●IA1 ヒート1
スタート直後、大城魁之輔(Honda Dream Racing Bells)が2番手の好スタートを切りますが、能塚智寛(カワサキ)の先行を許して3番手に後退し、これに大倉由揮(Honda Dream Racing Bells)が続いて1周目をクリアしました。2周目以降、大城は能塚についていけず、6周目の段階でギャップは6秒ほどに拡大していました。
次周、大城に僅差で続いていた大倉が逆転に成功。ところが、ここから大倉のペースが上がらず、今度は大城が大倉の背後でマークを続けることになりました。そしてレースが後半に入った11周目、大城が大倉をパスして再び3番手に順位を上げました。
この段階で、2番手の能塚は大城より8~9秒も先行していましたが、能塚のラップタイムが落ち、前が開けた大城がペースを取り戻したことから、両者のギャップが一気に縮小。15周目に大城は能塚を抜いて、2番手に浮上しました。一方、大倉は終盤に失速。レースは20周でチェッカーとなり、大城が2位、大倉が4位でゴールしました。
●IA1 ヒート2
ヒート1では1周目10番手から追い上げて6位となった大塚豪太(T.E.SPORT)が、このヒートでは1周目7番手からレースをスタートします。一方、大城は1周目10番手と出遅れ、大倉はスタート直後の転倒で一時は最後尾となって、1周目を16番手でクリアしました。2周目、大塚は6番手、大倉は14番手に順位を上げました。
3周目、上位4台が抜け出す一方で、星野裕(スズキ)を先頭に8台が連なる5番手集団が形成され、7番手に後退した大塚と9番手に順位を上げた大城もこの中で奮闘。さらに、13番手にポジションアップした大倉は、この集団を4秒ほど後方で追いました。
そして6周目には、大塚が星野をパスして再び6番手に。次周には、大城も星野の攻略に成功して7番手となりました。その後、この集団はそれぞれの間隔が広がっていきました。レースはそのまま20周で終了となり、大塚が6位、大城は7位でゴールしました。大倉は11周目に8番手に順位を上げ、そのまま8位でフィニッシュしました。
大城 魁之輔
4
Honda Dream Racing Bells 第4戦で鎖骨を折るケガをして、第5戦は明らかに本調子ではない状態でした。6週間のインターバルを使って、体力面とスピードを元に戻す努力を続けてきました。ヒート1は2位だったので、ある程度のところまで調子は上がってきている…と思っていたら、そう甘くはありませんでした。ヒート2はスタートで出遅れ、荒れた路面に対応できず、まるでうまく乗れていない中で、ペースを上げようとして転びかけ、それでもタイムを削ろうとしてまた転倒寸前と、自分にどんどんブレーキをかける方向になってしまいました。こんなレースをしている場合ではないのですが、開幕戦あたりの段階までは戻ってきていると考えることもできると思うので、両ヒートをまとめるという課題にもう一度取り組んで、さらにその上を目指します
第4戦で鎖骨を折るケガをして、第5戦は明らかに本調子ではない状態でした。6週間のインターバルを使って、体力面とスピードを元に戻す努力を続けてきました。ヒート1は2位だったので、ある程度のところまで調子は上がってきている…と思っていたら、そう甘くはありませんでした。ヒート2はスタートで出遅れ、荒れた路面に対応できず、まるでうまく乗れていない中で、ペースを上げようとして転びかけ、それでもタイムを削ろうとしてまた転倒寸前と、自分にどんどんブレーキをかける方向になってしまいました。こんなレースをしている場合ではないのですが、開幕戦あたりの段階までは戻ってきていると考えることもできると思うので、両ヒートをまとめるという課題にもう一度取り組んで、さらにその上を目指します
大倉 由揮
6
Honda Dream Racing Bells ヒート1を終えた段階で、身体のコンディションがあまりよいとは言えず、ヒート2は1コーナーで転倒しました。本当はもっと上位を狙える感触もあったのですが、確実にポイントを獲得する走りに切り替えました。ご存じの方も多いと思いますが、アジアロードレース選手権に参戦していた埜口遥希選手が、レース中のアクシデントにより8月16日に亡くなりました。自分はロードレースの選手と一緒にトレーニングする機会が多く、埜口選手とは1年ほど前に知り合いました。期間は短いですが大きな存在で、埜口選手のほうが年下なのですが、彼が持つ負けん気の強さに刺激をもらっていました。鈴鹿8耐には自分が応援に行ったし、この大会には埜口選手が来てくれるはずだったので、この現実がいまだに信じられません。でも、ロードレースの仲間たちと同じく、自分も前を向いてがんばっていこうと思います
ヒート1を終えた段階で、身体のコンディションがあまりよいとは言えず、ヒート2は1コーナーで転倒しました。本当はもっと上位を狙える感触もあったのですが、確実にポイントを獲得する走りに切り替えました。ご存じの方も多いと思いますが、アジアロードレース選手権に参戦していた埜口遥希選手が、レース中のアクシデントにより8月16日に亡くなりました。自分はロードレースの選手と一緒にトレーニングする機会が多く、埜口選手とは1年ほど前に知り合いました。期間は短いですが大きな存在で、埜口選手のほうが年下なのですが、彼が持つ負けん気の強さに刺激をもらっていました。鈴鹿8耐には自分が応援に行ったし、この大会には埜口選手が来てくれるはずだったので、この現実がいまだに信じられません。でも、ロードレースの仲間たちと同じく、自分も前を向いてがんばっていこうと思います