Formula 1

Behind the Scenes of Honda F1 2021 -ピット裏から見る景色- Vol.16

皆さんこんにちは。Honda F1広報のスズキです。怒涛だった欧州3連戦を終え、今は英国に戻ってきています。

Behind the Scenes of Honda F1 2021 -ピット裏から見る景色- Vol.16

―3週連戦”トリプルヘッダー”を終えて

2018年、試験的に史上初めて行われた3連戦、いわゆるトリプルヘッダーですが、コロナ禍の変則スケジュールによって昨年復活し、今年はすでに2回が行われ、この後もまだあと1回あるようです。ファンの皆さんにとっては3週連続でレースを観られるので面白いアイデアかもしれませんが、チームにとっては移動とレースを繰り返すタフなイベントで、家族がいるメンバーなどには特に負荷が大きくタフな連戦になっています。



それに加えて今回は、雨でレースができなかったベルギー、オレンジ色の歓喜の中で勝利したオランダ、マックス(・フェルスタッペン)のクラッシュなどリタイアが相次いだイタリアと、レース自体も様々なアップダウンがあり、忙しいイベントになりました。

トータルで言うと3戦2勝、ドライバーズチャンピオンシップについては再度首位を取り返した部分も含め、悪くない結果だったと思います。マックスの次戦の3グリッドペナルティーについてはほろ苦い想いもありますが、そのハンデを跳ね返すくらいの速さを見せてくれることを期待しています。

―Honda F1への憧れのきっかけは

さて、前回は僕自身の仕事内容に触れてみたので、(例のごとく長いですが)今回はこれまでの僕のキャリアについて話していきます。エンジニア/メカニックではない仕事でレースに帯同しているのは、現在は僕と山本さん(マネージングディレクター)ぐらいですので、そういった意味ではレアかもしれません。HRD-Sakuraや本社にも非技術職のメンバーが関わっていますが、自分がこんな仕事をやらせてもらえることには本当に特別ですし、僕は彼らを代表してここにいると思いながら仕事をしています。



僕は元々、10代のころからF1が好きでしたが、元をたどると実はふとテレビで目にしたル・マン24時間レースの生中継がきっかけでした。Hondaではない日本のメーカーが参戦していて、ドライバーが少しずつコンマ数秒単位で削ったタイムが、ピット作業などで一気にロスするところなんかを見て、「人の情熱と機械の冷たさみたいなものが入り混じる、面白いスポーツだな」と感じながら追いかけていました。そして、そこからF1を見るようになるまでは時間がかかりませんでした。先日このコラムを担当した壬生塚エンジニアや、この後登場予定のエンジニアが僕と同世代ですが、みんな2000年前後のハッキネンvsシューマッハというあたりからF1を見始めています。そして、その後のHondaの第三期F1を見て、HondaやF1の仕事に憧れを抱いています。僕らに残されたのはあと数か月という期間ですが、今回のプロジェクトを通して、僕たちと同じような経験をした子どもたちが少しでもいたらいいなと思っています。そういう意味でも、もう少し続けたかったという想いはありますが…

―Do you have a Honda?

僕自身は、高校時代に英国に1年間留学していたタイミングと、HondaのF1復帰がちょうど重なったのですが、その当時英国F3を舞台に活躍していた佐藤琢磨選手とも相まって「世界を舞台に戦う日本の企業・ドライバー」の姿に、強烈な印象と憧れを持つようになりました。その頃は現在とは異なり、サッカー選手で欧州で活躍するのは中田英寿選手くらいでしたし、まだ日本のスポーツのグローバル化が進んでいない状況でしたので、余計に鮮烈に映ったのかもしれません。



また、当時はちょうどASIMOもデビューしたてで、そのASIMOやF1、S2000や耕運機など様々なプロダクトを使った企業広告「Do you have a Honda?」が、国内で始まった頃でもありました。毎回ユーモアが効いていて「面白いことをやっている会社」ということがよく伝わる広告でした。当時のHondaには、そんな感じで商品や企業活動、広告を通して他の企業とは違う「キラッと光る個性」みたいなものがあり、それを一言で表していたのが「The Power of Dreams」という言葉だったと感じています。あふれる情熱や感情がプロダクトや取組みから見える、そんな会社でした。また、物心がついたころにバブルが崩壊し、経済が停滞する空気感しか経験していない世代ですので、F1を舞台に世界で戦ったり、ASIMOのよう未来を見せるプロダクトを持つ部分に魅せられた側面もあったと思います。第三期のF1、そしてこの広告こそが僕の中の「Honda」のイメージの礎になっています。

