バレンティーノ・ロッシ選手、グランプリレースから引退
株式会社ホンダ・レーシング(HRC)は、バレンティーノ・ロッシ選手に心からの感謝を捧げるとともに、26年間の輝かしいグランプリキャリアに幕を下ろした後の、次のステージでの活躍を願っています。
ロッシ選手は、HRCと共に2001年から2003年まで最高峰クラスで3年連続の世界チャンピオンに輝き、48戦中31勝を挙げてMotoGPでの地位を確立しました。
2000年にHonda NSR500で最高峰クラスにデビューして2位を獲得しました。翌2001年には2ストローク最高峰クラスの最後のタイトルを獲得。圧倒的な強さを発揮したこのシーズンで、ロッシ選手は2位のライバルに対して100ポイント以上の差をつけてシーズンを終えました。また、鈴鹿サーキットで行われた開幕戦でスリリングな走りを見せ、Hondaのグランプリ通算500勝目を達成しました。
2002年、最高峰クラスに4ストロークの1000ccマシンが導入され、HondaはRC211Vをデビューさせ、ロッシ選手はRepsol Honda Teamから参戦しました。このシーズンは1戦を除き残りの全戦をトップ2以内でフィニッシュし、再びタイトルを獲得。#46とRC211Vのコンビネーションは最高峰クラスの中で確固たるものとなりました。
2003年も同様のパターンで、ロッシ選手は16戦すべてで表彰台に登壇、Hondaで3連続タイトルを獲得しました。2003年のシーズンで特に印象的なレースとなったのはオーストラリアGPで、10秒のペナルティーを物ともせず、最終的に2位に15秒差をつけてフィニッシュし優勝を果たしました。Hondaでの活動は、シーズン最終戦バレンシアでの特別なワンオフ・カラーリングとともに見事に締めくくられました。しばしば「オースティン・パワーズのバイク」とも呼ばれるこのRC211Vは、彼のキャリアの中で特に記憶に残るカラーリングのひとつです。
Hondaを離れてからロッシ選手は、サーキットで手強い競争相手であり、ライバルでした。彼の走りは、HRCとそのライダーたちがサーキットで最高のパフォーマンスを発揮するための原動力となってきました。グランプリでのキャリアを締めくくる"The Doctor "は、これまでにすばらしい走りを数多く披露し、モーターサイクル・レースの歴史にその名を刻んでいます。
HRCは、バレンティーノ・ロッシ選手の長年にわたるコラボレーションと協力と競争に感謝するとともに、サーキットを離れた後の新たなステージでの活躍を願っています。
ありがとう Vale !