Behind the Scenes of Honda F1 2021 -ピット裏から見る景色- Vol.12
みなさん、こんにちは。Scuderia AlphaTauri Hondaで角田選手のパワーユニット(PU)を担当しているエンジニアの壬生塚(みぶつか)です。
―波乱のハンガリーでしたがチームは2台とも入賞
早速ですが、先日のハンガリーGPはご覧になられたでしょうか?ここはF1の中でもクラシックなサーキットの一つで、僕たちも何度も来ていた場所ですが、毎年カレンダーの前半戦ラストに日程が組まれていて、30℃を超える暑さの中で行われます。
湿度が非常に高い日本の夏の酷暑と比べると優しいものですが、それでも狭いガレージ内には熱気がこもってしまい、特にメカニックにとってはフィジカル面でタフなレースになります。一方で、僕たちが宿泊するブダペストは、数ある欧州の都市の中でも随一の美しい景色を持っており、ご飯も安くておいしいので、皆さんも機会があればぜひ訪れてみて下さい。
肝心のレースについては、僕の担当する角田選手、そしてチームメートのガスリー選手ともに波乱の展開を走り抜いて2人で入賞、特に角田選手は自身最高となる6位獲得と、結果的にはいいレースになったと思います。ただ、金曜のFP1ではクラッシュを喫して、FP2の走行時間をほぼすべて失ってしまったりと、課題も残る週末だったように感じます。特にハンガリーのようなテクニカルなサーキットは経験値が必要で、どれだけ事前に走り込めたかという点が重要になるので、セッティングを煮詰めていく上で苦しい部分はあったはずです。それでも、いい形で前半戦を締めくくれたことは間違いないので、後半戦はさらにコンスタントにポイントを獲れるよう、僕たちも最大限サポートしていきます。
Red Bullについては前回のシルバーストーンに続いて本当に残念なレースになりました。2戦連続で自分たちに非がないところでレースを失ってしまい、チャンピオンシップを戦う上では本当に厳しい結果になりました。
ここから僕たちは、F1のない週末を3回挟み、残りの後半戦に向かいます。Hondaとしてここまでの振り返りをきっちり行い、また万全の形で戻って来たいです。また、タイトなスケジュールで疲労がたまっている部分もあるので、さらにハードな後半戦を前に少しリフレッシュもできればなと感じています。簡単な状況でないことは間違いないですが、あと12戦あることも事実なので、何とか巻き返しを図り、2つのチーム・4人のドライバーと一緒ににいい終幕を迎えられればなと思っています。
―量産車部門から国内レースの「トラックサイド・エンジニア」に
さて、前回は、僕が入社してから、第三期F1撤退後に量産部門に配属されるまでの話を書かせてもらいましたが、今回はその続きからになります。その後、第三期にお世話になっていた上司に呼び戻される形で、2011年にはまたレースに携わる仕事をすることになります。
当時はF1には参戦していなかったので、WTCC(世界ツーリングカー選手権)やF3のエンジンといった分野に関わった後で、Super FormulaやSUPER GTのエンジンの仕事に関わることになります。ただ、入社当初の第三期F1プロジェクトと異なるのは、ベンチテストではなく、よりサーキットに近いオペレーション側の仕事である「トラックサイド・エンジニア」だったということです。今現在の僕のF1での仕事と大きくは同じ仕事で、各レースに向けてどのように準備をしていくか、今あるエンジンを最大限に生かしてレースをどう走るのかという部分にフォーカスする担当です。
Super FormulaとF1ではまた少し違いますが、ここで少しサーキットにいるトラックサイド・エンジニアがどんな仕事をしているか、いまのF1を例に取って簡単に説明したいと思います。HondaのPUを使用するチームには、ドライバーごとに2名ずつエンジニアが配されています。
Red Bull、AlphaTauriそれぞれにドライバー担当のエンジニアが4名おり、その4名を統括する形で、各チームに1人ずつ、PU担当のチーフエンジニアがいます。僕はAlphaTauriの角田選手担当のエンジニアで、大先輩の本橋さんはAlphaTauri担当のチーフエンジニアです。
ドライバー担当の2名のエンジニアは、それぞれ「システムエンジニア」と「PUエンジニア」という役職を担っていて、システムエンジニアは信頼性を担保するためにデータを見て対応を決めていく一方、PUエンジニアは走行中にエネルギーマネジメント(バッテリーの充放電)をはじめ、様々なレース状況に合わせて、PUのモードなどについてチーム経由でドライバーに指示を送っています。信頼性担当がシステムエンジニア、パフォーマンス担当がPUエンジニアという区分けが分かりやすいかもしれません。僕は角田選手のPUエンジニアを担当しています。
―PUエンジニアの仕事とは?
