Joan Mir 36
ジョアン・ミル
1997年9月1日、スペイン・マヨルカ島生まれ。彼のバイクへの情熱は、ほかの多くの世界選手権ライダーとは違ってすぐには芽生えず、父親が店を経営していたこともあってかスケートボードに親しんでいました。
2013年と14年にはレッドブル・ルーキーズ・カップですぐに頭角を現し、2年目にはホルヘ・マルティンとタイトル争いを展開。翌15年にはCEVレプソルインターナショナル選手権Moto3クラスに参戦し、最終的にランキング4位を獲得しました。しかし、この年の本当のハイライトは、オーストラリアGPでロードレース世界選手権(MotoGP)Moto3クラスデビューを果たしたことでした。負傷した尾野弘樹の代役として参戦したミルは、15番グリッドからスタートすると4番手まで順位を上げる快走を披露。レースは転倒リタイアに終わったものの、世界にその名を知らしめました。
続く16年にはMotoGPMoto3クラスへのフル参戦を果たし、第10戦オーストリアGPでは初めての表彰台を優勝で飾りました。最終的に表彰台に3回登壇し、ランキング5位でシーズンを終えたミルは、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。マシンをHonda NSF250RWに切り替えて臨んだ17年は、10勝を含む13回の表彰台に登壇する圧倒的な成績を残し、Moto3クラスチャンピオンとなりました。
Moto2クラスにステップアップした18年でもミルの快進撃は止まらず、すぐにクラスの強豪たちと上位を争うようになりました。第5戦フランスGPでクラス初表彰台を獲得すると、続く第6戦イタリアGPでも再び3位表彰台へ。最終的にランキング6位でシーズンを終えたミルは、スズキのファクトリーチームからオファーを受け、19年から最高峰クラスへの参戦を開始しました。
デビュー戦からコンスタントにトップ10入りを続けていましたが、シーズン中盤のテストで負傷して2レースを欠場。しかし、シーズン終盤には再び鋭い走りをみせて、自身の持つスピードが健在であることをアピールしました。
20年は世界にとって特殊で難しい一年となりましたが、その中でミルは高い集中力でレースに挑み続けました。多くのタイトル候補が現れては消え、勝利しては翌週に転倒するような波乱のシーズンを、ミルは安定感を武器にして戦い表彰台を重ねていきました。そして、第13戦ヨーロッパGPで最高峰クラス初勝利を挙げると、第14戦バレンシアGPで7位に入り、最終戦を待たずにチャンピオンを獲得。最高峰クラス参戦2年目にして、王者として歴史にその名を刻むこととなりました。
21年は王者として追われる立場となり、その実力を証明するべくシーズンに臨みました。合計6回の表彰台を獲得し、最終戦までタイトル争いに加わったミルは惜しくも総合3位に終わりましたが、その戦いぶりは前年王者の名に恥じないものでした。
しかし22年のシーズン中、最高峰クラスでの戦いをともにしてきたスズキが同年限りでのMotoGP撤退を表明。さらに第13戦オーストリアGPで激しい転倒を喫して4戦を欠場するなど、ミルにとっては苦しいシーズンとなりました。3度の4位入賞を果たしながらも本来の実力を発揮できず、多くのリタイアもありましたが、彼のレースへの情熱は消えませんでした。
23年はRepsol Honda Teamに加入し、苦戦しながらも多くのことを学んだ一年となりました。苦しんだシーズンを土台にして、24年は再び上位を目指します。