えています。高速域のパワーを稼ぐのではなく、低中速に振った特性に変化させました。結果的には砂丘の上りなどで少しライバルに置いていかれるようなところもあったようですが。このあたりは、これからのマシン作りの課題になると思います」

ダカールで問われるマシンの耐久性というのは非常に特殊なものです。距離にして8,000km以上、毎日メンテナンスは入りますが、トップライダーの豪快なスロットルワークに耐えうるエンジンを作る必要があります。

「我々は2019年のリッキー・ブラベックのエンジントラブル以降は、一切マシントラブルを起こしたことがありません。MOTULがスポンサーについていて、毎日オイルの成分検査をおこなうのですが、それもほとんど確認にしか使っていません。エンジンの中で起きる事は過去の経験からおおよそ想定できています。

復帰当初はスペアマシンを数台持って行っていましたし、予備パーツなども非常に多かったのですが、耐久性が上がってマシンが壊れることもなくなったことで、今はスペアマシンを1台も持って行っていません。エンジンを単体で数機持って行くだけで、当初のチーム体制からすると非常にコンパクトになっています。レース専門の会社であることの強みでもあると思うのですが、失敗を改善していくサイクルは非常に優れていると思います。マシンだけでなく、運営面も進化し続けているのです」



ダカールラリーはまた変革を迎えている


パリ=ダカールラリーはフランス人であるティエリー・サビーヌが始めたもの。フランス人に根付く、アフリカという広大かつ未知の土地に対する憧れが、その背景にあります。創始当初はフランス人をはじめとしたヨーロッパ人を中心としたレースでした。BMWやカジバなどが強かった時代、日本のメーカーが参入することで段々と多様性を伸ばしていったダカールラリーですが、南米にその戦いの場を移してから、様相はどんどん変わっていきます。

本田も南米時代からこのダカールラリーに関わり、その移ろいを見守ってきました。

「今年からWEBサイトなどの閲覧データを関係者に積極的に見せているようですが、ラリーのファンが世界的にとても増えているようです。ヨーロッパでは根強い人気があり、最近はアメリカの勢いがすごいですね。

実際、ダカールの現場に身を置いていても、サイドバイサイドではカンナムというアメリカのメーカーがワークスで参戦してきています。スカイラー・ハウズ、メイソン・クラインなどアメリカ人のトップライダーも増えてきました。これは我々のチーム員であり北米出身のリッキー・ブラベックが2020年に勝利したことも大きいと思っています。

サウジアラビアも変わりましたね。ダカールラリーがサウジアラビアに場所を移した当初は沿道に人などいなかったのですが、今年はとても観客が多かったですね。認知度が上がったのか、サウジアラビアの道路にもHondaのバイクが走っているのを見るようになりました」

ルールがどんどん変わっていくのも、ここ数年のダカールラリーの特徴です。

「毎年のように大きなルールの変更がありますね。大きいところで言うと、今年はルートを切り開いた先頭のライダーにボーナスタイムが与えられ、シーソーゲームをできるだけ緩和しようという動きがありました。このルールがどういう影響を与えるのか当初は予測がつかなかったのですが、実際には今年のダカールがナビもルートもイージーだったことから、ステージ上位陣の強みをさらに増強することになりました。前半に出遅れてしまった我々にとっては、このルール変更も不利に働いてしまったといえるでしょう。

またデジタルロードブックはおそらく2024年の採用に向けて、再度調整がかかっていくと思われます。

我々も2024年に向けて勝ちにこだわって準備を続けていきます。来週からアブダビのラリーがあるのですが、そこでダカールラリーで感じたサンドでの弱さを再確認しながら、次の開発に活かせるように情報を集めていきます。我々の目標はあくまでダカールラリーの優勝ですから」



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