MotoGP

HRC開発室室長・国分信一が語る「Hondaの現在地」

HRC開発室室長・国分信一が語る「Hondaの現在地」

2023年MotoGP第3戦アメリカズGPは、今季からHondaへ移籍してきたアレックス・リンス選手(LCR Honda Castrol)によりHondaとしてMotoGPで1年半ぶりの勝利を飾りました。昨年は、ライダー・チーム・コンストラクターズのすべてでタイトルを逃し、厳しい挑戦者の立場からシーズンをスタートしました。実際に、開幕戦のポルトガルと第2戦アルゼンチンの序盤2レースでは苦戦傾向が見えたのも事実です。しかし、第3戦では、テキサス州オースティンのサーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)を得意とするリンス選手が金曜午前のプラクティス1回目から好調な走り出しを見せ、週末を通して高い水準の戦闘力を発揮。その結果、土曜午後のスプリントで2位に入賞。さらに、日曜の決勝レースでは優勝を達成。リンス選手は昨年終盤からの6戦で3回目の勝利、Hondaにとっての優勝は2021年10月のエミリア・ロマーニャGP以来、25戦ぶりでした。

王座奪還を目指して挑戦を続ける今季の戦い、そして、いよいよこれからシーズンが本格化する欧州ラウンドに向けた意気込みについて、HondaのMotoGPマシン開発を束ねるHRC開発室室長・国分信一に話を聞きました。



・・・COTAのレースは、アレックス・リンス選手らしい、素晴らしい勝ち方でした。国分さんたち開発サイドから見て、充分に予想できた勝利でしたか?

正直なところ勝利は予想していませんでした。HRCの歴史を振り返ると、これほど厳しい成績だった時代はおそらく過去にないです。だから、そこからどうやって上がっていくのかという試みもまた、我々にとって初めての状態です。けっして簡単なことではないと覚悟して開発を率いていますが、今はまだ勝ちきれる状態に至っていないのも事実です。ただ、開幕前からテストを続け、ひとつずつ課題が整理されクリアになっているので、この調子でステップを踏んでいけば上位へ到達できるだろう、と予想できるレベルにはあります。

・・・方向性が見えてきたということですか。

そうですね。今までとはアプローチの方法を変えたり、あるいは他陣営で技術を率いていた河内健にテクニカルマネージャーとしてHRCに合流してもらったりと、Hondaの歴史ではかつてなかったような試みをするなかで、我々に足りない部分が明確になってきました。一足飛びに何かが大きく変わることはないのですが、私自身の中でもストーリーが少し見えてきたという実感はあります。

・・・そのストーリーの中では勝つことはもう少し先にあったということですね。

優勝はいろんな要素がすべて整って達成できることです。今回、アレックスはウイークを通して高水準のタイムをマークしていました。その布石はアルゼンチンやポルトガルでの走りにもあって、ただこれまでの2戦は結果に繋げることができなかった。開幕戦でもポルトガルでマルク(・マルケス / Repsol Honda Team)がポールポジションを獲ったときは、「マルクだから取れた」「彼以外は乗れないマシンだ」といろいろなことを言われましたが(笑)、本当にダメなマシンなら誰が何をやってもタイムが出ません。我々開発側としては、タイムを出してくれたので必要なデータを取ることができ、その分析をもっとしよう、というところからひとつずつ積み重ねてアメリカズGPを迎えました。

・・・ただ、マルケス選手はポルトガル決勝で転倒しました。次のアルゼンチンでも、Honda陣営は苦戦傾向に見えました。それらの苦戦の中でも、少しずつ積み重ねていくものがあった、ということですか。

苦戦しているときでも何もかも全部が悪いわけではなくて、その中でも必ずいいところはあります。ライダーにしても、メカニックにしても、我々開発者にしてもレースに〈たら・れば〉はないから、これで勝てるという楽観視はできないけれども、分析をしていくと「こういうところは良くなっている」「こういうところが悪い」「ここは継続だね」というものが見えてきて、それをきちんとまとめていくと6位から5位、4位と上がっていけることがだんだん見えてきました。だから、それをしっかり分析してシェアし、我々は今どこにいるかを見極めてステップを進めているところです。新しいライダーや、技術者を迎え入れることでそれら分析の視点が増え、積み重ねのスピードアップが可能となった実感はあります。

・・・COTAでリンス選手は初日に3番手タイムで、土曜午前の予選は2番手。午後のスプリントも2位。非常に順調に進んだ印象でしたが、開発陣の手応えはどうでしたか。

アレックスはもともとCOTAが得意コースで、最初のセッションで乗った時から走りが非常に良かったです。ライダーの要素は非常に大きかったと思います。しかし、得意だからといって散漫にならず、セッションが進むにつれ課題も確実に明確になって、セッティングを変える、チームも考える、我々も考えて議論をする、と現場で皆が一体となり地に足をつけた作業を進められました。



