Behind the Scenes of Honda F1 2021 -ピット裏から見る景色- Vol.17
皆さんこんにちは。引き続き今回も広報担当スズキが書かせてもらいます。 前回は3度目の試験でようやくHondaに入社できた僕のキャリアなどについて触れたので、最終回となる今回は、F1プロジェクト加入後の2017年以降の話をしていきます。
エンジニアのメンバーも何度も振り返っている内容ですが、少し広報の目線で当時を思い出してみようと思います。例によって長くなる気がしていますが、忍耐力に自信がおありの方は、最後までお付き合いいただけますと幸いです。
―憧れだったF1の現場は、火事場でした。。。
F1プロジェクト加入への内示を受けたのが2016年12月の初頭(忘れもしないHonda Racing THANKS DAYの現場でした)、英国への赴任日が翌年の2月1日でしたので、家族との話や様々な準備により年末年始をあわただしく過ごしたのを覚えています。すでに、2月24日にはMcLarenのファクトリーでカーローンチ(その年のマシンのデビューイベント)、27日からはバルセロナでのウィンターテストが予定されていました。エンジニアと同様、2月は各チーム広報にとって様々なコンテンツ作成やイベント、取材の企画で大わらわの時期で、引き継ぎもほどほどに、怒涛のようなイベントの波に飲み込まれていきました。
F1ファクトリーや華々しいカーローンチの現場など、初めて見る憧れのF1の現場に目を輝かせつつ、仕事のキャッチアップに懸命で、F1ならではのスピード感や現場力に圧倒される日々でした。そしてあっという間にバルセロナでのプレシーズンテストに臨みます。
日本の初春のような気候の冬のスペインで行われるプレシーズンテストでは、オフを終えて開幕に向かう高揚感と緊張感がパドック全体に漂います。その後に控えるシーズンの勢力図を占う場でもあり、例年多くのF1メディアが訪れ、各チームの一挙手一投足に注目が集まります。
2017年のMcLaren Hondaは、苦しいデビューとなった2015年から進歩を遂げた2016年を経て、大幅に刷新したPUで一気にトップへの返り咲きを狙う意気込みで臨んでおり、注目チームの一つに挙げられていました。マシンの初走行となった前日のフィルミングデーでは撮影用にスピードを落として走行し、無事にセッションを終えていました。
そして迎えたテスト初日。なんと最初の1周を走行してすぐにPUの異常を確認。その後は約7時間ガレージに入り、夕方まで出てこないという、今考えても胃が痛くなるような事態になりました。注目のチームがPUトラブルによりほぼ丸1日出てこないという状態でしたので、当然メディアからの問い合わせが殺到します。僕にとってはこれがサーキット現場デビューの日でしたが、いきなりのトラブル発生で、長谷川さん(当時のF1総責任者)への状況確認や、チーム広報とのトラブルに関する発信内容の整合など、よく分からないままにいきなり火事場に投げ込まれたような形でした。8日間行われたテストでは、その後もトラブルが相次ぎ、そのたびに「HondaのPUがまたトラブル」といったニュースがF1メディア上で大きく扱われることになります。
―苦戦が続く中で、様々なネガティブ報道が
開幕後のシーズンも、Hondaが投入した新型PUの信頼性のトラブルが続きます。第3戦のバーレーンGPでは、バンドーン選手のMGU-Hという部品の不具合が続き、そのシーズンに使用可能な基数をすべて使い切ったり、続くロシアGPでもアロンソ選手がフォーメーションラップ中のトラブルによってスタートできないなど、惨憺たる形でシーズンが進みます。そのたびにメディアからは長谷川さんが質問攻めにあい、そこで出た言葉尻をとらえる形でセンセーショナルなヘッドラインで記事化。さらにそれが翻訳されて日本国内でも一般のニュースとしてHondaの苦戦が伝えられるなど、広報担当としては頭の痛い状況が続きました。