PUエンジニアはPUのパフォーマンスを司っているので、HRD-Sakuraが素晴らしい形に仕上げてくれたPUの性能を使い切るのも、余らせるのも僕たち次第です。もちろんSakuraや本橋さんの助言・サポートはありますが、僕のレース前のセッティングやレース中のスイッチ選択一つで角田選手のパフォーマンスが変わってしまうので、本当に責任重大な仕事だと思っています。直接ドライバーとコミニュケーションを取る機会も多いですし、今は角田選手が使いやすく、かつ最大限のパフォーマンスができるような設定や使い方を心掛けています。
通常、レース週末に向かう前には、Sakuraも交えて、次にレースをするサーキットでのPUの使い方に関するシミュレーションを行います。昨年から予選からレースが終了するまでの間、ICE(エンジン)のパワーを変更することは禁止になったので、いまはエネルギーマネジメント、つまりバッテリーに充放電される電気エネルギーをどこで貯め、どのように使うかという部分がメインフォーカスになっています。
ただ、量産車のハイブリッドエンジンとは異なり、MGU-H・MGU-Kという2つのモーターが複雑かつ精巧に絡み合って作用しているので、これも組み合わせのバリエーションが無限になってきます。エネルギーマネジメントはサーキットのレイアウトごとにある程度の傾向がありますが、それに加えて、チームのやりたいことや、ドライバーのドライビングスタイル・意図と言ったものがあります。こちらとしては膨大な量の選択肢を事前に用意してあるので、彼らの要望とPUの状況を考慮して情報を精査し、実際に走る中で最適なオプションを提示してあげるのが僕の仕事です。
プッシュするのか、充電するのか、どこまでリスクを負うのか、攻めるのかと言ったことを、走行中にドライバーとコミュニケーションを取っているチームのレースエンジニアと話しながら決めていきます。時にはドライバーの意図とチームの意図、そしてPUサイドとしての我々の意図が異なる状況も出てきますが、目の前の状況のみでなく、これから先に起こることも見据えながら判断を下していきます。
レースはすごいスピードで進んでいくので、状況に応じて瞬時に判断をしていく必要がある一方で、上に書いてあるように多くの要素を考慮しなければなりません。それがこの仕事の難しさでもあり醍醐味でもあるのですが、こういったことを可能としているのは、事前にSakuraなどと一緒に行う大量のシミュレーションデータが頭に入っているおかげです。もちろん、様々な部分でAIやビッグデータも活用もしていますが、最終的には自分の頭で判断することになります。したがって、「こういう時はこの選択肢」というバリエーションが、僕たちPUエンジニアの頭の中には詰め込まれています。
―山本尚貴さんと働いた経験が今も胸に
といった感じで今の仕事を説明してみましたが、このような仕事を始めて担当し、多くを学ばせてもらったのが2014年のSuper Formulaでの経験です。当時、主に担当していたドライバーの一人として、これまで多くの国内タイトルを取り、現在も国内レースでトップドライバーとして活躍する、山本尚貴選手がいるのですが、ここで少しだけそのエピソードをご紹介できればと思います。
2014年のSuper Formulaは、国内のレースエンジンが新しいレギュレーションに変更された初年度で、Hondaは他社に対して苦戦していました。Hondaドライバーの中でも、尚貴さんは特にエンジンフィーリングが悪く、2013年のチャンピオンでありながらもシーズン前のテストで下位に沈んでしまっているという苦しい状況でした。これについては、Hondaのエンジニアとしても本当に悔しく、かつ申し訳ない気持ちでした。
尚貴さんは非常に頭がよく、エンジンに対するコメントも人一倍多いドライバーで、シーズン前のテスト時からいつも的確なフィードバックを受けていました。ただ、そんな中でもなかなか状況は改善せず、時には厳しい言葉をもらったこともありました。その内容については、今振り返っても本当にその通りで、エンジニアとして言い訳の余地もないのですが、僕はそういう言葉の中から、尚貴さんの前年のチャンピオンとしてのプライド・自信というものを感じていました。今でもそうですが、あんなに真面目なドライバーはなかなかいませんし、常に妥協を許さない人で、時には真面目すぎると思うことさえあります。ただ、一緒に仕事をすると「この人のために頑張ってあげたい」と強く思わせる人ですし、そう感じているのは僕だけではないと思います。