・・・アルゼンチンでマルケス選手の車体と自分用の車体を比較し、次のCOTAでも午前の走行で相互比較をしたうえで、午後に自分がずっと使ってきた車体に絞り込み、セットアップを煮詰めていったという話を伺いましたが、実際そのように進められたのでしょうか。

確かにマシンのスペックには複数種類があります。その中で、ライダー毎にベストを尽くせるよう違った仕様となる場合もあります。もちろん最新パーツの投入をテストするなど一時的な仕様差がある場合もあります。例えばマルクとジョアン(・ミル / Repsol Honda Team)が使っている車体は、外側から見ても違いがわかります。マルクとアレックスのものは、そんなに大きくは変わりません。とはいえ、進化の過程で仕様に差が出る場合もあります。まだ開幕3戦なので、そこら辺の手の内はあまり明かせませんね(笑)。

・・・リンス選手は、前のチームにいた時代から丁寧なライディングに定評のある選手ですが、今回のウイークでは電子制御のセットアップを彼のコントロールに任せるような振り方をした、という話を聞きました。実際のところは、どうだったのでしょうか。

基本は、そういう方向ですよね。レース中にはラインを変えなきゃいけないこともありますし、いつも以上に突っ込まなきゃいけないときもあります。だから、自由度を持たせなければならない。そういう時に制御依存ではどうしても通り一遍になってしまう可能性があって、同じように走ることは可能だけど、そこからさらに瞬発力を出して速く走りたいときには制御の方向に従うだけではなくて、ライダーに委ねる部分があったほうがいい。アレックスにしてもジョアンにしても違う陣営から来ているので、Hondaの考え方と違うところはもちろんあります。そういう意味では、今までとは違うことをやってみようということの、一つの方法ですね。

・・・彼らや河内さんの加入で、Hondaになかったものが新たに入ってくる要素は大きいですか?

決してHondaの中になかったわけではないと思います。もともと自分たちも持っていたけれども、昨年まで結果が出なくて試行錯誤をしていく過程で、少し道を見失いかけていたところがあったのかもしれません。いろんな人たちの話を聞いてゆくと、「でも、これって本当に我々が持ってなかったものだっけ?」というもの、つまり、かつてはHondaもそうしていたよね、というものも結構あるわけです。もちろん新しいこともあります。そういう意味では、河内やジョアン、アレックスが違う陣営から来てくれたことは、我々にとってすごく新鮮ですね。

人間って、同じところにずっといると自分でも気づかないうちに思考が少し固まってしまうこともあるじゃないですか。ひょっとしたら我々にはそういうところが少しあったのかなと感じています。だから今は、彼らの意見を取り入れてやり方を変えてみたりもしていますよね。



・・・Hondaのライダーはマルケス選手にしても中上選手にしてもミル選手にしても、深くコーナーに突っ込んでクルッと回り、素早く立ち上がっていこうとする、Hondaの伝統的なライディングのようです。彼らは開幕前のテストから「立ち上がりでリアがスピンして加速につなげにくい」という話をよくしていました。これはCOTAのレースウイークで中上選手が土曜の走行後取材の際に指摘していたのですが、リンス選手の場合はもっと旋回速度を上げるような、いわばMoto2に近い走り方をしている、とのことでした。実際のところはどうなのでしょう。

確かにそこは速かったです。現実的にそこは分析して見えていることで、それはやはりライダーの力だと思います。うまく走らせているな、と思います。マルクはCOTAではいつもちょっと違う次元にいるのですが、今回のアレックスもそういうところにいました。

・・・決勝レースでも、ずっと2分03秒台中盤で走っていましたね。

あれも、我々の想定よりも速かったです。もう少しペースを落とさなければタイヤが持たないだろう、と考えていました。そこは、うまくライダーがマネジメントしてくれたと思います。レース序盤からアレックスはバニャイア選手(ドゥカティ)の背後で安定して走っていて、8周目にバニャイア選手が転倒したあとはアレックスの独走状態になりましたが、逆に考えると、我々があの状態(転倒)になっていた可能性も高い。序盤からずっと背後につけていたので、あのベースでいけば表彰台は間違いないと思いながら見ていましたが、他の選手が転ぶということは自分たちのライダーだってそうなる可能性があるわけですから。だから、レースが終わった時は、もちろん勝ってよかったしうれしかったけれども、ホッとしたところも大きかったですね。

私は実は、アレックスとMoto3時代にも一緒に仕事をしています。その頃と比べると、ライダーとして格段に大きく成長していることを実感しましたね。昨年まで彼がいたチームでもすばらしい走りをしていましたが、Hondaに来てマシンを乗り替え、チームも変わり、昨年終盤からの過去6戦では3勝しています。ライダーとして、レベルが本当に上がっている状態でHondaへ来てくれた。アレックスにはHondaのいいところと悪いところが見えていて、ライディング等でいいところを引き出す工夫をしてくれたのだと思います。