広報の仕事は、なにより事実を伝えることが最優先ですが、同時にそれによって企業イメージ・ブランドイメージを向上させることも大きな責務だと思っています。自分の現場からそれとは正反対の形でニュースが出ていく状況は、担当として本当に心苦しかったです。あこがれだったHondaのブランドに、自分の手で泥を塗っているような気分でもあり、この年は心にずっしりと重い何かが乗っかったような日々が続きました。毎日ニュースをチェックすることも仕事の一つですが、様々な言語でHonda F1にまつわるネガティブな記事が連日発信される状況でしたので、毎朝インターネットにつなぐのが本当に嫌でした。
もちろん、少しでもそういったダメージを少なくするために、入念なQ&A作成や事前ブリーフィング・チーム広報との打ち合わせ・海外メディアとの頻繁なコミュニケーションなど、自分なりに考えられる手をいろいろと打ちました。ただ、レースは結果がすべてな部分もあり、状況を覆すには至りません。おのずとチームとの関係は緊張したものとなり、メディア上でもマクラーレンとの離別が早くから噂されることになります。今考えると、1年目の自分の力不足も感じますし、当時メディア対応を行っていた長谷川さんには本当に大きな負担をかけてしまいました。
最終的にはマクラーレンと離別、長谷川さんも担当を離れることになったことなったのですが、こういった部分は広報担当としても責任を感じています。なにより、先輩たちが作りあげたMcLaren Hondaという伝説の名前を自分たちが汚してしまったことにも、忸怩たる思いを感じます。
レースで苦しい状況が続く中、本当に懸命に状況の打開を図ろうとするエンジニア・メカニックたちの姿を横で見ていたので「こんなに頑張っているのに何でダメなんだ。自分があこがれていたHondaはこんなものなのか」という悔しさ、そして越えられない高い壁のようなものを感じ続けるシーズンになりました。
一方で、苦しい状況ながらも、ネガティブな状況下でのリスクマネジメントやダメージリミテーション、スピード感のある情報発信、海外メディアとの関係構築など、広報担当としては非常に学びの多い1年にもなりました。
―”We win together, We lose together” Toro Rossoとの新たな冒険
僕の夢だったF1での最初の1年は、散々な形で終わりを迎え、2018年には新たなパートナーのScuderia Toro Rossoとの関係が始まります。ほかのメンバーも書いていますが、イタリアを拠点とするこのチームは、自信を失い、うつむきがちだった僕たちHondaのメンバーを、イタリア人らしい明るさとともに迎え入れ、もう一度、再スタートの一歩を踏み出すための大きな支えとなってくれます。
僕の相棒とも言える、チーム広報のヘッドのファビアナが最初の打ち合わせで言ってくれた”We win together, We lose together”という言葉を今もよく覚えています。チーム全体がプロジェクト開始から今に至るまで、本当にその言葉通りの雰囲気でした。「Hondaがやりたいことは何でもやってみよう」というスタンスで、Hondaのエンジニアたちもそれにこたえる形で、着実に信頼性やパフォーマンスを向上させたPUを何度も投入していきました。
広報としても新プロジェクト開始とともに体制を新たにし、WebサイトやSNSコンテンツの運用を再構築するなど、いろいろなトライを楽しみながらできた1年でした。Honda F1のSNSは、当時のフォロワー数と比較して今は10倍近くになっていますが、この年に始めたことを少しずつブラシュアップしながらここまで成長して来たという感じです。また、僕にとっては、30年以上のF1での経験をもち、HondaのF1第二期を経験している大ベテランのイギリス人広報・エリックが相方として加わったことも大きな変化でした。貴重な助言を与えてくれ、信頼できるパートナーを得たという感じです。