オフシーズンを経て迎えた2014年開幕戦、鈴鹿でのレースも期待した改善が得られず、セッションで下位のまま時間が経過する姿に、本当に申し訳ない気持ちで一杯でしたし、実際に予選もQ2で敗退となってしまいました。しかし、この時にもらったエンジンに対するコメントが大きなヒントになり、そこでエンジンのセッティングを大きく変更する決断をしました。もちろん、事前に試せていないのでどうなるか分からないというリスクはあったのですが、当日朝のウォームアップで走り出した後すぐに、尚貴さんから無線で「エンジンはよくなった」とフィードバックをもらい、これまで抱えていたエンジンフィーリングの違和感を改善することができました。
―苦難を乗り越えた末の「ありがとう」の重み
その日のレースではポイント獲得に至りませんでしたが、レース後に尚貴さんがHondaのエンジニアルームを訪れてくれました。エンジンエンジニアと話をしてエンジン開発を助けてくれるドライバーの存在自体が珍しいのですが、その時は、シーズン前からレース当日までの苦労と、レース当日での改善などについて、ねぎらいの言葉とともに「ありがとう」という言葉をかけてくれました。
何気ない一言ですが、この「ありがとう」には、とても大きな重みを感じました。一人の人間としてももちろんですが、Hondaエンジニアがドライバーからもらった言葉としても、すごく大切な意味があるように思えました。僕にとっては、自分のアイデアが実走現場で結果に表れた初めての経験でしたし、トラックサイド・エンジニアとして、この言葉から大きな自信をもらいました。その後も尚貴さんとは頻繁に意見交換をする関係が続き、一緒にサーキットでのエンジン設定の最適化を進めていきました。同時に、トラックサイド・エンジニアとしても成長させてもらったと思っています。今でも思っている最大の後悔は、その年に勝たせてあげられなかったことです。
この時の尚貴さんとの経験から、ファクトリーで開発したエンジン(PU)を現場で最適化するにあたっては、得られたデータだけでなく、ドライバーがどのように感じていて何を期待しているかを本音で話せるドライバー・エンジニア間の信頼関係も重要な要素である事を学びました。テストベンチの担当しかしていない時はベンチの結果通りに設定するのが一番だと思っていましたが、そんなことはないんだと。そういうことが分かったのがこの頃です。
これはF1トラックサイド・エンジニアとなった現在の自分においても忘れる事のない行動の根幹となっています。今年は角田選手の担当をさせてもらっているので、彼と良い信頼関係を築き、最大限のサポートをしたいと思いますし、HRD-SakuraやHRD-UKにもそういった改善点を共有することでさらなるを前進を果たし、Hondaとしてのチャンピオン獲得を目指したいと思って日々仕事をしています。
余談ですが、数年経った後、2019年に尚貴さんはF1日本GPでFP1を担当することになります。国内でSuper FormulaとSuper GTのダブルタイトル獲得という偉業を達成しましたし、当然そういう権利があるとも思っていましたが、何の巡り合わせか、当時クビアト選手のPU担当エンジニアだった僕も、チームの一員として尚貴さんと同じガレージの中で仕事をすることになりました。F1のPUは操作なども非常に複雑ですので、その辺りについては僕からも様々なアドバイスをさせてもらいました。
正直、あんなにうれしいことはなかったですし、これまでの自分のキャリアを振り返っても、一番うれしかったことの一つだと思っています。日本人が久しぶりにF1に乗るということもそうですが、それが尚貴さんだったことにとても感慨深いものを感じました。僕が初めてF1のサーキット現場を訪れたのが2018年のアブダビで、そこに尚貴さんもきていたということもありますし、尚貴さんとは、なんとなく不思議な縁でつながっているのかなと勝手に思ったりもしています。
さて、ここからF1のシーズンは3週間のサマーブレイクに入ります。8月末からまた激闘の日々が始まりますが、このブレイクの間も、もう少し僕のキャリアについてお話しさせていただこうと思っています。引き続きお付き合いください!