・・・これは〈たら・れば〉の話になってしまうのですが、バニャイア選手が転ばなかったとしたら、どのような展開になっていたでしょうか。

我々の想定で言うと、マシンはまだ勝ち切れる状態になってないので、たぶん2位だったのではないかと思います。仮に最初のセクターで抜いたとしても、長い裏ストレートでまた抜き返されたでしょう。
2位でいいなどとは、決して言ってはいけないことなのですが、今の我々は(コンストラクターズ順位の)6位から始まっている状況なので、一足飛びに勝てるストーリーは描けません。まずは表彰台争いを安定してできる状態に持っていく、というのが最初のアプローチです。常に我々の最終目標は勝つことですが、それはすべてが整い最後の最後に達成される、というのが私の考えです。そうじゃないと、たとえ突然変異で速くなったとしても、速くなった理由がわからなければ継続できない。それはライダーの感覚にしてもそうだし、我々エンジニアにしても、なぜ速くなったかがわからなければ、次にどうしていいかわからないままになってしまいます。



・・・開発側としてやらなければならないこと、やりたいことはきっとたくさんあると思います。ただ、今シーズンはウイークのフォーマットが大きく変わって、金曜の結果で予選の組分けが決定し、土曜午前の予選結果で土曜午後のスプリントと日曜の決勝のグリッドが決定します。週末の進行がこのようにせわしなくなると、レース運営や開発のアプローチも従来からは変更する必要があるのでしょうか。

ありますよね。我々にとってこのスケジュールは非常に厳しいです。すでに水準が高いチャンピオンバイクや陣営ならともかく、我々はまだこれからやらなきゃいけないことがたくさんあるのに、やる時間はどんどん絞られているわけですから。やれることが限られると、踏めるステップが限られる。ステップが限られるということは、レベルを上げる時間もかかってしまう。その中で結果を出さなければならないわけです。だから、確実にどう上げていくか。小さなステップでも確実に上げないと、ややもするとギャンブルになりかねない。でも、たとえギャンブルをしても最終的には勝ち続けられない。1回だけのレースだったら、もしかしたらありえるかもしれないですよ。でも、20戦でレース回数は毎回スプリントと決勝があって、20×2の40レースになる状況で、ギャンブルなんてできない。だから、そこは正直なところ、すごくジレンマですね。

・・・次戦から、いよいよ本格的にヨーロッパラウンドです。COTAで久々の優勝を達成したとはいえ、一歩一歩確実に進んでいくという先ほどの話でいえば、今のHondaの目標到達度を山に喩えると、何合目あたりという感触ですか。

まだまだです。五合目にも届いていないと思います。ここまで3戦を戦ってきましたが、第2戦と第3戦は南北アメリカの海外ラウンドで、開幕戦のポルティマオサーキットも少し独特なコースなので、そういう意味ではリアルなマシンの戦闘力やチームのパフォーマンスが次のヘレス・サーキット‐アンヘル・ニエトで見えてくると思います。「我々はどれくらいの位置にいるのか?」というのを再確認して、今後どう進めていくかをクリアにしていく場です。1回勝ったとはいえ、それは変わりません。



・・・国分さんとしては、第4戦はどのような位置付けでしょうか。

現実的に、まだいろんなことをやらなければなりません。ヘレスはそれを再検証する場として考えています。残りのレースをどう戦っていかなければならないのか、何をどう開発していかなければならないのか、そういったことを見極めていくので、1勝したからといって以後のレースもいい調子で戦えるとは決して思っていません。

・・・最後に今シーズンこれからのレースの国分さんのビジョンを聞かせてください。

オースティンの優勝は想定よりもいい結果でしたが、レース運営にしてもマシン開発にしても、いろいろなことがこれからです。ですから、一刻も早くチーム全体で確実に戦えるパッケージにしていくことが必要と考えています。

他社から移籍してきたジョアンとアレックスがHondaのバイクでどうやって勝てるように仕上げていくかという点でも、テクニカルダイレクターの河内が我々に合流してくれたことはとても大きくて、彼がいなければもっとたいへんだったと思います。

今回はアレックスの話が多くなりましたが、我々にとってマルクも長年ずっと一緒に戦ってきた重要なライダーですし、チャンピオンライダーのジョアンの存在も重要です。そして日本人ライダーの中上選手ももちろん重要で、全員が我々にとって大事なライダーです。全員がいなければHondaになりません。ポイントランキング面ではまだ厳しいライダーがいるのも事実ですが、今年のレースフォーマットは先ほども話したとおり、どこでどうなるかわかりません。だから、1戦ずつ着実にステップを踏みながら全員が一丸となって、最後の最後まであきらめずに戦い抜いていきます。これから始まる欧州ラウンドでの我々Hondaの戦いに、皆さまのご支援とご声援をよろしくお願い申し上げます。



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