Toro Rossoはビッグチームではないので、PUの実力も併せて、レースでは入賞できるかできないかというところを走っており、いい意味でメディアからの注目度は下がっていきました。結果、2018年はチーム全体がメディアに振り回されることなくレースにフォーカスできた1年になりました。今はパートナーが2チームなので少し状況が違いますが、1チームだけだったこの年は、HondaとToro Rossoが本当に「ワンチーム」になっていて、僕にとってはF1チームで仕事をする喜びと醍醐味を感じられたシーズンにもなりました。ハイライトとなった第2戦バーレーンGPの4位は、翌年のオーストリアGPでの初勝利と並んで特別な思い出です。
―2019年、ついにトップを目指す戦いに
確実な前進を果たした2018年を経て、2019年にはいよいよビッグチームのRed Bull Racingとのプロジェクトが始まります。PUも、パフォーマンス向上のキーとなる燃焼技術を確立し、いよいよトップランナーの背中が見えてきて、メンバーのそれぞれが確実な自信と手ごたえを感じ始めていました。
とはいえ、それまでグリッド後方を走っていた中で、まともに競ったこともないような上位チームと仕事をすることになったので、それに対する緊張感はみんな感じていたとも思います。サッカーで言うと、小学校を卒業していきなり「君は中学3年生のチームでプレーしなさい」といわれた子供のようなものでしょうか(笑)。ただ、上にも書いた通り、当時すでにHondaのPUは技術やオペレーション観点で、トップチームと仕事をしても恥ずかしくないだけのレベルに上がっており、実際に彼らの要求にこたえる形で、きちんといいスタートを切っていました。
広報としてもToro Rossoと合わせて2つのチームをパートナーとすることになります。Red Bullは常にF1メディアを賑わせる注目度の高いチームですので、僕自身も戦々恐々と言ったところがありました。実際に仕事をしてみると、広報担当以外にフィルミングチームやデザインチームを備えるなど、Toro Rossoよりも広報チームの規模が格段に大きく、仕事の回し方が全く異なることがわかりました。彼らのコンテンツや動画からも見て取れますが、企画はアグレッシブながらも、とても統制がとれたプロ集団です。マーケティングが得意なRed Bullグループの一翼を担うだけあるなという感じで、特にブランディングや発信の観点で学ぶべきところが非常に多いです。メンバー全員が企業・ブランドのグローバルでの立ち位置・方向性を明確に理解しており、全員がそれに向かって動いている印象です。
僕からすると「所帯が小さい分、臨機応変に動けるToro Rosso」「入念な企画をして大規模コンテンツやイベントが可能なRed Bull」という感じで、それぞれできることが異なるので、状況に応じてそれぞれの強みを生かし、一緒に企画などを進めていきました。Toro Rossoはファミリーのような雰囲気ですが、Red Bullも一緒に仕事をしてみるとみんなとても明るく楽しいメンバーばかりで、いまはどちらもいい関係で仕事ができています。
2019年はオーストリアでのマックスの劇的な初勝利は言うまでもないですが、ドイツでのRed Bull/Toro Rossoの初ダブルポディウム、ブラジルでの1-2など、忘れられない瞬間がいくつもある年になりました。
それらと同じくらい鮮烈だったのは、初表彰台を獲得した開幕戦のオーストラリアで、マックスがフェラーリのマシンをオーバーテイクした瞬間です。前年まで後方を走っているHondaしか見ていなかった僕からすると、時にメルセデスと互角以上の走りを見せていたフェラーリを、HondaのPUを搭載したマシンがオーバーテイクする姿を見るのは、自分の目を疑うというか、本当に信じられない気分でした。そして、そこまで地道な努力で確実な前進を果たしてきてくれたファクトリーやトラックサイドのメンバーに大きな感謝を感じるとともに、彼らの成し遂げてきたことを本当に誇りに感じました。
―コロナ禍でのシーズンではリモート対応も
充実の2019年を終え、2020年はいよいよRed Bullとチャンピオンシップ獲得を、と臨んだシーズンでしたが、ライバルのメルセデスが果たした進歩も大きく、盤石の2番手ながらもトップには歯が立たない1年になりました。