少し余談になりますが、年月を経てHondaに入社した後、Do you have a Honda?のキャンペーンを率いていた大先輩と一緒に仕事をさせてもらう機会に恵まれました。本田宗一郎さんから薫陶を受けた最後の世代だと思いますが、「自分が面白い・正しいと感じることに真っ向からチャレンジする」という人で、こんな人がいる会社だからこそ、あんなに魅力的な広告ができたんだなと強い感銘を受けました。CMの一つに、モトクロスバイクに乗った子供が泥にはまり、倒れたバイクを立てながら、懸命にエンジンをかけようとするシーンを描いたバージョンがあるのですが、それが流れた際には社内で「Hondaの商品でエンジンのかからない様子をCMにしたのはお前が初めてだ」と言われたそうです(笑)。

―新卒採用ではHondaに入れませんでした 

そんなこんなで、Hondaは10代の僕にとってあこがれの企業・ブランドになるわけですが、だからといって、壬生塚エンジニアのように「将来はHondaのF1で働くんだ」と中学時代の文集に書くほどの強い意志と行動が伴っていたわけではありませんでした。



外国語大学に入学し、就職活動では総合職でHondaに入社することを第一希望にしていたものの、残念ながらその思いが叶うことはなく、内定を得られたのは別の自動車メーカーでした。落胆は大きかったのですが、一方で内定したのも個性の際立つブランドを持っている企業だったので、自分なりにやってみたいことを持った上で社会人生活が始まりました。

技術系メンバーの話を聞くと、大学での専攻が配属につながるケースが多いですが、僕が入社した頃の総合職では必ずしもそうではありませんでした。僕も、初期配属は希望していた海外関連の業務ではなく、3年半の販売店出向・販売職というものでした。

就職するにあたり、誰しも理想と現実の差を感じることがあると思いますが、大学を出たてで生意気盛りの僕もその例に漏れず、配属直後からモチベーション高く仕事ができていたかというと、必ずしもそうではありませんでした。色々な葛藤を感じていましたし、自分には簡単な仕事ではなかったので非常に多くの苦労を経験しましたが、時間を経るごとに、お客さまにとって人生に数度の「車を買う」という一大イベントを手助けし、喜ぶ姿を見たりということに楽しさを感じられるようにもなりました。

ちなみに、Hondaについては、入社後1年ほど経ってから、当時一般的だった「第二新卒採用」に応募しています。その頃もHondaへの想いは変わらず、チャンスがあればいつでもと思っていましたが、結局、その際は面談にも至らず、書類審査のみで落とされてしまいました(笑)。2度目の落選ですが、特に大きな成長を遂げていたわけではなく、自分の中で自信を持てる何かがあったわけでもないので、今思うと当然の結果だったと感じます。



当時は関西の勤務で、自社製品の試乗会がたまたま鈴鹿サーキットで行われたのですが、その際に鈴鹿工場の横を通って見えた「HONDA」の赤いロゴが、当時の僕にはとても近くて遠い存在に感じたことをよく覚えています。

―”三度目の正直”でHondaに中途入社

ディーラー時代に勤務していたのは経験豊富な上司やトップセールスマンと呼ばれる先輩がいる店舗で、お客さまに向き合うストイックさ、プロ意識の高さは本当に勉強になりました。 担当のお客さま全員から信頼されている「プロ中のプロ」の先輩に、配属当初「10年後に自分がどうなりたいか、そのために1年後に自分は何を達成するのか。そしてそれには今月何をするのか、今週は何をするのか。そんなことを考えれば、今自分がやらなければいけないことは自ずと見えてくる」と言われたことが、今も印象に残っています。

厳しい人で、怒られたことも数知れずですが、この言葉をはじめ、あの頃に学んだことは社会人をある程度経験した今でも、ふと振り返って勉強になったなと感じることがたくさんあります。スタートは大変でしたが、意味のある出会いも多く、最終的には仕事の成果も出たりと、山あり谷ありながらも充実した形で3年半を終えました。



その次の配属は、希望通り本社に戻り、海外関連の部署での勤務になりました。海外出張なども経験し、楽しいと感じる仕事でしたが、3年ほど経ったときにたまたま「リーマンショック以降停止していた中途採用をHondaが再開」という話を目にしました。

過去に2回落ちているとはいえ、年齢的にも最後のチャンスだと思い、すぐにエントリーシートを書き、ダメ元で採用試験に臨みました。そして自分でも驚いたのですが、なぜかその際は海外営業系の部署に採用してもらうことができました。採用連絡を受けたときは、あこがれの会社に7年越しで入社することができ、信じられないような、夢のような気持ちでした。そこまでのキャリアを評価してもらったということだと思うのですが、2回落とした人を採用する会社もあるんだなと、どこかキツネにつままれたような気分でもありました。

ちなみに、この時Hondaは第三期のF1プロジェクトを終え、まだ今回の参戦についても発表していない状況でしたので、F1に関わる仕事ができるとは夢にも思っていませんでした。それでも、自分がHondaの一員になれるということだけで、とてもうれしかったです。

