Behind the Scenes of Honda F1 2021 -ピット裏から見る景色- Vol.11
皆さん、はじめまして。サーキットでAlphaTauri側のPUエンジニアを務めている壬生塚(みぶつか)と言います。(チームのみんなには「ミブ」と呼ばれています!)
今回から4回にわたり、私のここまでのキャリアや普段の仕事、そして今年担当している角田選手のことなどについてお話ししていきたいと思います。仕事柄、みなさんの前に出ることは少ないのですが、TVではなかなか見えない私たちの仕事のことなども書ければなと考えています。
―イギリスGP、悔しい結果も角田選手は光る走り
さて、先週末のイギリスGPは皆さんご覧になられたでしょうか?私が担当している角田裕毅選手は、週末を通して厳しい戦いになりましたが、レースでは角田選手の状況に応じたタイヤマネジメントと、エンジニア陣のサポートが一体となり、ポイントを獲得することができました。ドライバーとエンジニア陣の協力関係という観点でも、また一つ前進できたと思いますし、今後につながるいい形でのレースになりました。
Red Bullについては、チャンピオンシップをリードしているマックスが、あのような形でリタイアしたことは本当に残念でした。全体として悔しさが大きく勝る週末になりましたが、AlphaTauriも合わせ、次の前半戦最後のハンガリーで巻き返しを見せたいという想いは強くなったように感じています。
―卒業文集に書いた夢は「F1エンジニアになる」
ここからは少し私のキャリアについて話していきたいと思います。元々、幼少期から親の影響で子供の頃からF1には触れる機会があり、いわゆるHondaの第二期F1プロジェクトの最後あたりを見ていた記憶があります。本格的に自分で好きになりレースを観始めたのは第三期が始まる少し前、(ミカ・)ハッキネンや(ミハエル・)シューマッハの時代からでした。
いま振り返ると、中学の文集には「将来はF1エンジニアになる」と書いてありましたし、高校もそれを見据えて勉強して、エンジンに携わるため大学は工学部を受験しました。「F1があるからHondaに入る」と、常に考えてきましたし、そこはブレることがありませんでした。実際に今はサーキットでエンジニアとしてF1に携わっていますし、ここまでのキャリアも含めて、本当に夢がすべて叶ってきている幸運な人生と言えるかもしれません。
大学時代でもそんな想いを持ち続けていたせいか、念願通りに卒業後はHondaに入社。最初に配属されたのはF1の仕事でした。当時は第3期F1の最後の時代です。担当はサーキットではなく、ファクトリーでのベンチでの研究の分野で、将来的に投入できる可能性のある要素技術の研究をしていた部門でした。サーキットからは遠い部門ではあるのですが、その配属を聞いたとき、自分自身では「よっしゃ!」と思いました。もちろんF1関連の部署だったということが第一の理由ですが、もう一つには、当時の自分はサーキットでのオペレーションよりも、研究開発に携わりたいと思っていたからです。
中学生のころの僕は、マシンが速く走っているところをTVで見ながら、ガレージにエンジニアやメカニックがいるところしか見ていなかったので、自分の中でそれが F1のすべてなんだと、漠然と思っていました。ただ、高校生くらいになってもう少し色々調べたり雑誌を見たりしていると、実はその前段階に膨大な研究開発プロセスがあり、自分がサーキットで見ているものはF1の仕事のごく一部でしかないことが分かってきました。それが分かって以降は、ファクトリーでの懸命な努力があるからこそ、ドライバーやマシンがサーキットで活躍できているんだと思うようになりました。ですので、入社した当時の自分の意志は「ファクトリーでF1の開発をやりたい」というもので、配属面談などでも「サーキットで仕事をしたい」とは言いませんでした。
―エンジンととことん向き合う「ベンチ屋さん」
僕のファクトリーでのキャリアのほとんどは、エンジンのテストベンチを回す「ベンチ屋さん」としてのものです。おのずと、F1に限らず「自分が理想とするエンジン像」というものをそれぞれに持っているような人たちが集まっている部署なのですが、入社当時の僕がもし「テストでどんなエンジンを作りたいの?」と聞かれたら、燃焼を勉強していたので、「より高い熱効率でパワーを出す。ガソリンが持っているエネルギーを使い切る」と言っていたのではないでしょうか。おそらく、今もそこは変わりません。ちなみに、僕が尊敬する大先輩の本橋さんは、実際に配属時の面談でそれを聞かれたらしく、「とにかく俺は出力が最高のエンジンをやりたい。興味があるのはそこだけです」と答えたそうです。本橋さんもこの辺りは変わってないなというように感じます(笑)。
