HFDPドライバーズ・ドキュメンタリー FIA-F4 Vol.2 ~西村和真~
今シーズン、ホンダ・フォーミュラ・ドリームプロジェクト(HFDP)からFIA-F4日本選手権シリーズに参戦したルーキーの西村和真は、デビュー戦となるシリーズ第1大会(第1戦/第2戦)が始まると、一躍脚光を浴びることとなった。というのも、第1戦の公式予選A組で出走20台中ベストタイムを記録し、決勝レースのスターティンググリッド最前列に並ぶことになったからだ。
ところが、決勝レースで事態は暗転した。フロントローからスタートした西村は、ポールポジションからスタートした僚友の小出峻と先頭争いをした結果接触、小出をスピンさせてしまったのである。
この接触について西村はドライビングスルーペナルティーを受け、順位を大きく落としてレースを28位で終えることになった。フロントローに並んで注目されたデビュー戦を28位で終えてしまっただけではなく、チャンピオン候補の僚友を勝負から弾き出すという、あってはならないミスを犯した西村。彼にとっては、まさに天国から地獄と言うべき開幕戦だった。
「僕は今シーズン結果を残さなければ先がないと思っています。それが焦りにつながってしまい、小出選手をはじめ関係者の皆さんには本当に申し訳ないことをしてしまいました」と西村は振り返る。
近年の若い選手の多くが、物心ついたときにはレーシングカートで走り始めているのに対し、西村がモータースポーツに目覚めたのは高校卒業後のことで、その経歴はいささか異なっている。
「高校を卒業するまでは野球に熱中していました。ただ、父親の影響もあって幼少期からクルマは好きで、レースのDVDを見たり、練習がない日にはレースシミュレーターゲームをしたりもしていました。それを見ていた父が、部活動を卒業してクルマの免許を取った僕に『こういうのがあるけど行くか?』とSRSの資料を見せてくれて。それまでサーキットを走ったこともなかったのですが行ってみたんです」
2018年に飛び込んだSRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール。現ホンダレーシングスクール。HRS)の初級クラスでは、それまでモータースポーツ経験がなかったにもかかわらず、周囲の受講者からそれほど大きな差をつけられなかったというが、さすがに上級クラスへの選考には残れなかった。しかし、すっかりレースにのめり込んだ西村は、父親の支援を受けて鈴鹿のレーシングチームであるウエストレーシングカーズにコンタクトを取り、シーズン途中から鈴鹿クラブマンレースのクラブマンスポーツクラスに参戦する。
ワンメイクレースで実戦経験を積んだ西村は、2019年に再び翌年SRSを受講するが、またもや最終選考まで残ることはできなかった。それでもあきらめなかった西村は、コロナ禍を挟んで3度目のSRS-Fを受講。2021年度はアドバンスクラスへ進み、成績最優秀のままスカラシップを決定する最終選考に臨んだ。
しかし、西村はその最終選考レースで結果を残すことができなかった。レッドブルジュニアチームとしてフランスF4へ挑戦するスカラシップは野村勇斗、荒尾創大に決まった。
「もちろん悔しかったです。スカラシップはなぜ僕ではないのか、という気持ちもありました。でも野村、荒尾に対して自分には足りない面が少なからずあったのは事実で、仕方ないなと納得もできました」と西村は言う。
スカラシップこそ獲得できなかったものの、成績優秀だった西村にはHFDPからFIA-F4日本選手権に挑戦するチャンスが与えられた。西村は「海外へ進出したい」と思うようになっており、SRS-Fのスカラシップを得てフランスへ旅立った野村と荒尾がうらやましくはあったが「自分は与えられたチャンスを確実に掴んで結果を出していくしかない」と気持ちを入れ替えた。しかし、西村の心のなかには焦りも生まれていた。
「僕は今年23歳になります。野村や荒尾は16歳、17歳で海外へ行きました。いま、HRSでがんばっている生徒もほとんどが10代。やはり年齢は意識せざるをえません」
この気負いとも焦りとも言える思いこそが、FIA-F4日本選手権のデビュー戦で西村を翻弄した原因となった。
「年齢の意識は、間違いなく開幕の失敗につながりました。(僚友の)三井(優介)選手は今年が20歳の年だし、それとも比較してしまって。自分の年齢を考えると『今年結果を出さなければ後がない』と意識し過ぎていました。そのうえ、第1戦ではフロントローからスタートもうまく決まったために余計な欲が出てしまい、小出選手を巻き込んでしまったんです」
失意のうちに終えた5月初旬の第1大会では、僚友であり同じルーキーの三井が第1戦で優勝、第2戦で2位入賞と大戦果を残していた。焦った西村にとってはあまりにも皮肉な対比であった。
しかし、自分の焦りが失敗を招いたと自覚した西村は、慌てることなく5月下旬の第2大会第3戦/第4戦へ向け、自分が持っているはずの実力をきちんと発揮するための準備に徹した。
「第1大会に関するデータや映像を全部見て考えました。その結果、自分は決して“乗れていない”という状態ではなかったということを確認しました。だから『周囲を必要以上に意識せず、自分自身を高めていく方向の精神状態でレースに臨もう』『まずはきちんとレースをして完走しよう』と自分に言い聞かせました」
その結果、5月28日~29日に鈴鹿サーキットで開催されたFIA-F4日本選手権シリーズ第2大会第3戦/第4戦の公式予選で3番手を獲得し、第3戦は4位、第4戦は5位でチェッカーフラッグを受けてシリーズランキングでは6番手へ浮上を果たした。西村は本来の自分を取り戻し始めたのか。
今シーズン、HFDPでドライビングアドバイザーを務める金石年弘は、今の西村についてこう評価する。
「最初のテストで勢いがよくて『すごいな』と思いました。ただ、少し突っ込みすぎの傾向があったので、『もう少し抑えて』と言ったら、今度は抑え過ぎになりました。また、(クルマの)向きが変わりきっていないのにアクセルを踏んでいこうとしてトラクションがかからなかったりもしています。“素の速さ”はあるんですが、経験がないからそのへんの調節が利かないんでしょう。でも少しずつよくなってきていて、順応性は認められます。あとは決勝レースでバトルになったときの経験を積めば、結果はもっと出てくるはず。それだけの速さがありますから」
第2大会を終えた西村は言う。
「結果を残せたのはよかったけど、HFDPの小出選手と三井選手が2戦とも表彰台に上がっているのに、僕は上がれなかったのが悔しいですし、大事なところで引いてしまう自分が情けないです。僕はレーシングカートをやってこなかったので駆け引きが下手で、不必要に引き過ぎてしまったり……。行くべきところと行ってはいけないところのメリハリがうまく取れないんです。この課題はできるだけ早く乗り越えなければいけません。次の第3大会までは時間があって、オートポリスでのテストがありますし、スーパー耐久の富士24時間レースにも出走するのでそこで走り込んで、少しでも経験を積もうと思っています」
年齢から来る焦りを乗り越え、あらゆる経験を自分の速さを結果に結びつけるべく、西村はシリーズ第3大会まで丸2カ月のインターバルに入る。