―苦しい時期に支えてくれたHondaへの想い

実際にHondaに入社してみると、自分の能力の低さ、経験のなさもあり、即戦力として活躍するなどということには程遠く、自分なりに苦しい時間が続きました。周囲のレベルの高さを実感することも多く、自信が持てない中で周りの先輩や後輩・上司に励まし、支えてもらった日々でした。毎朝会社のエントランスで見えるHONDAというロゴを見ては、気持ちを奮い立たせていたこともよく覚えています。

その途中、HondaがF1への復帰をアナウンスし、現在のF1プロジェクトが開始します。僕は変わらず海外営業系の部署にいたので、F1とは縁遠い仕事をしていましたが、2015年の開幕前に本社前に展示されたMcLaren Hondaのマシンを見たときは、高ぶるものがありましたし、それだけで「Hondaマンでいられてよかった」と感じました。



仕事ではパフォーマンスを発揮できていなかったのですが、その時の上司や先輩には、自分がHondaに入ったきっかけなども話しており、F1への想いも伝えていました。「ブランド」みたいなものには常に興味があり、部内で各自が自分の研究テーマを持ち発表するといった機会が与えられた際には、F1やその他のプロダクトを交えて、自分が思うHonda像みたいなものについても話をしました。ただ、F1プロジェクトは到底自分の手の届くところにはないという感覚でしたので、今後のキャリアについて上司と話をする際などでも「いつかF1に関わりたい」などということは、おこがましすぎてとても言えませんでした。

そんなこんなで3年ほどが過ぎたある日、上司に呼ばれ、「広報部で頑張ってこい」と言われます。それに加えて、「モータースポーツに関わる仕事をしてほしいそうだ」と言われたときは、Hondaに採用されたときと同じくらい、信じられない気持ちでした。「これでダメならお前は元の会社に帰れ」とも言われましたが、その上司がパッとしなかった僕のために、やりがいを持って活躍できる可能性がある場所を懸命に探し、送り出してくれようとした末での異動だとわかりましたし、それに対しては今も本当に感謝しています。

―念願叶ってモータースポーツ広報の仕事へ

その後は広報部に異動し、国内のモータースポーツを1年間担当した後、現在のポジションである、英国駐在・Honda F1広報というポジションに配属されることになります。広報部での1年間は、「自分が正しいと思うことをどんどんやりなさい」と背中を押してくれる経験豊富な先輩や上司がいて、配属直後からとても自由にやりたいことをやらせてもらえる環境でした。



モータースポーツはもちろん、広報自体の仕事も初めてでしたので、自分でいいのかと思うことはありましたが、Hondaの生き字引みたいなベテラン広報の人たちが何人もいて、いつでも助言をもらえました。また、「Hondaらしさとはなにか」みたいな部分を自分の中で常に考えてきたつもりだったので、どうやってそれに近づけるかを意識しながら、日々全力で仕事に取組み、広報マンの基礎といった部分もみっちり学ばせてもらいました。その後、わずか1年でF1担当として英国に赴任することになりましたが、その異動を伝えられた際には息が止まるのではないかというくらい驚きました。自分を信頼し、そのポジションを与えてくれたその時の上司にも、言い表せないほどに感謝しています。

現在の業務以前のキャリアを通して、「自分にはこれができる」と自信を持って言えたことがどれだけあったかを考えると、僕にはそういった時期は多くなかったような気がします。一方で、それぞれの配属先や職場での出会いには本当に恵まれていたので「自分を導いてくれる素晴らしい上司・先輩、刺激や学びを受ける仲間にたくさん出会うことができた」と、胸を張って言うことができます。今一緒に仕事をしている山本マネージングディレクター、田辺テクニカルディレクターも、そういった方たちの一人だと思っています。



こうして振り返ると、自分の強みは「運のよさ」だけな気もしており、エンジニア・メカニックなんかと比べるとなんとなく貧弱な気もしないでもないですが...(笑)。あとは、独りよがりかもしれませんが、自分が理想とするHonda像みたいなものをずっと持ち続け、様々な「現場」を見ることでそれをアップデートしていけたことも、もしかしたら強みになっているのかもしれません。一貫性のないキャリアで運に左右された部分も大きいのかもしれませんが、今考えるとどの経験も一つとして無駄になっていません。何となく思うのは「ブレずに自分の理想を持っていれば、遠回りなりにも物事は思った方向に進む」ということでしょうか。カッコよくはないですし、あまりに日和見的かつ楽観的かもしれませんが(笑)

さてさて、もっと短く終えるつもりが、本当に長くなってしまいました。ここまで読んでくれる方がいるとは思わないのですが、なにかの拍子にここまで読んだ方がいるのであれば、本当にありがとうございます。

本来は2回で終える予定でしたが、まだ肝心のF1プロジェクト加入以降の話が全くできていないので、次回はその辺りを振り返って、そしてなんとか話を終えられればと思っています。その前に、まずはロシアGPですね。泣いても笑ってもあと7戦。今回もいいレースになりますように!!


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