一番のハイライトは、言うまでもなく、ガスリー選手のイタリアGPでの勝利です。ゼロから一緒にスタートしたAlphaTauri、ガスリー選手と勝利を挙げられたことは、多くのHondaのメンバーも感無量といった感じで、また一つ大きな目標を成し遂げられたと実感したレースでした。
多くの皆さんと同様に、僕たちもコロナ禍に大きく振り回された1年でもあります。年の前半はレースが開催されず、僕の仕事の中でも様々なイベントや企画が中止に追いやられるなど、難しいシーズンになりました。F1では厳格なバブルシステムが敷かれ、チームメンバー以外のパドックへの立ち入りが厳しく制限されたため、それまで普通だったチームのVIPやメディアがパドックら消え、無観客でのレースが大半になりました。F1らしい華やかさはなくなり、粛々とレースが行われていった印象です。
僕自身もレースには17戦中後半の7戦しか帯同できておらず、リモート対応という新しい形式で取材対応を行う形になりました。レースに来られないメディアさんには、本当にフラストレーションが溜まる状況だったと思います。一方で、リモート取材の普及により、これまでサーキットに来られないメディアさんにも取材してもらうことができるようになったりと、ポジティブな部分も見えました。そして、10月にはHondaのF1参戦終了のアナウンスがなされ、残念ながらそれが広報としては最も大きなニュースになってしまいます。
―Hondaの集大成のシーズン、夢が叶う姿を見せたい
そして、ラストイヤーという現実をかみしめて、強い決意とともに臨んだ今年。途中には5連勝を挙げ、HondaのF1復帰以降初めてチャンピオンシップをリードするなど、集大成の年にふさわしいパフォーマンスを見せられています。熾烈なタイトル争いを見ていると、「これがチャンピオンシップを獲る厳しさか」とレースごとに思い知らされれます。一方で、どん底からスタートしたプロジェクトの最終年にこういった形になるのは、ストーリーとしてでき過ぎだなとも思ってしまいます。マックスの素晴らしいパフォーマンスなくしてはありえない結果ですが、Hondaとチームのメンバーの執念が形になっているようにも感じます。
今年は広報としても、コロナ禍の影響でできなかった、Civic Type R、NSX、Honda eなどのプロダクトを絡めたコンテンツをチームと一緒にたくさん作れており、欧州ではドライバーが登場するWeb CMなども流れています。
この後、トルコGPやアメリカGPでもいくつか企画が用意されていたりと、成績向上に合わせ、各国の現地法人を含めてようやくHondaのブランド全体がF1を活用でき始めている状況です。それだけに、このタイミングでプロジェクトを終えなくてはいけないことは本当に残念です。
よく山本さん(雅史、マネージングディレクター)は、様々なシーンで「結局、人なんだよな」ということを口にします。
それはHondaの本社・研究所、パートナーチームやF1のマネジメントなど、話をしている場面・人物に限らず出てくる言葉ですが、意味するところは「結局、その人の想いやアイデアに加えて、仕事の進め方など、ちょっとしたコミュニケーション一つで物事の結果は大きく変わってくるよね」ということです。ここまで3年近くこのコラムを担当してきて、Honda F1についても同じようなことを感じます。Honda という大きな名前・組織の下にいますが、結局それを動かしているのは、一人一人の熱意であり、アイデアであり、努力の結果です。そして、それを束ね、積み重ねたところに、プロジェクトの成功や技術のブレイクスルーがあるように思っています。そして、それがいま、世界の頂点に手が届くところまで来ています。
”The Power of Dreams”を掲げる会社として、「夢は、ちゃんと叶うんだ」ということを最後に自分たちの手で見せられたら、こんなに素晴らしいことはありません。残すはあと7戦のみですが、ファンの皆さんと一緒に完全燃焼して終われるよう、ここからひとつひとつのレースを大切にしてきたいと思っています。