入社して仕事を覚えて楽しくなっていたあたりの2008年には、第三期のF1プロジェクトの終了が発表されました。そしてその後配置転換となり、僕は量産車の開発を担当する部門に配属される形になりました。HondaでF1をやりたくてそこまで来た自分としては、F1撤退という決定も、量産部門への配属も、もちろん大きなショックでした。ただ、後から振り返ってみると、量産車の開発は、エンジニアとして幅を広げるためにとてもいい経験になりました。配属されてすごくよかった、と、今ではそう感じています。
―突然の量産車部門への異動も貴重な糧に
量産車の開発部門での仕事は、これまでのレースでの担当部門と同様、ベンチでのテスト担当。「エンジンの狙った性能を出す」のが仕事だという部分については基本はF1と同じなのですが、大きく異なっていたのが「F1よりも想定する使用環境・コンディションが非常に幅広い」という部分です。F1のエンジンは、世界トップレベルのプロドライバーが、サーキットという決まったコースを運転する上で、いかに速く走れるかという部分に主眼が置かれて開発されています。もちろん、年間20ほどのサーキットを巡るので、気温や気圧、標高もそれなりに変化はありますが、あくまでも「レーシングカーが走れるレベル」でのコンディションです。路面も、非常に手入れが行き届いたアスファルトの上を走ることが想定されています。
一方で、量産車はドライバーひとつとっても多種多様で、運転を始めたばかりの若者や、年に1度しか運転する機会がないペーパードライバーがいるかと思えば、高速道路や山道を頻繁にスピードを出して運転する人がいたりと、職業・年齢・性別・国籍・運転歴など本当に「誰でも」が運転できるクルマやエンジンが求められます。さらに言えば、Hondaは世界中でクルマを売っている会社ですので、アスファルトでも砂漠でも凍結路面でも雪道でも大雨でも、どんなときでもきちんとエンジンが動かなくてはいけません。そして、地域ごとに燃料の法規制が異なるといった要素もあります。
目的も様々で、通勤、ドライブ、渋滞などいろいろとあり、上で書いたような項目と掛け合わせると、想定されるシチュエーションは無限にあります。したがって、エンジニアが開発をしていく上では、いろいろな観点に立って物事を判断していかなくてはいけません。「技術的な観点で視野をとても広く持っていないと仕事にならない」という意味ですごく勉強になりましたし、エンジニアとしての深みが出たと感じています。
―量産車開発には様々な分野のスペシャリストが揃う
F1ともう一つ異なるのは、関わっている人数の規模です。もちろん、第三期のF1や、現在のF1活動の開発拠点であるHRD-Sakuraには相当な人数が集められ、トップエンジニアと呼ばれるような人たちが数多く携わっていますし、規模についても、F1としてはライバルと比較して恥ずかしくないだけのものを揃えています。
ただ、量産車の開発はレースとは全く異なる世界で、関わっているエンジニアの人数もF1とは比較にならないぐらいの規模になってきます。例えばですが、F1パワーユニットで燃焼と冷却系を同じ部門が見ているとすると、量産エンジンには冷却のスペシャリストと燃焼のスペシャリストの部署がそれぞれ存在したりしているといった具合です。その人たちが、僕が上で書いたような無限にあるシチュエーションを想定しながらいろいろなテストをしています。
部品一つにしても、細部まで突き詰められる専門家がそれぞれ配されていて、たとえばナットのスペシャリストがいたり、パイプのスペシャリストがいたりとそれぞれです。かつてHonda F1で抱えていた信頼性の問題を、Honda Jetのエンジンのスペシャリストがサポートして解決したといった話がよく知られていますが、非常に細かな領域にまでスペシャリストを抱える量産車メーカーとしての技術への知見の深さ、底力といったものをよく表している話でもあると感じます。
相対的な話にはなりますが、F1では同じスペシャリストでも、もう少しPU全体を見るような視点が求められており、一人一人が担当する領域の幅が広い仕事のやり方を取っています。現行の複雑なPUではなかなか難しい部分もあるのですが、特にトラックサイドなどでは関われる人数が少ないため、一人のエンジニアが多くの領域を理解し、現場で迅速に多種多様な問題を解決しなければいけないと言った特性によるものだと思っています。
結果として、僕は量産車領域に2年いることになったのですが、エンジンの出力についてだけでなく、冷却、循環系や性能といった部分に幅広く関わらせてもらいました。
さて、そろそろ紙幅が迫ってきました。続きは、ハンガリーGP後の次回に書きたいと思います!
ハンガリーは、伝統的にRed Bull Racing、Scuderia AlphaTauriともに好結果を残してきたサーキットですし、Honda F1としても2006年の第三期初優勝や、2019年の復帰後初ポールポジションなど、いい思い出が多いので、いい戦いをしたいですね。ご声援いただければうれしいです!